こんなときだからこそイベント「自粛」より生を喜ぶべき2011年04月02日 23時21分08秒

★自粛要請の世相はおかしい。

 都、つまり石原“天罰”慎太郎の意向なのだろうが、上野公園とか都の施設でのお花見などは自粛しろとのことである。それって正論のようにも思えるが、被災地で飲んで騒ぐならともかくも何故こちらでお花見してはならないのか、またそうした個人の楽しみに行政が介入するのか理解に苦しむ。
 確かに連日報道される被災地の惨状と被害に遭われた方々の苦難と哀しみ、ご苦労を思えばお花見騒ぎどころではないかもしれない。しかし、それもまた禁止よりしたい人はすれば良いことだし、無駄に電気を使う類のならともかく、日中に個人が集い、春の到来を喜び生きていることに感謝さえするならば何一つ問題ない。ましてこうしたイベントは冷え切った消費喚起となり人は皆元気にもなろう。どうしてそこに行政がとやかく口を挟むのか。

 大震災以降、今音楽ライブなどイベントの中止が相次いでいる。確かに計画停電騒動もあるし、今はまだとてもそんな気分ではないというのは自分の中にもある。音楽や演劇、演芸などに行ったって楽しめないというのが人の正直な気持ちだと思う。
 しかし、憂鬱な気分の時は、引き篭もっていると状態はさらに悪化してさらに鬱々としてくる。酒の力を借りても借りなくても良いが、まずは外に出て外の空気を吸い人と会うことだ。そして人と語らいときに泣き、笑い、溜まった気持ちをいったんすべて吐き出すことだ。

 人には衣食住、そして仕事、それに家族という実際に必要かつ実用的ななくてはならないものがある。一方、いわゆる芸術の類は、不要不急のものであり、まずは衣食住など最低の条件が足りてこそようやく食指が動くものだ。
 まさに、あってもなくても良いものというよりなくてもなくても良いものであり、こうした大災害時にはまずは生活物資、生活再建が優先される。しかしそこの緊急救急の状態が脱すれば、求められ役立つのは音楽などの芸術娯楽であり、本や映画、演劇演芸も同様に萎え疲れた心と体を癒すはずだと信じている。

 そう、人には気分転換が必要なのだ。じっとひたすら目の前の現実に向かい合って、それだけを見ているとやがては頭がおかしくなってくる。悩み考えることで解決され出口が見つかる問題ならともかく大震災のような状況ではすべてに行き場がない。だとすればそこに処方があるとすればひと時でも現実を忘れる時間を持つことだ。良質な芸術はそうした日常を忘れさせてくれるはずだし感動は生きていく大きな力になる。

 都や国をあげて「自粛」「自粛」と民に強いると、世の中はますます暗く鬱々としてくる。先がまだ見えない不安なときだからこそ、桜の花の下で、飲みかつ唄い騒げば真にがんばろうと気分も晴れよう。大震災で亡くなった方々を想い悼むことは重要だし、被災者を支援することは肝心だが、まずはこちらも元気にならないといけない。元気でない人は他者を元気にすることなんてできやしないのだから。

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