今の年寄りは・・・2012年10月31日 23時21分00秒

★戦争を知らない老人たちさ

 このところバイオリン演歌師の楽四季(たのしき)さんとよく会う機会がある。彼は、ところ場所を選ばずまさに神出鬼没の演奏活動を広くされている方であるが、最近の老人ホームでの慰問では、その壮士スタイルのバイオリン演歌自体があまり受けなくなってきているのだそうだ。

 一頃は、老人ホームでのバイオリン演歌は、そこに入っているお年寄りたちの懐かしの感涙を絞った「芸」なのに今の老人にはあまり受けないらしい。理由は簡単で、今の年寄りたちはもはや団塊の世代も含まれ、戦後生まれの「お年寄り」もかなりいる時代なのである。そうした人たちに明治大正の曲をバイオリンで唄ったとして懐かしいとか以前にその記憶がそもそもないから反応が乏しいのは当然かと気づく。
 じっさい、あろうことか楽四季さんに「ビートルズ」の曲をやってくれとリクエストがあったぐらいビートルズ世代の「老人」が今や老人ホームにいるのである。これでは受けっこない。

 考えてみれば、そうしたバイオリン演歌の記憶がある世代、いや、実際に見たということでなくともその親たちから聞きかじった世代は現在八十歳以上であろう。ちょうど増坊の両親の世代である。その彼ら親はちょうど明治の生まれだからバイオリン演歌が巷で唄われていた時代を知っている。
 自分は戦後の、それも団塊の世代よりも少し後の者だが、明治生まれの祖母祖父たちに育てられ付き合いが深く、彼らから昔の唄をずいぶん幼児の頃から聴き教わった。だから「金色夜叉」も「カチューシャの唄」も昔から知っていた。ゆえに楽四季さんのバイオリン演歌は懐かしく心に染み入る。
 だが、今の年寄り、つまりかつての{戦争を知らない子供たち}のなれの果ての団塊世代の老人にはそんな明治や大正はそれこそ大昔という感覚なのではないか。まあ、バイオリン演歌でビートルズなんてできないし出来たとしても「エリノア・リグビー」ぐらいだろうから意味がない。

 何でこんなことを書きだしたかというと、要するにもう今はそんな時代だということだ。大正生まれの老人だってもはや数少なくなっているだろう。明治生まれはもうほぼ皆無ではないか。昭和一桁だってもはや八十前後。ならば、戦後生まれの老人が老人施設にいたって別におかしくも何ともない。やがては全部昭和生まれで埋まっていく。

 そう気がつけば、自分だってもはや還暦近い初老なのである。無年金のまま歳だけとってどうするつもりなのかと考えると眠れなくなるから考えないことにして、今の時代のバイオリン演歌師の行く末を案ずる。ただ、最近では若者たちが出るライブイベントなどでは楽四季さんは物珍しさで大ウケで大人気なのだそうだ。あんがい若者たちのほうが偏見も先入観もないから良いもの、面白いものに対して敏感なのだと思える。

 戦争を知らない子供たちは結局のところ、戦争だけでなく明治も大正もバイオリン演歌も知らずに歳だけとってしまったようだ。

 さて、それで12月1日、拙宅無頼庵での「楽四季一生バイオリン演歌ショー」どうやって近在の本物の「老人たち」を集めるか。足腰の悪い爺さん婆さんたちを車で搬送して送り迎えするしかないか。あるいは、もっと十代、二十代の若者たちに声かけるか。