2011年夏、津市河芸での「ええかげん祭り」報告・序 ― 2011年08月09日 21時03分08秒
★長い間お疲れさま、ガスリー坂田さんへ
今東京に戻ってきて、これを記しているわけだが、パンツ一枚で、扇風機をつけても汗びっしょりである。帰って来て思ったのは、節電の東京は今関西のどこよりも暑い。仕方なく親達の部屋には冷房を入れた。今パソコンを打っている裏の部屋はまさに蒸し風呂である。
先日は涼しくて暑さが恋しいとか書いていた我が身を恥じている。
さて、これから今回のミニ関西旅行のことを報告していくわけだが、実質二日間の旅でもいろいろ思い新たに考えさせられることが多々あった。それはフォークソングとは何であるかということと、ライブイベントのあり方として金がとれる芸とは何か、どうあるべきかということだ。
というのも、7日の日曜日には津市河芸の浜辺で、知名度の有る無しに関わらず、多くの新旧フォークミュージシャンが多数参加した「ええかげん祭り」を約12時間全て観て、翌8日は、京都にてお洒落な高額チャージのサパークラブ風ライブハウスで地元の人気パーソナリティが仕切る朗読ライブも観て、その真逆さに驚き深く考えさせられることがあったからだ。何でそんなのに行ったかといえば私淑する有馬敲さんがゲストとして出たからだ。
実は正直に告白すると、自分の中では「うた」及び「詩」に対する思いは、このところ急激に高まっていて、ほぼ寝ているとき以外は一日中考えている。しかし、その反面、外のこと、つまりフォークシンガーのフォークソングに関しては、なぜか醒めてきていて、素晴らしく熱意ある唄い手と出会う機会もなくはないのに、去年までのような何がなんでもというような熱い思いはなくなってしまった。
その理由としてまず考えられるのは、今年5月の大阪春一番での出来事が大きく、個々のミュージシャンのあり方や問題ではまったくないのに、単にイベントとして主催者の考えるそれと、自分が考えていたものがいつしか違ってしまっていて、結果トラブルとなり、長年親しみ大事にしてきた場から追放されてしまったことがやはりトラウマにもなってしまったからだ。当然のことフォークソングをうたうシンガーからも気持ちが離れていくのもいたしかたないかと思う。
その直後の、福島県いわき市で行われた復興支援ライブイベントでは、まだ春一のコーフン覚めやらぬものもあったし、春一系のフォークシンガーが少なかったこともあり、全てが目新しくライブコンサートという催しに熱いものを自分は持ちえていた。
そして新潟でも新たな出会いは新鮮さをもたらし、昂揚するものが大きかったし、いくつかの個々のシンガーのライブでは決して興醒めすることはなかった。
が、ある意味、春一番にもっとも近しい「ええかげん祭り」はどうか、期待しないわけでも乗り気でないわけでもなかったが、不安な気持ちも実はややあった。
結論から言うと、出演者もとても豪華で、素晴らしい演奏も多々あったコンサートであったが、今の自分が感じているフォーソングとの「距離」を改めて確認する機会となってしまった。
それはイベント自体の失敗成功とか演奏の出来不出来でもない。コンサート自体は最後ということもあり客の入りも良く、かなりの盛り上がりを見せたし、決して悪いものではなかった。お誘いした初参加の方々は皆満足され感動したかと信ずる。
しかし自分としては、もう一つ乗り切れず、かつてのような興奮も感動も残念なことに今回は味わうことが出来なく妙に醒めている自らにも違和感を持った。がんばったガスリーには申し訳ないが、これは自分の問題のように思える。
それは、うた、フォークソングというものが、外側にあるもの、他者から与えられるものではなくなってきて、我が身のこの内側にあり、表現を求めているものだとわかってきたからだと思うし、そうした希求する思いと外側にある音楽とが食い違ってきたからではないかと想像する。
しかし、やはり一番のきっかけは今年の春一であり、内在していた風太との問題が、3.11ではないが、そのときを境に一気に噴出して、「距離」として確認できるようになったからと考える。それは悪いことではないし、私的には良いことなのだが、地方でも自腹切って長年がんばって企画してきたガスリー氏には本当に申し訳ない気がしている。
そうした勝手なことをまず告白した上で、ええかげん祭りと、有馬敲さんがゲストとして出て詩を朗読されたライブイベントについて次回から報告していこう。さすがに今日はまだ体中の節々が痛く、足は重くだるくて起きていられない。体調をまず戻してからだ。
今東京に戻ってきて、これを記しているわけだが、パンツ一枚で、扇風機をつけても汗びっしょりである。帰って来て思ったのは、節電の東京は今関西のどこよりも暑い。仕方なく親達の部屋には冷房を入れた。今パソコンを打っている裏の部屋はまさに蒸し風呂である。
先日は涼しくて暑さが恋しいとか書いていた我が身を恥じている。
さて、これから今回のミニ関西旅行のことを報告していくわけだが、実質二日間の旅でもいろいろ思い新たに考えさせられることが多々あった。それはフォークソングとは何であるかということと、ライブイベントのあり方として金がとれる芸とは何か、どうあるべきかということだ。
というのも、7日の日曜日には津市河芸の浜辺で、知名度の有る無しに関わらず、多くの新旧フォークミュージシャンが多数参加した「ええかげん祭り」を約12時間全て観て、翌8日は、京都にてお洒落な高額チャージのサパークラブ風ライブハウスで地元の人気パーソナリティが仕切る朗読ライブも観て、その真逆さに驚き深く考えさせられることがあったからだ。何でそんなのに行ったかといえば私淑する有馬敲さんがゲストとして出たからだ。
実は正直に告白すると、自分の中では「うた」及び「詩」に対する思いは、このところ急激に高まっていて、ほぼ寝ているとき以外は一日中考えている。しかし、その反面、外のこと、つまりフォークシンガーのフォークソングに関しては、なぜか醒めてきていて、素晴らしく熱意ある唄い手と出会う機会もなくはないのに、去年までのような何がなんでもというような熱い思いはなくなってしまった。
その理由としてまず考えられるのは、今年5月の大阪春一番での出来事が大きく、個々のミュージシャンのあり方や問題ではまったくないのに、単にイベントとして主催者の考えるそれと、自分が考えていたものがいつしか違ってしまっていて、結果トラブルとなり、長年親しみ大事にしてきた場から追放されてしまったことがやはりトラウマにもなってしまったからだ。当然のことフォークソングをうたうシンガーからも気持ちが離れていくのもいたしかたないかと思う。
その直後の、福島県いわき市で行われた復興支援ライブイベントでは、まだ春一のコーフン覚めやらぬものもあったし、春一系のフォークシンガーが少なかったこともあり、全てが目新しくライブコンサートという催しに熱いものを自分は持ちえていた。
そして新潟でも新たな出会いは新鮮さをもたらし、昂揚するものが大きかったし、いくつかの個々のシンガーのライブでは決して興醒めすることはなかった。
が、ある意味、春一番にもっとも近しい「ええかげん祭り」はどうか、期待しないわけでも乗り気でないわけでもなかったが、不安な気持ちも実はややあった。
結論から言うと、出演者もとても豪華で、素晴らしい演奏も多々あったコンサートであったが、今の自分が感じているフォーソングとの「距離」を改めて確認する機会となってしまった。
それはイベント自体の失敗成功とか演奏の出来不出来でもない。コンサート自体は最後ということもあり客の入りも良く、かなりの盛り上がりを見せたし、決して悪いものではなかった。お誘いした初参加の方々は皆満足され感動したかと信ずる。
しかし自分としては、もう一つ乗り切れず、かつてのような興奮も感動も残念なことに今回は味わうことが出来なく妙に醒めている自らにも違和感を持った。がんばったガスリーには申し訳ないが、これは自分の問題のように思える。
それは、うた、フォークソングというものが、外側にあるもの、他者から与えられるものではなくなってきて、我が身のこの内側にあり、表現を求めているものだとわかってきたからだと思うし、そうした希求する思いと外側にある音楽とが食い違ってきたからではないかと想像する。
しかし、やはり一番のきっかけは今年の春一であり、内在していた風太との問題が、3.11ではないが、そのときを境に一気に噴出して、「距離」として確認できるようになったからと考える。それは悪いことではないし、私的には良いことなのだが、地方でも自腹切って長年がんばって企画してきたガスリー氏には本当に申し訳ない気がしている。
そうした勝手なことをまず告白した上で、ええかげん祭りと、有馬敲さんがゲストとして出て詩を朗読されたライブイベントについて次回から報告していこう。さすがに今日はまだ体中の節々が痛く、足は重くだるくて起きていられない。体調をまず戻してからだ。
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