「人生」についてこれまで考えてこなかった。2011年02月21日 06時20分56秒

★お恥ずかしい「告白」をする。

 「本の人生、ほんとの人生」とは、以前のブログのタイトルだが、今にして自分は自分の人生に対して何一つ考えていなかったことに気がつく。

 これまで、日々の「生活」については常に頭を悩まし、腐心してきた。どう喰っていくかも含めて何がしたいか何をどうするか、していくかということだ。しかし、それの積み重ねであるところの「人生」とその設計に関しては一切真面目に考えたことがなかった。常に行き当たりばったり、ある意味、まさにイソップの「アリとキリギリス」の寓話の中でのキリギリスである。今そのことをようやくだがつくづく思う。

 今の大学生、若者たちは、学校を出る前にまず就活に必死に取り組んでいる。また婚活という言葉もよく耳にする。恥ずかしい話、自分はそれらを鼻であし笑い、バカバカしいことだ考えていた。何とかなるさと安易に考えていた。実に不真面目である。今にして、こんな自分より彼らのほうが賢く立派と感心している。

 人生設計という言葉もある。どういう生活がしたいかではなく、どういう人生、一生を送るのか当然考えるべきであった。今の若者たちは浅かったとしても将来を見据えきちんと考え行動している。それが人間、人の道だと思う。

 今このときを迎え、ただうろつき、頭を抱えている。親たちと暮らし親たちの面倒を見ていると思っていた自分だが、じっさい生活面ではそうだったとしても、人生においてはずっと親に依存し面倒みてもらっていたのだ。本当に情けないし恥ずかしいことだ。これからいったいどうしたものか。眠れない夜いろんなことを考える。

 幸い昨晩は久しぶりに長く深く眠れた。先にフロに入り、下で父と叔母の話し声を聞きながら安堵して眠れた。一人だと父を寝かしつけない限り先に眠れないし、常に不安は胸中から去ることはない。だから眠くても眠れない。

 夜が明ける。外は明るくなり二番列車が通っていく。今日は主治医から話を聞く。詳しいことは帰ったらまた記す。

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