今の政治家たち全員嫌い2011年07月05日 21時33分54秒

★政治家たちは地に堕ちた。

 政治のことなど書きたくないし、書いても無力感にただ襲われる。膝も胃も痛く、身動きとれないところにあれこれ急を要する用事が飛び込んでくる。被災地のこともこの国の政治も自らのことも先行きが見えずただ漂流しているような気がしている。どうしたら先行きが見えるのか。事態は打開されるのか。

 書きたいこと、書くべきことは山積みで、パソコンに向かう時間さえとれれば何時間でも書きたいし書けるのだが、日々家の用事で慌しく頭を抱えている。わけあって生活も不規則で、早朝といってもまだ真夜中に起きたり、へんな時間に昼寝したりとメチャクチャになってしまった。が、母や老親たちの容態が悪化したというわけではないので、ご心配くださるな。

 今朝方松本復興相が自らの失言の責任をとって、就任わずか9日目で辞任した。被災地の県知事を前に、言うことをきかなければ助けないぞ、いいか、と見下した横柄な物言いが報じられ何様のつもりかと世間の批判を受けたからだ。そもそも知る限りの政治家とはこうした物腰の人ばかりであり、選挙の時だけは謙虚に地元民に平身低頭でぜひぜひ何卒お願いしますと頭を下げるが、当選してましてエライ地位に上りつけば、偉そうに胡坐かくのが政治家センセイなのである。そんな人間を大臣に任命した菅首相の責任は言わずものだが、そもそも政治家たちはほぼすべて似たり寄ったりの同類だと断言する。松本氏は、「自民も民主も公明も大嫌い」という名言を吐いたが、そういうお前がいちばん嫌いだと申し上げたい。何様のつもりなのか。復興大臣とは江戸時代のお殿様か。

 古来、その器にあらず、という言葉がある。何かをするにあたり、もしそれが大事を任され重責を担う仕事であればこそ、果たしてその任に堪えうるかが問われることは当然だろう。
 自らも常にどんなときでも事にあたり果たしてそれを成しえるのか自分はそもそもその器なのかと自問することがよくある。
 
 例えばの話、もし自分が政治の世界に担ぎ出され、運よく選挙で当選できたとしても、それは町村市議のレベルでも務まるとは思ってもいない。何故ならその器にあらずからだ。その責も能力も自分にはかけらもない。向き不向きは自らがいちばんわかっていることだ。
 ところが今政治の世界ではあきらかに、誰が見ても世の常識として政治家に相応しくない人たちが政治を担当している。今回の松本大臣に限らず、今政治を動かしている人たちは皆そうとうおかしいことは説明不要であろう。
 その理由は簡単で、本人の資質以前に、政治とは代々世襲で受け継ぐ家業であり、国会とは二世、三世どころか政治家一族の巣窟と化している。彼らはまともに社会に出て働き下積みの苦労もしたことはないし、親の跡を継ぎ、ただ漠然と政治家になっていく。麻生太郎や鳩山一族ほどでなくても大資産家の家に生まれ、生活苦とはかけ離れた所から政治の世界に入っていく。これでは庶民の暮らしがわからないはずだし彼らにとっての政治とは権力抗争でしかなく、いかにトップに登りつくか眼目にない。

 では、そうした世襲ではない、市民運動から出発して首相まで登りつめた組織も金もない菅直人という男が政治家の理想かといえば大間違いであり、彼こそその器にあらずと就任以来ずっと世に知らしめている。彼には理念も判断力も信念も昔から何一つなく、あるのはその場その場の姑息な世渡り処世術と口先だけの詭弁だけであり、政治家としての出世欲だけで政界を巧みに泳いできた男だった。
 本来、この大震災が起きなければとっくに首を取り替えられたはずだったが、これを好機、復興復旧こそが我が使命と息を吹き返し、辞任すると公言してからも、一定のメドをつけてからだと言い逃れしてだらだら延命に腐心している。

 この国の悲劇は、菅首相が総理であることだと前にも書いた。しかし、では誰がポスト菅ならば政治はよくなるかと考えた時、暗澹たるものがある。民主党もダメだが、原発を推進してきた自民党だって当然ダメだし、世間知らずの世襲議員たちが政治を動かす限り、みんなの党だって同じ結果は想像に難くない。

 しかし、だからといって、政治も選挙ももうどうでもよい、呆れてもう知ったことかと無関心無関係になってはならないはずだ。バカはいつでも世に多くいるから政治家として、人として上に立つのに不向きな人間をこれからも支持し選び続けるだろう。人は永久に期待を捨てない動物なのだから、自民党がダメだから民主党、民主党がダメだったからみんなの党、あるいは某知事が率いる地域政党へと騙されても裏切られても懲りずに新たに期待していく。
 そうした試行錯誤、模索や混沌の中から、真に政治家の資質を備えた真にその器たる人が登場すれば良いと思うけれど、へたに強いリーダーシップを誇り、カリスマ性のある人気者が首相になったとき、果たしてそこからこの国がどこへ向うのか大いに不安を抱く。

 今の政治家達がダメなのはこの国の民にあった政治家達だからだという論もある。つまり彼らを選んだ相応の結果だということだ。じっさい民主党も自民党も公明党もこの国民の多くが選んだのだ。そして今の菅首相がいるのである。
 政治とは民意の反映に他ならない。だとしたら変わるべきは政治家ではなく、まずこの国の国民、我々自身ではないか。

 このところよく考えるのは、世界を変えたいと願うならばまず自らが変わらない限り世界は何も変わらないということだ。自分は変わらないし、変わりたくないのに、政治だけ変えたい、良くなってほしいと願うほうがおかしい。

 世界は変わる。自らが変われば。いくらでも変わる。
 自らが変わらない限り世界は何も変わらない。このことは真実だ。うんざりとした政治も日常も実は自分が望んだものだったのである。

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