どうにも気持ちが沈んで2012年10月30日 22時19分37秒

★良い人ばかりが早く死んでいく。

 夕方、近所のリサイクルショップへ出かけたら、そこの大きなモニターに民間のニュースの中で桑名の葬儀の模様が出棺まで映し出されていた。つい見るともなしに見てしまってから気持ちは沈んだままだ。

 死んだ人は皆良い人、という警句もあるが、じっさい良い人、才能ある素晴らしい人ばかり早く先に死んでいく。自分の周りを見回してみても自分より数段立派な誰からも好かれて愛された人が歳若く不測の病で何人も急逝している。
 反面、某都知事のように、発言のみらず存在自体が「問題」の人が齢八十でも体は達者なようでまた新たな妄動に励んでいる。まあ、聖路加の日野原先生のように百歳を越えても立派な良い人間もいるが、それは例外中の例外で、思うに善人こそ早死にし悪人は長生きするというのが世の法則なのかもしれない。まさに「憎まれっ子世にはびこる」であろう。

 何故そうであるのか。その理由も様々な本を読んできたので、自分なりにわかってきているが、それを書くとちょっと宗教的、スピリチュアルなこと過ぎるので書かないほうが良いかと思う。
 まあ、例えばの話、人は肉体を持って生まれてくるが大事なのは「魂」のほうであって、魂の修行のために生を受けるのだとする。でも良い人=魂のきれいな人は早く修行修了、もうこの世に長くいる必要はないのかもしれない。だから早く亡くなる。ゆえに肉体の「死」つまり体の消滅は別に哀しむべきことではないと考えるのだが、それは頭で理解している理屈であって死を悼む感情はまた別なのだ。やはり今生の別れは悲痛なものがある。だってあの世でもう一度再会できるという確約は誰にも保証できないのだから。

 自分も死んだらあの世でもう一度みんなと会えるのだろうか。でも死ぬためにもまだまだなすべきことがある。おそらく某都知事もそう思い、やむにやまれず誤った「善行」をこれからもしていくのであろう。まあ、近隣の外国人や女性を差別し弱者に侮蔑的発言をこれからもする限り彼の魂の修行は永遠に終わらないだろうが。

 椎名麟三はこう言っている。
 
 たしかにキリストを知らないということは罪だ。そしてその罪が罰であることは、キリストを知っている者には、いやというほどわかるのである。