希望の光が遠くにかすかに見えた。2011年02月21日 21時57分47秒

★母はまず腸閉塞の手術することになった。

 ようやくほんの少しだが希望の灯が少しだけ見えてきた。一縷の望みだが早速お知らせしたい。読者の皆さんのおかげさまでとまず深く感謝したい。

 今日21日夕方、担当医からまず家族に、ついで当人である母に今後の治療方針についての話があった。以下その報告。

 まずこれまでの経緯をまとめると、昨年の秋から胃痛腹痛で調子を崩していた母が食事がとれなくなってどんどん痩せてしまい、過度の栄養失調と腹水が溜まりさらに下肢のむくみなどでついに立川の総合病院に担ぎ込まれたのが今月の4日。腕からの点滴では栄養が足らず喉から静脈に24時間点滴入れることとなった。

 以降最初の一週間でむくみも腹水もなくなったので、いよいよ口から流動食からと考えていた矢先、今度は腹膜炎を起こし高熱出て、それは抗生剤で何とか収まったと思ったら今度は尿の出が少なくなり、腸内に水分が溜まり続け腹が膨れて大変なことになってしまった。
 それで、一昨日土曜日、鼻の片穴から130センチもチューブを体内に入れてベッド下に置いた袋に腸に溜まった水分を排出させた。しかし、腸がほとんど動いていないので喉から点滴を入れ続けている限りは鼻からのチューブは外せない。どうやら右下腹部で腸閉塞を起こしていることがわかった。

 本日の医師からの話は、このままだと腸は壊死してしまうので、今ならまだ手術可能なので腸閉塞の手術に臨むかどうかという相談であった。開腹してガンの部位もみつかったら取れるところは一緒にとるのだと言う。今のままでは抗がん剤治療もできないとも。

 幸い一時期かなりひどかった貧血は輸血が功を奏し改善されてきたし、体調も幸いやや持ち直してきたので、入院当初は衰弱がひどくとても手術などできないと言われていたのが方針転換となったようなのだ。

 だが、この歳でこの今の体力での手術は当然かなりの危険があるし、開腹してみてガンの転移が進んだ末期ガンである可能性も高いとも言われた。その場合は手術自体進めない。まさに一か八かの賭けであろう。しかし僅かでも回復する可能性があるとしたそれを試す価値はあるはずだし、今のままでは何の処置もできず漫然と死期を待つだけなのだから家族も本人もその手術に同意するつもりだ。

 今の予定では10日後。それまで点滴の濃度を上げ手術に耐えられるよう体力を少しでも上げていく。今はまだ手術の成功失敗やその結果のことより、果たして予定通りその10日間にまた風邪などで熱出したりしないかと無事を案ずる。
 手術すれば治ると約束されたわけではないし、いつまた調子悪化するかもわからない。薄氷を踏む日はまだまだ続く。先のことは全く見えはしない。しかし今日医師からその話を聞かされほっと胸を撫で下ろしたということをまずお伝えしたい。成功するかわからなくてもようやく病気に対しての対処治療法が決まったからだ。

 今までの気分を喩えていえば、山道を重たい荷を背負い歩いていたら日が暮れて道もわからなくなってしまった。懐中電灯は持っていない。でも歩くしかないから途方にくれつつも恐る恐る歩を進めていた。
 そしたら遠くにかすかだが灯りが見えてきた。そこに何があるかはわからない。人家があり暖かく迎えてくれるとは限らない。しかしまずはともかくその光に向かって歩いていくしかない。その遠くの光だけが頼りなのだ。

 これで安心してはならないし気を緩めてはならない。いつまた容態が変わって一気に谷底に突き落とされるかもしれない。しかし今日は久しぶりに枕を高くして安眠できそうだ。たとえほんの一時だけでもこんな気分の日があっても良いだろう。連日気が張り詰めて睡眠不足も溜まって自分まで気がおかしくなりそうだった。

 希望の光も狐火のようにすぐに消え、たとえぬか喜びに終わろうとそれはそれでかまわない。すべては神の意思であり受け入れる覚悟でいよう。まだできることがあるとわかって肩の荷はおかげさまでだいぶ軽くなった。多謝。

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