人は食べられるうちは安心だ。2018年01月03日 22時37分05秒

★正月三日目に「死」を思う

 新年早々不吉な縁起でもないことかもしれないが、人の死について書く。
 元旦、二日と風もなく晴れて穏やかな過ごしやすい正月だった。が、一転して今日は晴れても一日中北風が吹き荒れて、体感温度は低い三日となった。これで正月も終わる。

 昨日は東京に住む唯一の肉親、我にとって甥っ子、父にとって外孫である我の妹の長男が午後来て、慌ただしくお節料理やお雑煮を食べてまた仕事に戻って行った。
 彼は、アニメ会社でコーディネーターのような仕事をしていて、九州から上京後もう勤めて10年以上たつので今やバリバリの中堅社員でともかく超大忙氏なのである。

 三人兄弟の長男なのだが、弟たちは一昨年去年と先に結婚し、彼はテレビのアニメ受け持ってたりしてあまりに忙しくアニメキャラと結婚したようなものでともかく出会いの機会も時間もまったくなく未だ独身。
 下の弟たちはガテン系で、それなりに職場で青春を謳歌していたのだろうと推測するが、甥っ子はアニメ好き、ということは我に近しいオタク系らしく女性との付き合いも不器用そうで、映画「男はつらいよ」でいう、寅さんと光男のような関係にややなって来ていて、叔父さんとしては彼のことが少し心配なのだ。我のように独身のまま歳とってほしくはない。そのことは亡き我が母、彼にとって祖母の最期の心配事でもあった。

 せっかくの正月休みでもお節など作る人も食べるところもないだろうと、我はネットで三段重ねの出来合いのお節セットを取り寄せして迎えたのだが、そんなであまりのんびりもできなかったようだ。まあ、それでも我が父も孫が来てくれたので喜んだようだし、とりあえず唯一の親戚が来てくれたので今年も何とか正月を迎えられたのだ。
 彼が来なければ、我と父の二人だけなら何一つ正月の準備もする気も起きなかっただろう。それどころか大掃除以前に、部屋の片づけだっていつも通りのまま一切掃除もせず年を越していたかと思う。その意味で人が来ること、迎え入れるための支度をするということこそ大きな意味があると知る。
 でないと我がセルフネグレクトの度合いがまたひどくなって、もう何一つきちんと片付けもする気がなくなって、ますます人生の質は悪化し停滞と混乱をきたしていくかと思う。ごくたまに、ふた月にいっぺん程度でもその甥っ子が顔出すことで、我は彼のために部屋を掃除したり何か料理を作ったり好きなものを買い物したり、かろうじて迎える準備を整えるのだ。

 さておき、それで何とかごく簡単なお雑煮をつくった。甥っ子の母である我が妹からは、彼に食べさせてやるよう丸餅とかス先に届いていたし、今回は地元農協のお歳暮で鶏肉の鍋材料セットも来た。それをベースにお雑煮つくり、父にも食べさせた。
 餅が喉に詰まることも心配したが、ときおり咽込み咳しつつも、彼は実によくお雑煮を、餅をたくさん食べた。やはり昔の人だから、餅はごちそうだという感覚もあって、久しぶりの餅が嬉しかったようだ。何しろウチでは正月以外は餅など食べやしないし買うこともない。妹や親戚関係から餅は届くので、まさに年に一度の機会なのだ。

 ふだんは毎食時ごと食べさせるのに苦労する父が感心過ぎるほど食べてくれたので、我としてはこの正月ほっと安堵している。これだけしっかり食べられるのならばまだ当分生きるのではと思えてきた。この調子で餅を定期的に食事に加えれば、体重も増えるかもしれない。ならば体力も尽くだろうし、オツムの方はともかくも体力的には今年も持ちこたえられるかもと。

 前にも書いたかと思うが、我は痩せることに対して強い恐怖心と抵抗感があって、デブが良いとか憧れはしないまでも、痩せることは死に繋がると常に危惧している。特に老人が、痩せていくことは危険信号以外の何物でもないと考える。
 というのは、何人も父母世代の人たち、老人の葬儀に出向き、その棺の中の死に顔を見て知ったことだが、死んだ人は皆誰も彼もまず骨と皮になっているのである。そこに我が知る生前の元気な頃の面影はほとんどない。死に行く者は皆誰もが、完全に生気を失って生命エネルギーを出尽くした挙句死んでいくのだとわかったからだ。

 我が母もまたそうであった。大腸に転移した癌ということもあったが、一昨年の春先からじょじょに食べられなくなり食べても下痢が続いたりして、まさに最後は骨と皮になって衰弱死的に生命エネルギーが枯渇して死んでいったのだ。
 盟友高田渡の死を唄った中川五郎氏のうたの歌詞の一節に、その顔はギリシアの哲学者のよう、という渡氏の死に顔を表した一節があったと記憶するが、確かに死に行く者は皆一様に頬がこけて目はくぼみ誰もが哲学者的な風貌となって棺の中にいる。
 先だって亡くなったのみ亭のマスターもまた同様で、端正だった甘いナイスガイがさらに彫りが深く鋭いほどに痩せてしまっていた。

 むろん事故死とか脳溢血、心筋梗塞などの突発的、突然の死はこの範囲ではないのは言うまでもない。が、たいていの死は、老いとそれに伴って癌などの病気との相乗作用で訪れるものであり、癌の最後は痩せ衰えるほどその身を蝕むのが常だから、誰もが痩せ衰えて最後はまさに精根尽き果てて死んでいく。よって人は痩せてきたら危ない、死の危険信号だと言うのである。
 ということは、裏返せば、いくら年とってていてもある程度の体重があるうちは、多少太っているぐらいならば、すぐには死なないし死ねないといことになる。我はまだ血色良く太っていて病死の人には会ったことはないし、人は生命エネルギーが体内にあるうちはおいそれとカンタンには死ねないのである。

 かくいう我も、一昨年から去年の春先までは、母の介護疲れと心労と不規則な生活が重なって、かなり体重が落ちて自分でもマズイと思うほどだった。我の場合、うんと若い時は50キロ台半ばだったから、それでも良いはずだけれど、さすがに60キロを切りそうになったときは不安になった。会う人ごとに痩せた痩せたと言われてご心配かけてしまった。
 一時期は太って、70キロ近くまであった身が、この歳で10代~20代の頃に戻るのはやはり尋常ではない。何しろ筋力がないからそうなるとフラフラで体力も続かないし無理もきかなくなる。やはり脂肪は、身体にとって電池のような蓄えであり、まさにエネルギーの源なのだと知った。
 まあ、今は甘党になって、あんこ系の和菓子やチョコレート菓子を自ら買って食べたりもしているので、また気がつけばデブになっているかもしれないけれど。※それはそれで太ると体が重くてすぐ体力がなくなってこれも辛いのである。

 まあ、何であれヒトは食べられているうちは安心、大丈夫であり、食べられなくなって痩せてきたらやばいのだと、経験から学んだこの真理は揺るがない。幸いにして我が父は今はまだ食べられていて、昔に比べればだいぶ痩せてはしまったものの、まだまだこれなら大丈夫だろうとこの新年に思った。有難くも餅効果である。ただそれだけのことなんだけどね。
 皆様もダイエットなどせずにしっかり食べて太り気味でいてください。人は死ぬときは嫌でも食べられなくなり痩せ衰えていくのだから。食べられるときにしっかり食べろ!!である。