大地震から10日目 ― 2011年03月20日 21時22分57秒
★この辺ではようやく日常が戻ってきたが・・・
20日、日曜日である。我家の庭の梅は満開だ。もう少しすれば桃の花も咲き出す。しかし今年の春ほど様々な感慨をもって迎えた年はない。
計画停電が始まって連続5日。幸いにして昨日今日は週末の土日でもあり、電力需要がさほど多くないとの推測から「停電」脅しはなかった。実のところ増坊の地区では今まで幸いにして実際に電気が切れるという事態には遭遇していない。しかし、毎日早朝から市の放送で停電予定は何時からと脅されてその時間帯になると本当に停電するか不安に駆られと落ち着いて過ごすことはできなかった。なので昨日今日と久しぶりにのんびり安心して過ごしパソコンにも腰据えて向かえ作業できた。
おかしな喩えだが、かつての戦時下、空襲警報がないときもきっとこんな心持ではないかと思う。非常時というのは、当然のこと平穏、平常心ではいられない。それは災害に遭われた方々ばかりではなく、この国の民全員が同じだと思う。原発事故の今後も含めてこちらはどうすることもできず、ただ固唾を呑んで様子を見守るだけだ。だから常に何か落ち着かない。
じっとしていてもまた揺れてぐらぐらしているような気がするし、もとより普段から低血圧症で、メマイ気味の身としてはこれだけ余震が続くと精神的にも参ってくる。しかし未曾有の大天災、国難と思えば我が身も含め家も家族も地域全体が無事であったことを神に感謝せねばまさにバチが当ろう。そして被害に遭われた方々と地域にどのような形でも支援の手を差し伸べなくてはならない。
今家ができて、一応ある程度のスペースはあるのだから、被災者を受け入れることも可能だとそれも考えた。しかし、母の退院がほぼ決まり、その後の容態がこの家でどうなるかまだわからないこともあり受け入れ態勢が母だけでも整っていない。以前のように家族全員健康ならば喜んで招き入れることもできたと思うのだが・・・。
年明けから母の病気の悪化、入院、そして一時期さらに悪化、そして手術、さらにそこに大震災と今年は今日まで目まぐるしく息つく暇なく日々慌しく進んでいる。今後のことは全く見えない。本当はブックカフェのほうも今頃は三日三晩の盛大な家屋完成・開店記念のパーティーをやって店としても動き出しているはずであった。家の方はいちおう完成したのに、母は入院しているし大地震は起こるはまさに先のこと、未来のことはどうなるものか予測つかないとつくづく思う。
それでも自分に関しては今はすべて良い方向に向かっていると思いたい。まだ身動きはとれないし、なかなか思い通りに何一つ進んでいかなくとも。誤解されても困るのだが、母の病気も大地震もすべてのことが自分にとっては「良いこと」だったと考えたい。もちろん起こらないにこしたことはないし、受け入れ難いというのが本心ではある。被災地の大きな被害に遭われた方々の心労心痛を思うと何故こんなことがと胸が塞がれる。が、なおのことこれを、ここをきっかけにしっかり新たな一歩を踏み出したいと誓いなおした。自分も新しく変わりたい。生き直したいと願う。もちろん前途多難である。先はまだ見えない。どう転ぶかわからない。しかし、きっと良くなると信じて、前を向いて、上を向いて歩いていこう。
20日、日曜日である。我家の庭の梅は満開だ。もう少しすれば桃の花も咲き出す。しかし今年の春ほど様々な感慨をもって迎えた年はない。
計画停電が始まって連続5日。幸いにして昨日今日は週末の土日でもあり、電力需要がさほど多くないとの推測から「停電」脅しはなかった。実のところ増坊の地区では今まで幸いにして実際に電気が切れるという事態には遭遇していない。しかし、毎日早朝から市の放送で停電予定は何時からと脅されてその時間帯になると本当に停電するか不安に駆られと落ち着いて過ごすことはできなかった。なので昨日今日と久しぶりにのんびり安心して過ごしパソコンにも腰据えて向かえ作業できた。
おかしな喩えだが、かつての戦時下、空襲警報がないときもきっとこんな心持ではないかと思う。非常時というのは、当然のこと平穏、平常心ではいられない。それは災害に遭われた方々ばかりではなく、この国の民全員が同じだと思う。原発事故の今後も含めてこちらはどうすることもできず、ただ固唾を呑んで様子を見守るだけだ。だから常に何か落ち着かない。
じっとしていてもまた揺れてぐらぐらしているような気がするし、もとより普段から低血圧症で、メマイ気味の身としてはこれだけ余震が続くと精神的にも参ってくる。しかし未曾有の大天災、国難と思えば我が身も含め家も家族も地域全体が無事であったことを神に感謝せねばまさにバチが当ろう。そして被害に遭われた方々と地域にどのような形でも支援の手を差し伸べなくてはならない。
今家ができて、一応ある程度のスペースはあるのだから、被災者を受け入れることも可能だとそれも考えた。しかし、母の退院がほぼ決まり、その後の容態がこの家でどうなるかまだわからないこともあり受け入れ態勢が母だけでも整っていない。以前のように家族全員健康ならば喜んで招き入れることもできたと思うのだが・・・。
年明けから母の病気の悪化、入院、そして一時期さらに悪化、そして手術、さらにそこに大震災と今年は今日まで目まぐるしく息つく暇なく日々慌しく進んでいる。今後のことは全く見えない。本当はブックカフェのほうも今頃は三日三晩の盛大な家屋完成・開店記念のパーティーをやって店としても動き出しているはずであった。家の方はいちおう完成したのに、母は入院しているし大地震は起こるはまさに先のこと、未来のことはどうなるものか予測つかないとつくづく思う。
それでも自分に関しては今はすべて良い方向に向かっていると思いたい。まだ身動きはとれないし、なかなか思い通りに何一つ進んでいかなくとも。誤解されても困るのだが、母の病気も大地震もすべてのことが自分にとっては「良いこと」だったと考えたい。もちろん起こらないにこしたことはないし、受け入れ難いというのが本心ではある。被災地の大きな被害に遭われた方々の心労心痛を思うと何故こんなことがと胸が塞がれる。が、なおのことこれを、ここをきっかけにしっかり新たな一歩を踏み出したいと誓いなおした。自分も新しく変わりたい。生き直したいと願う。もちろん前途多難である。先はまだ見えない。どう転ぶかわからない。しかし、きっと良くなると信じて、前を向いて、上を向いて歩いていこう。
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