我もまた、明日をも知れぬ身だからこそ ― 2018年12月07日 00時04分16秒
★12/23日、あるがまま決行します。ぜひどなたでもお越しください。
前回記したが、昨日6日、我にとって母亡き後ずっと、母同様に慕い大切に思い親しくしてきた近所に住む老婦人が急死してつい取り乱してしまった。前日も会い、台所のドアの工事確認の話をしたばかりだったから、昨日今日の話でほんとうに驚いた。まさかこんなにあっけなく急に死ぬとは、絶句である。
が、やや時間を置いて冷静に考えてみると、百歳直前まで住み慣れた自宅で過ごせて、ピンピンころりの言葉通りに死の直前まで日常生活を続け、誰の手も煩わさず眠るように?安らかに自宅で死んだのだからこれはとても良いことなのである。
我も含めた周囲が、故人はあまりに元気で長くずっと生き続けていたため、まだまだ長生きする、当分死ぬはずないと、その死の「想定」をまったくしていなかったため驚き動揺してしまっただけで、当然起こるべく、そしてある意味実に理想的な、まさに大往生であったのだ。
ならば哀しむべきこともないはずなのだが、やはり我にとって親たち世代の懐かしい昔の人、しかも父よりも高齢の最後まで残っていた仲間が亡くなるとやはり淋しさと喪失感は何とも言えない。どうにもやるせないということに尽きる。遺体に向き合ってもまだ信じられない。
もうこれで我が知る限り周囲では我が父が最高齢となってしまったわけで、いよいよファイナルカウントの鐘が鳴り出したという感じがしている。そう、Aさんのように、今晩はまったく元気でも明日をも知れないのだ。
長生きしている人が身近にいてまだ健在ということは、その存在自体、年老いて来た者にとって先の指針、目印であり、ならばまだ頑張れる、あの人のようにあの歳まで頑張らねばという支え、救いだったのだと今気づく。
その指針がなくなってしまえば、海図なしの航海を誰もが単独で荒海に漕ぎだすようなもので、老い先、という未知の状態はどんなものであるのか、大きな不安に襲われる人も多いのではないだろうか。
今、母亡き後一番親しみ慕ってきた方の急死を受けて、今さらながら人が今まだ共に、この世に在ること、共に生きていることの有難さを心から深く噛みしめている。
天国とか、あの世とか、死後の世界が我らにまたあることを願い信じたいが、それはそれとして、現世では死んだ人とはもう二度と会えない、言葉は交わせない、コンタクトとれない。
遺体に向き合って思ったが、ただそこには冷たくなった骸、魂の抜け殻があるだけで、肝心のその大事な人はもうこの世から消えてしまっている。半日前、会って話して軽口を叩き元気だった人はもうこの世のどこにもいない。あっという間、一晩明けたらあっけなく訃報がもたらされた。まさに、夜半に嵐が吹かぬものかは、である。
生と死、老いた人との関係とはこうしたものなのであった。いや、年齢は関係ない。老いも若きも人や犬猫だって関係なく死は突然訪れる。我も含めて共に今、我らがこうして同時代を共に生きて在ること自体が実はとてつもなく「有難い」こと、つまり奇跡的なことだったのである。決して当たり前のことではなかったのだ。
ならば、何であれ、全て一期一会の気持ちで、精いっぱい向き合わねばならないはずだし、まして老いてきた者たち、我らは、この先、何につけてもいつかそのうち、またいつか、などと先延ばしを考えてはならないのであった。
誰もがうんと若ければ、お互い「その先」「またいつか」もあろう。だが、もう皆多くが還暦、古希を越えてしまえば、その先のいつかまたはもう来ない可能性が高い。そう、それは年齢が上がるにつれてどんどん上昇していく。つまり明日はまた来るか、あるのかそれ自体まったくわからない。
ならばどんなことでもお互い会えるうちに会い、できるときにできることを少しでもやっていくしかない。またいつかそのうちに、何て考えて後回し、先延ばしにしておくと、結局死に行く者はあっけなく死んで、取り返しのつかないことになる。
すべて、今これが最後、その先のことはあるか分からないという一期一会の気持ちでこれからはやっていくしかない。
拙宅での無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティ、当日まで二週間に迫って来た。が、正直に告白すればまだ何の準備も片付けもほとんどできていない。
いろいろ他の案件や雑事もあって、焦る気持ちを抱えつつ時間だけが過ぎて当日が近づいてくるというのが現実で、果たしてどうしたものかと大いに不安である。
が、今さら片付いていないから今年も中止して来年に延期なんてできやしないし、じっさい参加申し込みは増え続けてそれぞれ皆さん各自のフェイスブックで告知さえしてくれている。ともかくどんな状態であろうとやるしかないのだ。
我がどこまで片付けられるかはともかく、そうした皆が集う機会が作れるならば、たとえスペースはひどい状態であろうともあるがまま公開してお招きするしかない。
そう、その先はもうないかもしれないし、どれほどひどい状態であろうとも今年を終えて、もし来年また開催できるならばそのときはよりマシにしていけば良いだけの話ではないか。
見栄もテライも恥も外聞もない。どんな状況であろうとも「その先」のことはどうなるか我をも明日のことは知れないのだから、有難くも拙宅へ来てくれる方は歓待しお待ちするしかない。
このブログをお読みの方で、我とは面識なく直にお会いしたことのない人であろうとも、もし関心とお時間あらばどうかお越し頂きたい。平成最後の、という文言が巷に溢れている歳末だが、もしかしたら我にとっても最期の「クリスマス謝恩ライブパーティ」となるかもしれない。
生きている間に、まだ見ぬ、会いたい人、会うべき人とどれだけ我は会えるのだろうか。2018年の年末という同時代、有難くも偶然共にまだ生きている仲間たちとぜひ出会いたいと願う。
いつかまた、とかそのうちに、ということはなくはないだろうが、歳と共に時間と共にその可能性は減っていくことは間違いない。もう若くはない僕らが、共に皆で会い一緒の時間をどれだけ過ごすことができるのだろうか。
前回記したが、昨日6日、我にとって母亡き後ずっと、母同様に慕い大切に思い親しくしてきた近所に住む老婦人が急死してつい取り乱してしまった。前日も会い、台所のドアの工事確認の話をしたばかりだったから、昨日今日の話でほんとうに驚いた。まさかこんなにあっけなく急に死ぬとは、絶句である。
が、やや時間を置いて冷静に考えてみると、百歳直前まで住み慣れた自宅で過ごせて、ピンピンころりの言葉通りに死の直前まで日常生活を続け、誰の手も煩わさず眠るように?安らかに自宅で死んだのだからこれはとても良いことなのである。
我も含めた周囲が、故人はあまりに元気で長くずっと生き続けていたため、まだまだ長生きする、当分死ぬはずないと、その死の「想定」をまったくしていなかったため驚き動揺してしまっただけで、当然起こるべく、そしてある意味実に理想的な、まさに大往生であったのだ。
ならば哀しむべきこともないはずなのだが、やはり我にとって親たち世代の懐かしい昔の人、しかも父よりも高齢の最後まで残っていた仲間が亡くなるとやはり淋しさと喪失感は何とも言えない。どうにもやるせないということに尽きる。遺体に向き合ってもまだ信じられない。
もうこれで我が知る限り周囲では我が父が最高齢となってしまったわけで、いよいよファイナルカウントの鐘が鳴り出したという感じがしている。そう、Aさんのように、今晩はまったく元気でも明日をも知れないのだ。
長生きしている人が身近にいてまだ健在ということは、その存在自体、年老いて来た者にとって先の指針、目印であり、ならばまだ頑張れる、あの人のようにあの歳まで頑張らねばという支え、救いだったのだと今気づく。
その指針がなくなってしまえば、海図なしの航海を誰もが単独で荒海に漕ぎだすようなもので、老い先、という未知の状態はどんなものであるのか、大きな不安に襲われる人も多いのではないだろうか。
今、母亡き後一番親しみ慕ってきた方の急死を受けて、今さらながら人が今まだ共に、この世に在ること、共に生きていることの有難さを心から深く噛みしめている。
天国とか、あの世とか、死後の世界が我らにまたあることを願い信じたいが、それはそれとして、現世では死んだ人とはもう二度と会えない、言葉は交わせない、コンタクトとれない。
遺体に向き合って思ったが、ただそこには冷たくなった骸、魂の抜け殻があるだけで、肝心のその大事な人はもうこの世から消えてしまっている。半日前、会って話して軽口を叩き元気だった人はもうこの世のどこにもいない。あっという間、一晩明けたらあっけなく訃報がもたらされた。まさに、夜半に嵐が吹かぬものかは、である。
生と死、老いた人との関係とはこうしたものなのであった。いや、年齢は関係ない。老いも若きも人や犬猫だって関係なく死は突然訪れる。我も含めて共に今、我らがこうして同時代を共に生きて在ること自体が実はとてつもなく「有難い」こと、つまり奇跡的なことだったのである。決して当たり前のことではなかったのだ。
ならば、何であれ、全て一期一会の気持ちで、精いっぱい向き合わねばならないはずだし、まして老いてきた者たち、我らは、この先、何につけてもいつかそのうち、またいつか、などと先延ばしを考えてはならないのであった。
誰もがうんと若ければ、お互い「その先」「またいつか」もあろう。だが、もう皆多くが還暦、古希を越えてしまえば、その先のいつかまたはもう来ない可能性が高い。そう、それは年齢が上がるにつれてどんどん上昇していく。つまり明日はまた来るか、あるのかそれ自体まったくわからない。
ならばどんなことでもお互い会えるうちに会い、できるときにできることを少しでもやっていくしかない。またいつかそのうちに、何て考えて後回し、先延ばしにしておくと、結局死に行く者はあっけなく死んで、取り返しのつかないことになる。
すべて、今これが最後、その先のことはあるか分からないという一期一会の気持ちでこれからはやっていくしかない。
拙宅での無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティ、当日まで二週間に迫って来た。が、正直に告白すればまだ何の準備も片付けもほとんどできていない。
いろいろ他の案件や雑事もあって、焦る気持ちを抱えつつ時間だけが過ぎて当日が近づいてくるというのが現実で、果たしてどうしたものかと大いに不安である。
が、今さら片付いていないから今年も中止して来年に延期なんてできやしないし、じっさい参加申し込みは増え続けてそれぞれ皆さん各自のフェイスブックで告知さえしてくれている。ともかくどんな状態であろうとやるしかないのだ。
我がどこまで片付けられるかはともかく、そうした皆が集う機会が作れるならば、たとえスペースはひどい状態であろうともあるがまま公開してお招きするしかない。
そう、その先はもうないかもしれないし、どれほどひどい状態であろうとも今年を終えて、もし来年また開催できるならばそのときはよりマシにしていけば良いだけの話ではないか。
見栄もテライも恥も外聞もない。どんな状況であろうとも「その先」のことはどうなるか我をも明日のことは知れないのだから、有難くも拙宅へ来てくれる方は歓待しお待ちするしかない。
このブログをお読みの方で、我とは面識なく直にお会いしたことのない人であろうとも、もし関心とお時間あらばどうかお越し頂きたい。平成最後の、という文言が巷に溢れている歳末だが、もしかしたら我にとっても最期の「クリスマス謝恩ライブパーティ」となるかもしれない。
生きている間に、まだ見ぬ、会いたい人、会うべき人とどれだけ我は会えるのだろうか。2018年の年末という同時代、有難くも偶然共にまだ生きている仲間たちとぜひ出会いたいと願う。
いつかまた、とかそのうちに、ということはなくはないだろうが、歳と共に時間と共にその可能性は減っていくことは間違いない。もう若くはない僕らが、共に皆で会い一緒の時間をどれだけ過ごすことができるのだろうか。
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