晋三と百合子、二人の「独裁者」選択選挙2017年09月30日 23時47分30秒

★そのどちらが勝っても何も変わらない。

 政治状況が日々目まぐるしく猫の目よりも変わる。ずっと状況を注視しているが、ようやく今回の総選挙の構図がはっきり見えてきたようだ。
 安倍自公の与党勢と小池都知事の新党・希望の党、そして共産党や社民党に民進残党のリベラル派などを結集した「反安保法制・護憲派」の三極である。

 そのうち、首相と都知事が率いる二つの政党は改憲と戦争法容認を大きく掲げた純然たる保守であり、彼らにほとんど差は見られない。違いは、消費税アップを凍結するかと原発ゼロかだけであり、その二つは「改憲」ほど大きな対立点でも争点でもない。
 自民党だってまた景気しだいで消費税増税を先延ばしにするかもしれないし、「原発ゼロ」だって掛け声だけで、将来的にはそうしたい程度の案件として、今後も稼働は続けていくものと我は見ている。

 そうしたほとんど瓜二つの公約を掲げる保守政党同士がマスコミを巻き込んで今回は「政権選択」選挙だと訴えるのはまさに詭弁であり、小池氏のいう「寛容な改革保守」なるものが、何かをリセットできるとはとても思えない。政権担う保守政党のトップが安倍から小池に変わるのはリセットとは呼べない。※そもそも「改革」と「保守」は相反する字義ではないのか。
 だいいち早くも指摘されているように、小池氏自身はちっとも「寛容」ではないではないか。今回の自らの新党代表就任も含めて、常に突然のはなしで、都レベルの自党の運営だけ見ても民主的とはとても言い難く全てが独善独断で勝手に決められていく。
 そして今回の選挙に際し「吸収」する元民進党議員の扱いも自らが選別すると言いきり、全員受け入れる気はさらさらない、と断言している。
 その上から目線の驕った物言いは、女帝もしくは独裁者と揶揄されても仕方ないと我は思うがどうだろうか。

 繰り返すが、今回の衆院選は、そろそろ賞味期限が切れてきた安倍政権が、アベノミクスも色褪せ、次々と新たなキャッチフレーズを打ち出しても国民がまたかよ、晋三の言うことはあてにならない、信じられないと、不人気で政権が持たなくなってきたため彼に代わる新たな代替政権、補完勢力として、人気ある都知事の登場を、となったのである。
 日本を牛耳る政財界の富裕層としては、改憲と日米同盟堅持を第一に訴える政党ならば誰が首相になろうと、どの党が政権を獲ろうと何も変化はないのだからこの状況は大いに歓迎しているはずだ。

 政権交代となったとしても政策的に大差はほとんど何もないのだから彼らは安心できる。先の民主党政権のように、沖縄の米軍基地を県外に移設するとか言い出し何か新たな「変革」をしようとすると混乱をもたらすだけだから彼らは困るのである。既得権益が失われてしまう。
 小池都知事が訴える、しがらみのない政治、リセット、だって、保守政治の中での「改革」ならば、先の都知事による五輪費用の縮小、見直し程度で済む話だとタカ括っているのだろう。

 これは我だけでなく多くの人が怖れ気づいてることだが、選挙後に自公が安定多数を失った場合、どういう連立が起きるかだ。
 自民と希望が、どちらも過半数を獲れない場合、彼らは政策的には何も違いはないのだから、すぐさま「大連立」してしまう。そして晋三は首相の座を小池氏に譲る。
 そしてまたもや北朝鮮有事を引き合いに出し、この非常時に政権の安定をはかるため、日本を守るには「救国一丸内閣」しかないと詭弁を弄することだろう。

 そして一強で驕った独裁者晋三から女の独裁者に移譲された政権は何をするかだ。日本の核兵器保有も口にしていたこの女性がこの国を安倍政治より良くしてくれるとは絶対に思えない。彼女は選挙はできるが政治はできやしない。統治能力が欠落している。だって都政だって築地移転を見ても混乱だけさせて今も何も解決できていないではないか。
 都知事職に就いてまだ一年、何もできずにしっかり専念できない者がどうして国政に関与できるのか。

 自民と小池新党、この二つの政党に「希望」を託してはならない。そして、彼らは嫌いでも共産党たちリベラル勢もイヤだから、ならば選挙は行かずに棄権してしまえば、結果として自公政権を信任したことになる。
 この告示前の一連の政党離合集散の騒動を見て、今の政治家たちに呆れうんざりして棄権してしまえば、投票率が下がり、組織力のある自公政権が息を吹き返しまたもや大勝してしまう。
 繰り返したい。棄権だけは絶対にしてはならないのだと。

 今なら、貴方の一票で日本の政治が動き変えられる。