先のことはわからない。だからこそ・・・2012年10月19日 14時13分36秒

★全てを受け入れて今を生きる。

 新潟に出かける前で慌しい。手短に。

 一晩寝て、考え直した。冷え込んだ雨上がりの朝に考えたこと。

 結局のところ、何が起きようとそれが運命なのだと。若松監督のこと、どんなに残念で悲しくとも受け入れていくしかない。そう、先のことは誰にもわからないのだ。それが運命だったのだと思うしかない。

 むろん、過失や不運や様々な要因はそこにあろう。人は後であれこれくよくよ悔やむ。それを後悔と言う。
 でも、良寛の言葉ではないが、災難にあうときは災難にあうのが良いことだし、その災難で死ぬのもまたそれはそれで仕方ない。死なないときは死なないのだから。死ぬのはそれが天命だったということだ。

 先のことはわからない。そう考えると不安になるし暗澹たる気持ちになるか。いや、先のことはわからないということは、決して悪いことではない。つまり良いことも悪いこともなにが起こるかわからないからこそ希望もある。起こることは悪いことばかりだとは限らない。きっと良いことも当然起こる。良い、悪いかさえも短絡的に考えるべきではない。禍福は糾える縄のごとしと言われるのだから。

 先のことは全くわからないのだから、もしかしたらこんな自分にもすごく良い出会いがあって、女に持てたりうんと大金持ちになったり有名になるかもしれない。あるいは明日でも不慮の事故で命を落とすかも。
 だからこそ、諦めずに良いことを信じて生きていくしかない。慎重に生きることは当然だが自暴自棄になったり自ら破滅に陥ることのないよう心して生きていく。しょせん人生は生きている間だけ。その中でどれほど人と出会いどれだけ何ができるかだ。
 そしてその上で何が起きても仕方ないのだから覚悟を決めておく。

 振り返れば多くの人と出会い、多くの人を失い見送った。でもそうした出会いと別れもまた素晴らしいことだと今思える。やがては自分も送られる側となる。そうした人それぞれの人生が少しでもリンクし何かしら関われたならそれだけで良いこと、素晴らしいことではないか。大変な時代でも今貴方と同時代に生きていることを感謝したい。

 死んだ人は肉体は消えるが決していなくなるわけではない。その人を思い続ける人の心にいつまでも生きている。まして芸術家はそこに作品を残している。不滅の作品がある限り、その人は永遠に死なない。魂は生き続けている。願わくば自分もそうした「永遠の命」を何か一つでも残せたらと夢想する。

 人生は何が起こるかわからないからこそ素晴らしい。
 若松監督、素晴らしい映画をたくさん有難うございました。お疲れ様でした。あの世で会ったら次回作楽しみにしています。合掌。