情けなくも有難いこの一年 ― 2018年12月28日 08時27分33秒
★ようやく希望の光がさしてきた
ジェイコブズラダー、という映画があったが、訳すと「ヤコブの階段」である。何のことかキリスト教に関わりない人はおわかりでないかもしれないが、自然現象で、雲の間から光が筋のように差し込んでいる状態を言う。
旧約聖書の中で、信仰の始祖アブラハムの子孫ヤコブが見た幻から来ている。つまりその光の筋の中を天使たちが階段のように上り下りしているのだと。
この一年、1018年が間もなく終わる。「災」の年だと様々な自然災害、異常今日の多発から、今年を表す漢字は決まったそうだが、個人的には、一昨年や去年に比べれば災難の年ではなかった。
去年はのみ亭主人が急逝したし、一昨年は最愛の母を喪くした。今年も何人か親しい大事な方を送ったり、老犬の不慮の死などあったが、何とか拙宅無頼庵もとりあえず「謝恩パーティ」が開催でき、これからについて希望の光が射して来た。※むろんまだまだ多事多難なのは改めて言うまでもないが。
※それにしても実に早い、あっという間の一年であった。中川五郎氏の年明けライブで、みほこんをはじめ皆と会ったのがつい先日のことと思うのに、次に彼女と会ったのがクリスマスライブの拙宅だとは信じられない。その間の記憶が全くないのである。
この何年も歳と共に、ずっと曇天模様の、カラッとすっきり晴れない鬱陶しい空模様の我が人生だったが、やっと雲間から、ヤコブの階段の如く、明るい光が射しこんできた感じがある。
雲一つない青空は哀しすぎて望むまでもないが、おそらくこれからしだいに雲は流れ去り晴れ渡って来るだろう。いや、そうなることをただ祈り願うだけだ。
情けなくも有難い、というべきか、有難くも情けないというべきかはともかく、思えば、今年だけでなく母の死の年、2016年から我の人生は暗礁に乗り上げたというか、曇天の下、まさに暗雲たちこめていたのだ。
頭がおかしくなったのか、何もかもきちんとできなくなってしまい、何であれしんどく大変になってしまいまったくやる気が失せてしまった。
基本、そんなで誰とも会いたくし出かけるのも億劫となり、ひたすら引きこもって何とか自分一人で立ち直ろうと努めてきた。何一つ片付けもできないから家は内外ゴミ屋敷と化したのはご覧のとおりである。何とか元に戻したいとどれほど切望したことか。
が、やはり〆切のない漫画家のようなもので、対人関係上の制約がない限り、自ら相手ではとことん緩く甘くだらしなくなってしまい、けっきょく何一つきちんとカタチにもできず時間だけが徒に過ぎてしまった。
何とかまた「共謀」コンサートなど音楽ライブの企画も再開したが、情けない話、何故だかもう一つ気が乗らず、宣伝活動にも身が入らず結果として客の入りももう一つで、ご出演頂いた方々にはほんとうに申し訳なく思うしだいだ。
ただ、ようやく先の拙宅でのクリスマスイベントを無理を通して、多くの人の手を煩わせてとにもかくにも成し終えて、やっと今、ここから再スタートだという気概に今満ちている。
もうずいぶん歳もとり、残りの人生も先が見えてきてしまったが、まだ幸いにして決定的・致命的ダメージはなく、気持ちと愚かさは十代の頃とさほど変わらないのだから、今さらながらでも何でもできると思える。
自分で言うのもおこがましいが、我マスダには我なりの他者にはない特異な才能があると信ずるし、それをいかして何か後の世に残すべきこともできると信ずる。
おそらく我と関わってくれる方々はそれを期待し信じてのことだと思う。ならばその期待と信義に応えねばならない。
2016年の母の死の年から、ずいぶん足踏みして無為に時間くってしまったけれど、ようやく来年2019年こそ、我の持っているもの全てを使って、とてつもなく面白い、素晴らしいことを少しづつでもカタチにして世に示していく。期待されなくてもかまわないが、必ずそれはできると信ずるし、たとえかなわなくとも絶望も諦めもしない。生きていれば、である。
自分だけの人生なのだ。もう誰にも振り回されず、もう一度とことん思い通りに無駄なく全力で生き直したい。
そのうえで我マスダと関わり、共に楽しく面白い同じ夢を追い求める人と一人でも多く出会いたいと思う。そう、イマジンといううたで、ジョン・レノンも歌っているではないか。
♪夢見てると言われるけれど、僕一人じゃない。世界中が手を繋ぎ合えば、世界は変わる、と。
ジェイコブズラダー、という映画があったが、訳すと「ヤコブの階段」である。何のことかキリスト教に関わりない人はおわかりでないかもしれないが、自然現象で、雲の間から光が筋のように差し込んでいる状態を言う。
旧約聖書の中で、信仰の始祖アブラハムの子孫ヤコブが見た幻から来ている。つまりその光の筋の中を天使たちが階段のように上り下りしているのだと。
この一年、1018年が間もなく終わる。「災」の年だと様々な自然災害、異常今日の多発から、今年を表す漢字は決まったそうだが、個人的には、一昨年や去年に比べれば災難の年ではなかった。
去年はのみ亭主人が急逝したし、一昨年は最愛の母を喪くした。今年も何人か親しい大事な方を送ったり、老犬の不慮の死などあったが、何とか拙宅無頼庵もとりあえず「謝恩パーティ」が開催でき、これからについて希望の光が射して来た。※むろんまだまだ多事多難なのは改めて言うまでもないが。
※それにしても実に早い、あっという間の一年であった。中川五郎氏の年明けライブで、みほこんをはじめ皆と会ったのがつい先日のことと思うのに、次に彼女と会ったのがクリスマスライブの拙宅だとは信じられない。その間の記憶が全くないのである。
この何年も歳と共に、ずっと曇天模様の、カラッとすっきり晴れない鬱陶しい空模様の我が人生だったが、やっと雲間から、ヤコブの階段の如く、明るい光が射しこんできた感じがある。
雲一つない青空は哀しすぎて望むまでもないが、おそらくこれからしだいに雲は流れ去り晴れ渡って来るだろう。いや、そうなることをただ祈り願うだけだ。
情けなくも有難い、というべきか、有難くも情けないというべきかはともかく、思えば、今年だけでなく母の死の年、2016年から我の人生は暗礁に乗り上げたというか、曇天の下、まさに暗雲たちこめていたのだ。
頭がおかしくなったのか、何もかもきちんとできなくなってしまい、何であれしんどく大変になってしまいまったくやる気が失せてしまった。
基本、そんなで誰とも会いたくし出かけるのも億劫となり、ひたすら引きこもって何とか自分一人で立ち直ろうと努めてきた。何一つ片付けもできないから家は内外ゴミ屋敷と化したのはご覧のとおりである。何とか元に戻したいとどれほど切望したことか。
が、やはり〆切のない漫画家のようなもので、対人関係上の制約がない限り、自ら相手ではとことん緩く甘くだらしなくなってしまい、けっきょく何一つきちんとカタチにもできず時間だけが徒に過ぎてしまった。
何とかまた「共謀」コンサートなど音楽ライブの企画も再開したが、情けない話、何故だかもう一つ気が乗らず、宣伝活動にも身が入らず結果として客の入りももう一つで、ご出演頂いた方々にはほんとうに申し訳なく思うしだいだ。
ただ、ようやく先の拙宅でのクリスマスイベントを無理を通して、多くの人の手を煩わせてとにもかくにも成し終えて、やっと今、ここから再スタートだという気概に今満ちている。
もうずいぶん歳もとり、残りの人生も先が見えてきてしまったが、まだ幸いにして決定的・致命的ダメージはなく、気持ちと愚かさは十代の頃とさほど変わらないのだから、今さらながらでも何でもできると思える。
自分で言うのもおこがましいが、我マスダには我なりの他者にはない特異な才能があると信ずるし、それをいかして何か後の世に残すべきこともできると信ずる。
おそらく我と関わってくれる方々はそれを期待し信じてのことだと思う。ならばその期待と信義に応えねばならない。
2016年の母の死の年から、ずいぶん足踏みして無為に時間くってしまったけれど、ようやく来年2019年こそ、我の持っているもの全てを使って、とてつもなく面白い、素晴らしいことを少しづつでもカタチにして世に示していく。期待されなくてもかまわないが、必ずそれはできると信ずるし、たとえかなわなくとも絶望も諦めもしない。生きていれば、である。
自分だけの人生なのだ。もう誰にも振り回されず、もう一度とことん思い通りに無駄なく全力で生き直したい。
そのうえで我マスダと関わり、共に楽しく面白い同じ夢を追い求める人と一人でも多く出会いたいと思う。そう、イマジンといううたで、ジョン・レノンも歌っているではないか。
♪夢見てると言われるけれど、僕一人じゃない。世界中が手を繋ぎ合えば、世界は変わる、と。
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