個人のレベルで大震災を書き記して記録していこう2011年03月15日 22時25分25秒

★震災後日毎さらに混乱と混迷の度が深まるとは

 有史以来、地震に限らず天変地異は常に起こり、人々を襲い苦しめるものだが、あの阪神大震災でも数日後には復旧し、被災地でも徐々に元の生活、日常が戻ってきたと記憶する。
 しかし、今回の東北関東大地震、先にも書いたが、直接大した地震被害がなかった自分の住む東京都下、多摩地区でも震災後になって被害が出

 と、ここまで書いたら突然今またかなり大きい地震があり、パソコンが乗っかっている机の棚を押さえたりして様子をみていた。テレビつけたら静岡内陸を震源とするとかで、これもまた余震?なのだろうか。こちらは富士山に近いのでたぶん都内より激しく揺れた。大地震後の関連地震では一番でかい。

 思うのだが、あの日、3月11日は正直なところウチの方は大したことは何もなかった。だから何一つそれまでと変わらないとそのときは思っていた。しかし、日を追うごとに事態の大きさ、深刻さが報じられ、それはじわじわとこちらの市民生活にも大きく影響しだした。一昨日よりも昨日、昨日より今日の方が大変な様相を呈している。それだけ地震が巨大だったということだが、ともかく今も騒然としている。
 2001年の9.11がアメリカ人の意識を根底から変えてしまったとしたら、2011年の3.11は、東日本に住む日本国民の意識をことごとく大きく変えてしまった。もう平穏な日は戻らない。

 こうした震災の都度、被災した人、避難している人、死亡者行方不明者、倒壊した家屋などが数字であらわされる。その数字は事実として災害の全容を示すデータではあるが、人の数だけ人生があるとしたら、そんな十把ひとからげに数に集約された人たちこそ哀れであろう。
 また、じっさいに震災被害に遭わない者でも、自分のように多かれ少なかれ何らかの影響はいやでも受けている。だとしたら、人の数だけ人生があり、その数だけそれぞれの思いがあるならば、数にまとめるのではなく、個々にそれぞれを書き記し残していかねばならない。
それは、帰宅難民となって帰宅できなかった話でもかまわないし、今スーパーにトイレットペーパーから生鮮食料品まで何一つなくなっていることの報告でもよい。そして福島原発に対する不安感、あるいは東電の無責任な計画停電への怒りでもかまわない。
 コトにおいて庶民とか市民、一般国民と呼んでもかまわないが、そういう普通の人たちがそのとき何を考え、どう行動したのかを書き記していく。さすれば、それは後々後世の人にとってまた同様の事態においても参考になるはずだし、それこそが真の歴史だと思う。

 今の時代、人は携帯やパソコンさえあればどこにいてもどこへでも自らの考えや思い、情報を発信できる。それはブログでも良いし、自らのホームページ、何かの掲示板でもかまわない。また拙ブログに書き込んでくれても全くかまわない。

 この未曾有の大震災に遭遇し、同時代を共に生きている人たちが何を思いどうしたのか、自らも知りたいしまず自ら書き残していきたいと願う。場合によっては東日本、東京辺りまでの人たち全住民がこのまま被爆して早晩死んでしまう可能性すらある。ならばどう生き、どう死んでいったか、残された人々、人類のためにもこの教訓を活かしてもらいたい。

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