すみません!! 慌ただしくて2022年09月16日 22時15分44秒

★日曜の父の火葬を前にして

 父の死に際して葬儀などの話。
 もう誰も父方、母方含めて、その兄弟姉妹は誰も来ないだろうと考えて、我は勝手に葬儀的な集まりは、一切しないことを決めたわけだが、やはりその訃報は親戚方にはもれなく伝えねばならない。
 しかしもう父の兄弟姉妹で今もまだ生きている人はほぼいないのである。
 ほとんど面識や記憶のないその息子や娘たちに我が父の訃報を知らせるのはけっこう面倒かつ気苦労の多いことであった。

 ウチは、母の妹弟は、父よりいくぶん若いこともあり、まだ健在の人も多いのだが、今回わかったことは、父の妹弟では、生存している人は妹一人だけであり、母の妹弟たちでさえ、もはや動ける人はごく少ないということで、その亡くなった当人が、九十代ともなると、葬送じたいやっても集まれる人が少なくなるという現実だ。
 友人知人がいたとしても、通常、それもまた同世代であるわけで、気軽に来れる人はとうぜん少なくなる。
 
 長生きするということは、世に美徳や善きことだとされる反面、つまるところ親身になって送る側の人たちも少なくなるわけで、その兄弟の子や孫ともなると、その亡くなった老人に対する悲痛の思いや哀しみは格段に下がると言わざる得ない。
 つまるところ、その悲しみとはどれだけ同時代を共に生きたか、その思い出を共有しているかということであり、葬儀というものは、じっさい、そうした人たちのために在るものだと思い至った。

 今日やっと、結構苦労して、父の妹弟たちの子供たち、つまり我の従弟にあたる人たちと電話連絡して父の死を伝えたわけだが、疲れ果てた。
 何しろ父母の世代は、ともかく兄弟姉妹が多いのである。父は六人、母は七人も兄弟姉妹がいたのである。妹が唯一の我としては、ちょっと想像もつかない数だ。
 また、いとこ同士で互いに連絡とり合って仲のいい一族もいるのかもしれないが、ウチはそんなことはなく、いとこもまた多々いるはずなのだが、苗字も結婚して変わっているため、いったい誰が誰だか皆目わからない。
 そもそも我はそうした関係じたいまったく関心も興味がない気質だったので、電話で伝えることもかなり苦労した。

 テレビの人気番組、「ファミリーストリー」的な、その一族の繋がり、ルーツに関心が強く、思いを寄せる人も多々いるとは思うが、我にとって家族、一族とは、祖父母、父母、そしてせいぜい父母の兄妹姉妹までであり、その先にまで手を広げて連絡していかねばならないことは、かなりタイヘンなことであった。

 というわけで、当然予想されたことだが、やはり突然慌ただしくなってしまい、落ち着いて今は、父のことも何もかも振り返ることができやしない。
 申し訳ないが、この日曜がまずは終わって、父の遺骨を抱いて帰宅してから、その時の思いも含めてきちんと書き記していきたい。

 しかし、先にも書いたが、母の時に比べると気持ちもその支度全般も、ずいぶん楽で心は落ち着いて安閑としている。
 やはり入院してから二か月という気持ちの準備時間があったことと、超高齢の死ということに加えコロナ禍ということでごく小規模に、ミニマムにということに、ということが大きい。

 そう、死者は生者を煩わすべからず、というのは一面の真理なのである。哀しむ人が少なければ、本来葬儀などごく身内だけで済ませば良いのだと今思っている。
 有名人はともかくも、名もなき市井の人はそれで良いのだ。