またここからこの場所から始めていく ― 2012年05月11日 08時50分04秒
★ご迷惑おかけしました。ようやく落ち着きました。
五月の爽やかなひんやりしたやや強い風が吹くよく晴れ渡った朝だ。このところ雷と共にザーと雨が降ることが多いので、空気もしっとりとして気持ち良い。朝から散歩して思いっきり深呼吸した。
明鏡止水、という言葉があるが、ようやく今日は心静かに久々にブログを書き出した。このところ家内がごたごたしてブログも何も書けなかった。一応、その日ごとのスペースは空けてあるので、後程書き足していくことはできるわけだが、今週は火曜日5月8日から3日間お休みしてしまった。が、じっさいその最中には気持ちが動転して書いたとしても嘆きや支離滅裂なものにしかならず読み手を困惑させるかまたご心配かけるだけであっただろう。
昨晩は声を上げて思いっきり泣いた。大の男が、それももう世間では孫子がいたっておかしくもない歳の初老の男が情けなく恥ずかしい話だが本当のことだ。思い切り泣いて悲しみや嘆き、憤りの感情などずっと心の奥深くに溜まりに溜まっていた負の感情を吐き出した。おかげで今はすっきりしている。
今、心は山の中にある湖の湖面のように、ひんやりと澄み渡り波ひとつなく穏やかだ。だが、哀しみや不安などはその水の下、湖底奥深くに沈んでいる。その感情がまた表に浮かび上がってくるかはわからないが、常に存在は意識したうえで、できるだけ湖面が荒れることないよう静かに生きていきたいと願う。
自分は「神」の存在を信じるようになり、いや、認めるようになってから、この世の全てのことは神の意志、天の配剤、計らいだと思ってきた。むろん、人智を尽くして天命を待つしかできないのが人間だが、もっと大きくすべてのことに神が、天、つまり見えないが、確かに存在する力あるものが関わっていると確信していた。
ゆえに良いことも悪いこともすべて起こることは必然であり、理由がある。ならばそれに抗うことなく、すべてを受け入れてその流れに従って生きていこうと決意していた。前にも書いたが、それが良い、すべき自然の摂理にかなったことならば、神のご加護のもとどんなことでもうまくスムーズに動いて成功するはずだし、そうならないことはやはり無理のあるすべきではないことなのだとわかってきた。
ただ、そうした失敗や悪いこと、辛く苦しいことでも全てのことには意味があり、そうした苦難こそが神が与えた試練であり、それを体験して乗り越えたところに真の歓喜、栄光があることもわかってきた。登山を例に出せばわかることだが、重い荷を負い辛い登りがあってそれに耐えてこそ山頂に着いた時の喜びがある。つまり苦難苦痛があるから山頂に立った時の喜びも増すわけで、その手間を省いて、楽してリフトやケーブルカーで上ったのでは喜びもないどころか山登りそのものの価値がない。
人生もまた同じで、苦労せず楽ばかりして育ち生きている人は実のところ人生そのものさえ味わっていないのである。金があり湯水のように金を使える人は結局のところその金の価値、有難さを知らない。
そう考えて、もはやどのようなことがあろうとも嘆きも悲しみもせず動じず受け入れていこう、そうできるはずだと思っていた。老犬が死のうとそれは必然であり、天寿を全うした大往生ならば何を哀しむことがあろうか。出会いあれば別れもまた必然なのである。どうしてそれが受け入れない。
ところが、人の心は弱いもので、頭で考えていることとじっさいの感情はまた違う。違うというより別に存在しているようで、理性では理解し割り切っているはずでも気持ちはそう折り合えない。長いあいだ続いてきた日常が「別れ」により断ち切られてしまうと、すぐにスパッと新たな状況に何もかもが移れない。対応できない。全て起きることは神の意志だと理解していてもその事態を心はすぐに受け入れられないのだ。そのことをこの数日痛感した。
老犬ロビンが死んだことはもう癒えたと思っていた。そこに、今度は先日我が家にふらった参入してきた中猫、黒猫のクロスケ君が失踪してしまった。水曜日の朝から忽然と姿が消えて、町内どこを探してもみつからない。まるで神隠しである。家族全員で手を尽くして探した。今日金曜で三日目。おそらくもう帰ってこないだろう。老親も嘆いて少し心身に変調をきたした。情けない話だが、自分もまたこの数日何も手につかなかった。
たかが猫一匹、それもまだウチに来て二か月足らずの関係なのにである。ようやくこのことを記せてほっとしている。経緯についてはもう一回書き記したいが、今はようやくそれが彼の「役割」だったのかと思えてきた。そう、我が家にとって一番大変な時期、彼は我々をじゅうにぶんに癒し救ってくれたのだ。
五月の爽やかなひんやりしたやや強い風が吹くよく晴れ渡った朝だ。このところ雷と共にザーと雨が降ることが多いので、空気もしっとりとして気持ち良い。朝から散歩して思いっきり深呼吸した。
明鏡止水、という言葉があるが、ようやく今日は心静かに久々にブログを書き出した。このところ家内がごたごたしてブログも何も書けなかった。一応、その日ごとのスペースは空けてあるので、後程書き足していくことはできるわけだが、今週は火曜日5月8日から3日間お休みしてしまった。が、じっさいその最中には気持ちが動転して書いたとしても嘆きや支離滅裂なものにしかならず読み手を困惑させるかまたご心配かけるだけであっただろう。
昨晩は声を上げて思いっきり泣いた。大の男が、それももう世間では孫子がいたっておかしくもない歳の初老の男が情けなく恥ずかしい話だが本当のことだ。思い切り泣いて悲しみや嘆き、憤りの感情などずっと心の奥深くに溜まりに溜まっていた負の感情を吐き出した。おかげで今はすっきりしている。
今、心は山の中にある湖の湖面のように、ひんやりと澄み渡り波ひとつなく穏やかだ。だが、哀しみや不安などはその水の下、湖底奥深くに沈んでいる。その感情がまた表に浮かび上がってくるかはわからないが、常に存在は意識したうえで、できるだけ湖面が荒れることないよう静かに生きていきたいと願う。
自分は「神」の存在を信じるようになり、いや、認めるようになってから、この世の全てのことは神の意志、天の配剤、計らいだと思ってきた。むろん、人智を尽くして天命を待つしかできないのが人間だが、もっと大きくすべてのことに神が、天、つまり見えないが、確かに存在する力あるものが関わっていると確信していた。
ゆえに良いことも悪いこともすべて起こることは必然であり、理由がある。ならばそれに抗うことなく、すべてを受け入れてその流れに従って生きていこうと決意していた。前にも書いたが、それが良い、すべき自然の摂理にかなったことならば、神のご加護のもとどんなことでもうまくスムーズに動いて成功するはずだし、そうならないことはやはり無理のあるすべきではないことなのだとわかってきた。
ただ、そうした失敗や悪いこと、辛く苦しいことでも全てのことには意味があり、そうした苦難こそが神が与えた試練であり、それを体験して乗り越えたところに真の歓喜、栄光があることもわかってきた。登山を例に出せばわかることだが、重い荷を負い辛い登りがあってそれに耐えてこそ山頂に着いた時の喜びがある。つまり苦難苦痛があるから山頂に立った時の喜びも増すわけで、その手間を省いて、楽してリフトやケーブルカーで上ったのでは喜びもないどころか山登りそのものの価値がない。
人生もまた同じで、苦労せず楽ばかりして育ち生きている人は実のところ人生そのものさえ味わっていないのである。金があり湯水のように金を使える人は結局のところその金の価値、有難さを知らない。
そう考えて、もはやどのようなことがあろうとも嘆きも悲しみもせず動じず受け入れていこう、そうできるはずだと思っていた。老犬が死のうとそれは必然であり、天寿を全うした大往生ならば何を哀しむことがあろうか。出会いあれば別れもまた必然なのである。どうしてそれが受け入れない。
ところが、人の心は弱いもので、頭で考えていることとじっさいの感情はまた違う。違うというより別に存在しているようで、理性では理解し割り切っているはずでも気持ちはそう折り合えない。長いあいだ続いてきた日常が「別れ」により断ち切られてしまうと、すぐにスパッと新たな状況に何もかもが移れない。対応できない。全て起きることは神の意志だと理解していてもその事態を心はすぐに受け入れられないのだ。そのことをこの数日痛感した。
老犬ロビンが死んだことはもう癒えたと思っていた。そこに、今度は先日我が家にふらった参入してきた中猫、黒猫のクロスケ君が失踪してしまった。水曜日の朝から忽然と姿が消えて、町内どこを探してもみつからない。まるで神隠しである。家族全員で手を尽くして探した。今日金曜で三日目。おそらくもう帰ってこないだろう。老親も嘆いて少し心身に変調をきたした。情けない話だが、自分もまたこの数日何も手につかなかった。
たかが猫一匹、それもまだウチに来て二か月足らずの関係なのにである。ようやくこのことを記せてほっとしている。経緯についてはもう一回書き記したいが、今はようやくそれが彼の「役割」だったのかと思えてきた。そう、我が家にとって一番大変な時期、彼は我々をじゅうにぶんに癒し救ってくれたのだ。
また、ここからこの場所から ― 2012年05月12日 11時20分43秒
★感謝の気持ちをこめて、クロスケの記憶
外は雲が広がり暗くなってきたかと思うと突然強い風が吹き、遠くで雷が鳴る。するとざーと雨が降り出す。このところ午後になるといっとき雨が降り、夕方になると上がってまた晴れ渡る。
今日も洗濯物を干したのだけれど、昼食をとっていたら曇ってきて、様子を見てたら小雨がぱらつき始めた。慌てて、線路のフェンスに干した衣類は車の中にとりあえず取り込んだ。
昨晩は遠く町田の先までライブに出かけて帰ったのも寝たのも遅かったので、昼食後の仮眠をとった。気持ちよく眠って起きたら外はまた明るく晴れている。湿っている洗濯物を再び干して今パソコンに向かっている。さて、これからどうしようか。
外は晴れているが、木枯らしのように北風が音を立ててて吹き荒れている。気温は低く夜は寒くなりそうだ。ようやく混乱していた頭も気持ちもすっきり晴れた。何をどうすべきか、迷っていた心の陰り、憂鬱もこの強い風に吹き飛ばされたようだ。それもこれも全てふらりとやって来てふいっと消えた一匹の猫のおかげである。
今晩はちょっと吉祥寺に出かける用事がある。戻ったら続きを書き足したい。
外は雲が広がり暗くなってきたかと思うと突然強い風が吹き、遠くで雷が鳴る。するとざーと雨が降り出す。このところ午後になるといっとき雨が降り、夕方になると上がってまた晴れ渡る。
今日も洗濯物を干したのだけれど、昼食をとっていたら曇ってきて、様子を見てたら小雨がぱらつき始めた。慌てて、線路のフェンスに干した衣類は車の中にとりあえず取り込んだ。
昨晩は遠く町田の先までライブに出かけて帰ったのも寝たのも遅かったので、昼食後の仮眠をとった。気持ちよく眠って起きたら外はまた明るく晴れている。湿っている洗濯物を再び干して今パソコンに向かっている。さて、これからどうしようか。
外は晴れているが、木枯らしのように北風が音を立ててて吹き荒れている。気温は低く夜は寒くなりそうだ。ようやく混乱していた頭も気持ちもすっきり晴れた。何をどうすべきか、迷っていた心の陰り、憂鬱もこの強い風に吹き飛ばされたようだ。それもこれも全てふらりとやって来てふいっと消えた一匹の猫のおかげである。
今晩はちょっと吉祥寺に出かける用事がある。戻ったら続きを書き足したい。
また、ここからこの場所から・続き ― 2012年05月12日 16時41分42秒
★感謝の気持ちをこめて、クロスケの記憶・続き
今冷静になって思い返して、実に不思議な猫だったと思う。すいぶん沢山猫は飼ってきたけれど、あんな猫は会ったことがない。冗談ではなく神が使わしてくれたのだと今は思っている。
3.24日の拙宅、古本音楽ハウス「無頼庵」のオープニングイベントの準備で、ライブスペースとなる部屋の片づけや準備に追われていた頃、手伝いに来てくれた友人と昼食に出て、帰り道、近所にある消防署の前で真黒のオスの子猫を拾った。
生後たぶん三ヶ月は過ぎていて、可愛い盛りのうんと子猫ではない。人間で言えば小学校高学年から中学生ぐらいの中猫で、まだ大人ではないが子猫でもない年頃で、風邪をひいていたのか目も鼻もグズグズでか細く鳴いていた。そこは車が行き交う大通りの歩道で、そこにぽつねんと座って通る人を見上げていた。近づいても逃げようともしないし、抱きかかえてもおとなしい。ちっとも人見知りしないからどうやら飼い猫で迷子になったようだった。首輪の跡も残っていたがガリガリに痩せている。
そのままにしておくと、道に出て車にはねられると思い、ともかく抱いて家に連れ帰った。後ほど飼主を探せばと。家に来てずっと空腹だったのかガツガツ餌を食いミルクを飲んだ。
その猫は無頼庵のパーティでも会場に上がって皆に抱かれたりしていたからご存知の方もいるかと思う。、ともかく人懐こい、まったく物怖じしない性格で不思議なことにウチの犬たちともすぐに打ち解けた。ふつうは犬を怖れない猫などいない。怖れるどころか、まるで以前からこの家で共に暮らしていたかのように、高齢で弱ってきていたロビンが大好きで、心配しているかのようにロビンの小屋に入って一緒に眠ったりもしていた。
我が家に来たばかりにしてはあまりに動じず、猫ドアの位置もすぐに理解したことも驚きであったし、犬たちもまるで旧知のように自然に彼を受け入れた。ただ、前からいた老メス猫二匹は、よそ者の子猫が来たと最初は事態を受け入れずかなり怒っていたけれど。生まれて数ヶ月の若猫にしてはちっともおもちゃで遊ばないし、食べては寝てを繰り返し、子猫ぽくない。後はともかく人の後をついてまわって、人間、特に拾われた恩義からか増坊が好きでたまらないようであった。
この家にあまりに馴染んでいるし、犬たちも驚きも怒りもせずにすぐ受け入れたので、これはたぶん前にこの家にいた猫の生まれ変わりかと思えた。そういえば1年ほど前に、約20年も生きた黒猫、クロ母さんが死んでいなくなった。たぶんその魂が、また黒いオス猫に入ってきたのではないかと家人は噂した。
そうして本当の飼主を探すどころか、いつしかこの家の元からいた猫のようにごく自然に黒猫は居ついてしまい、有る意味、家のマスコット、守り神のように、家族の一員となったのだ。となると名前をつけないとならない。黒いからクロというのではあまりに安直なので、今回はクロスケと一応は名づけた。
拙ブログ読者はご存知のように、老齢のメス犬ロビンが今春から体調がじょじょに弱ってきて、家族はその世話に追われたし日ましに悪化していくその様子に気持ちも陰鬱になってきた。けれど、クロスケの存在はその日々のなかで救いであり、ただ、ロビンの周囲をちょろちょろするだけでもずいぶん癒された。自分は猫好きではないと思っていたが、その柔らかい暖かいからだを抱きしめて眠ると不安な心は落ち着くことを知った。
そうして我家には欠かせない存在となったクロスケであったが、ウチには猫に関しては絶対的な法則があるので、たぶん彼もやがてはこの家からいなくなるものだと覚悟していた。
猫を飼った人ならおわかりかと思うが、オス猫は家になかなか居つかない。何故なら、猫はトラ、ライオンと同じく縄張りがあるので、その町内を支配するボス猫と闘わねばならない。闘ってボスになれば幸いだけれど、たいていは、ある程度の年齢になると、オスは忽然と姿を消してしまう。それはポス猫に追い出されてしまうのか、それとも修行の旅にでるのかわからないが、ともかくもう二度と返ってこない。
もう何年か経つが、たび次郎という黒猫だけれど手足だけが白い若いオス猫がウチにいたことがあった。家族はずいぶん可愛がったが、二歳になった頃、ある日突然、忽然と姿を消してしまった。その頃は増坊の親父もまだ元気だったから、大いに嘆き哀しんで、わざわざ探し猫の貼紙を何枚も作って町中に貼って捜し歩いた。が、神隠しにあったようにどれだけ探しても何も手がかりなくけっきょく似たような猫を知らせてくれた奇特な人もいたけれど彼は返ってこなかった。
そうした悲しい経緯が何度もあったから、クロスケもオスなので、今はともかく大人になればきっといなくなってしまうだろうと思っていた。だからいくら甘えてきても、先の別れのことも頭にあったからあえてそっけなく、あまりかまってやらなかった。絶対なくてはならない存在にしてしまえば、いなくなったときまたしばらくショックで立ち直れなくなるではないか。
そして、ロビンが先月末、ついに天寿を全うして、家族、残された者たち全員で見送った。その後に、今月8日、母の弟妹たち全員が我家に集って、母の快気祝いをかねて「兄弟会」があった。
母は今年82歳となり、長女だったので下には妹4人、弟2人がまだ元気でいる。癌は完全に治癒したわけではないけれど、抗癌剤と丸山ワクチンが効いたのか、おかげ様でこのところ体調はずいぶん良くなってほぼ病気前の状態に体調も体重も戻れた。それを祝って、改築となった我家を訪れることも目的に母方の親戚一堂が集まったのである。
クロスケもその日、皆に抱かれて、こんな人なつっこい、物怖じしない猫は珍しいと大人気であった。そして夕方、皆が帰る頃、我家の前で記念写真を撮っていたら出てきて一緒に写真にも加わった。そしてそれが彼の姿を見た最後であった。
翌日の朝、9日の水曜日、起きたらふと不安な気がした。クロスケの姿が見えない。親たちのベッドに寝ているのかと思って探したけれどどこにもいない。やがて帰ってくるかと待っていても昼になっても戻らない。そしてあちこち皆で手を尽くして探したけれど8日の晩、寝る前には居間の母の席にいたけれどそれっきり忽然と姿を消してしまったのである。
オスだからやがてはいなくなるとは思っていた。が、まさかこんなに早くまだ大人にもなっていないのに消えてしまうとは思ってもいない。彼がこの家に着てからたったの二ヶ月。でも今思えば、いちばんあれこれあって大変な時期に彼がいてくれて我家皆が救われた。そして母の快気祝いの日まで立ち会って、それを見届けて去ったのだと気づく。つまり彼の役割、使命をもってこの家に来て、それが終わったのでまたどこか別のところへ行ってしまったのだと思うしかない。
昨日は近くの猫返しのご利益で知られる神社に出向いたが夕方で入れなかったので今日再度行き猫の絵のついた絵馬を買ってきた。砂川にある阿豆佐味天神である。警察にも猫失踪の届けを出したし保健所にも問い合わせをした。が、たぶんもう彼は戻ってはこない。でもそれも神の意思であり、クロスケは彼の役割を果たしたのだからもうそれはそれで仕方ない。
それでも朝晩今も祈っている。どうかもう一度彼と会わせてください。そして今度こそ彼の愛情に精一杯こたえてしっかり愛してあげたいと。
今冷静になって思い返して、実に不思議な猫だったと思う。すいぶん沢山猫は飼ってきたけれど、あんな猫は会ったことがない。冗談ではなく神が使わしてくれたのだと今は思っている。
3.24日の拙宅、古本音楽ハウス「無頼庵」のオープニングイベントの準備で、ライブスペースとなる部屋の片づけや準備に追われていた頃、手伝いに来てくれた友人と昼食に出て、帰り道、近所にある消防署の前で真黒のオスの子猫を拾った。
生後たぶん三ヶ月は過ぎていて、可愛い盛りのうんと子猫ではない。人間で言えば小学校高学年から中学生ぐらいの中猫で、まだ大人ではないが子猫でもない年頃で、風邪をひいていたのか目も鼻もグズグズでか細く鳴いていた。そこは車が行き交う大通りの歩道で、そこにぽつねんと座って通る人を見上げていた。近づいても逃げようともしないし、抱きかかえてもおとなしい。ちっとも人見知りしないからどうやら飼い猫で迷子になったようだった。首輪の跡も残っていたがガリガリに痩せている。
そのままにしておくと、道に出て車にはねられると思い、ともかく抱いて家に連れ帰った。後ほど飼主を探せばと。家に来てずっと空腹だったのかガツガツ餌を食いミルクを飲んだ。
その猫は無頼庵のパーティでも会場に上がって皆に抱かれたりしていたからご存知の方もいるかと思う。、ともかく人懐こい、まったく物怖じしない性格で不思議なことにウチの犬たちともすぐに打ち解けた。ふつうは犬を怖れない猫などいない。怖れるどころか、まるで以前からこの家で共に暮らしていたかのように、高齢で弱ってきていたロビンが大好きで、心配しているかのようにロビンの小屋に入って一緒に眠ったりもしていた。
我が家に来たばかりにしてはあまりに動じず、猫ドアの位置もすぐに理解したことも驚きであったし、犬たちもまるで旧知のように自然に彼を受け入れた。ただ、前からいた老メス猫二匹は、よそ者の子猫が来たと最初は事態を受け入れずかなり怒っていたけれど。生まれて数ヶ月の若猫にしてはちっともおもちゃで遊ばないし、食べては寝てを繰り返し、子猫ぽくない。後はともかく人の後をついてまわって、人間、特に拾われた恩義からか増坊が好きでたまらないようであった。
この家にあまりに馴染んでいるし、犬たちも驚きも怒りもせずにすぐ受け入れたので、これはたぶん前にこの家にいた猫の生まれ変わりかと思えた。そういえば1年ほど前に、約20年も生きた黒猫、クロ母さんが死んでいなくなった。たぶんその魂が、また黒いオス猫に入ってきたのではないかと家人は噂した。
そうして本当の飼主を探すどころか、いつしかこの家の元からいた猫のようにごく自然に黒猫は居ついてしまい、有る意味、家のマスコット、守り神のように、家族の一員となったのだ。となると名前をつけないとならない。黒いからクロというのではあまりに安直なので、今回はクロスケと一応は名づけた。
拙ブログ読者はご存知のように、老齢のメス犬ロビンが今春から体調がじょじょに弱ってきて、家族はその世話に追われたし日ましに悪化していくその様子に気持ちも陰鬱になってきた。けれど、クロスケの存在はその日々のなかで救いであり、ただ、ロビンの周囲をちょろちょろするだけでもずいぶん癒された。自分は猫好きではないと思っていたが、その柔らかい暖かいからだを抱きしめて眠ると不安な心は落ち着くことを知った。
そうして我家には欠かせない存在となったクロスケであったが、ウチには猫に関しては絶対的な法則があるので、たぶん彼もやがてはこの家からいなくなるものだと覚悟していた。
猫を飼った人ならおわかりかと思うが、オス猫は家になかなか居つかない。何故なら、猫はトラ、ライオンと同じく縄張りがあるので、その町内を支配するボス猫と闘わねばならない。闘ってボスになれば幸いだけれど、たいていは、ある程度の年齢になると、オスは忽然と姿を消してしまう。それはポス猫に追い出されてしまうのか、それとも修行の旅にでるのかわからないが、ともかくもう二度と返ってこない。
もう何年か経つが、たび次郎という黒猫だけれど手足だけが白い若いオス猫がウチにいたことがあった。家族はずいぶん可愛がったが、二歳になった頃、ある日突然、忽然と姿を消してしまった。その頃は増坊の親父もまだ元気だったから、大いに嘆き哀しんで、わざわざ探し猫の貼紙を何枚も作って町中に貼って捜し歩いた。が、神隠しにあったようにどれだけ探しても何も手がかりなくけっきょく似たような猫を知らせてくれた奇特な人もいたけれど彼は返ってこなかった。
そうした悲しい経緯が何度もあったから、クロスケもオスなので、今はともかく大人になればきっといなくなってしまうだろうと思っていた。だからいくら甘えてきても、先の別れのことも頭にあったからあえてそっけなく、あまりかまってやらなかった。絶対なくてはならない存在にしてしまえば、いなくなったときまたしばらくショックで立ち直れなくなるではないか。
そして、ロビンが先月末、ついに天寿を全うして、家族、残された者たち全員で見送った。その後に、今月8日、母の弟妹たち全員が我家に集って、母の快気祝いをかねて「兄弟会」があった。
母は今年82歳となり、長女だったので下には妹4人、弟2人がまだ元気でいる。癌は完全に治癒したわけではないけれど、抗癌剤と丸山ワクチンが効いたのか、おかげ様でこのところ体調はずいぶん良くなってほぼ病気前の状態に体調も体重も戻れた。それを祝って、改築となった我家を訪れることも目的に母方の親戚一堂が集まったのである。
クロスケもその日、皆に抱かれて、こんな人なつっこい、物怖じしない猫は珍しいと大人気であった。そして夕方、皆が帰る頃、我家の前で記念写真を撮っていたら出てきて一緒に写真にも加わった。そしてそれが彼の姿を見た最後であった。
翌日の朝、9日の水曜日、起きたらふと不安な気がした。クロスケの姿が見えない。親たちのベッドに寝ているのかと思って探したけれどどこにもいない。やがて帰ってくるかと待っていても昼になっても戻らない。そしてあちこち皆で手を尽くして探したけれど8日の晩、寝る前には居間の母の席にいたけれどそれっきり忽然と姿を消してしまったのである。
オスだからやがてはいなくなるとは思っていた。が、まさかこんなに早くまだ大人にもなっていないのに消えてしまうとは思ってもいない。彼がこの家に着てからたったの二ヶ月。でも今思えば、いちばんあれこれあって大変な時期に彼がいてくれて我家皆が救われた。そして母の快気祝いの日まで立ち会って、それを見届けて去ったのだと気づく。つまり彼の役割、使命をもってこの家に来て、それが終わったのでまたどこか別のところへ行ってしまったのだと思うしかない。
昨日は近くの猫返しのご利益で知られる神社に出向いたが夕方で入れなかったので今日再度行き猫の絵のついた絵馬を買ってきた。砂川にある阿豆佐味天神である。警察にも猫失踪の届けを出したし保健所にも問い合わせをした。が、たぶんもう彼は戻ってはこない。でもそれも神の意思であり、クロスケは彼の役割を果たしたのだからもうそれはそれで仕方ない。
それでも朝晩今も祈っている。どうかもう一度彼と会わせてください。そして今度こそ彼の愛情に精一杯こたえてしっかり愛してあげたいと。
まさに霊験あらたか猫返し神社・阿豆佐味天神社 ― 2012年05月13日 14時30分18秒
★クロスケ奇跡の生還、無事に帰ってきました!!
今でもまだ信じられないというか、夢のような気がして実感がわかない。そう、まさに夢を見ているような気分である。覚めない夢であってほしい。
昨晩、12日の夜、終電で帰ってきたら、玄関の中は灯りがついていて、いったいどうしたことかと不安に思ったら階段下に紙が置いてあり、「クロスケ返って来ました、今、ジイさんと寝てます」と母の書置きがあった。目を疑った。信じられなかった。さっそく裏の親たちの部屋に行き、寝ている彼らを起こして父のふとんをめくったら中で長くなって黒い猫が寝ていた。さわって確認してクロスケが戻ったことをようやく理解した。それでも何だか夢のような気分であった。もう完全に諦めていたのだから。
何でも夜の9時過ぎに、駅前の交番から電話があり、お宅の電話番号のある名札と鈴のついた首輪の黒い小猫を保護していると連絡があり慌てて引き取りに行ったとのことであった。警察の話では、女の人が歩いていたら猫が後をいてくるので困って保護を頼んだらしい。その人は名前も名乗らずすぐに立ち去ったので、いったいどこにクロスケがいたのかわからない。ただ、駅前まではウチからは人間の足でも10分近くかかる。その人が交番まで連れて行ったのでないとしたら大通りを越えてずいぶん遠くのほうにまで行っていたことになる。これではいくら近所界隈をくまなく探してもみつかるわけがない。失踪したのが9日水曜の朝だから実に四日間もどこにいたのだろう。
真夜中に、寝ていたら前のようにニャンニャン鳴きながらビニール紐をぶらさげて二階の増坊のベッドに黒猫が上がってきた。またいなくならないよう父が紐でつないでたぶん握っていたのだ。が、紐がからむと危ないので、紐を外し猫ドアも全部閉めてしばらくしてから老親たちの部屋にクロスケを戻した。まだ外は真っ暗だった。
そして今朝方、ベッドの中で目覚めて、はたとクロスケが帰ってきたこと、あれは夢だったのかと自問した。人は願望を夢の中でかなえる。目覚めてから夢だと気づき挫折感のような気分になる。だが、下の台所に降りたら、前と同じく黒い猫がかぼそく鳴きながら近づいてきて餌をねだった。すっかり痩せて一回り細くなってしまっていたけれど間違いなくクロスケ君であった。抱き上げて胸に抱きしめてようやくこれは現実なのだ、夢ではないと確信した。泣きはしなかったけれど神のご加護、特に猫返し神社の霊験に深い感動を覚えた。
クロスケが帰ってきたことまさに奇跡のように思える。もう戻るはずないものと諦めていた。今もまだ夢見心地である。ただ、猫のことだから紐つけたり室内に閉じ込めておくこともできない。いつまたふらっといなくなるかもしれない。その不安は今もつよくある。だからこそその覚悟はしておこう。そしてそのときがきても悔やむことないよう、日々そのときどき常にいっしょうけんめいとことん可愛がって心して接していこう。
そのことは猫に限らない。老親だって犬だっていつぼっくり逝くか。すべてこの世のことは一期一会、先のことはどうなるか何が起こるか全くわからないと心すべしである。
今クロスケは抱きかかえて二階の増坊のベッドに連れて来て丸くなって眠っている。午前中も抱いてひとしきり一緒に眠った。彼も疲れて安心したのだろう。ようやく戻ってきたのだ、これは夢ではないのだと実感できた。お騒がせしました。もうこれでじゅうぶん、もう何も望まない。そしてまた何が起きても感謝の気持ちで受け入れられる。ありがとうございました。ご心配おかけしました。どうか皆様にも神のご加護がありますように。
今でもまだ信じられないというか、夢のような気がして実感がわかない。そう、まさに夢を見ているような気分である。覚めない夢であってほしい。
昨晩、12日の夜、終電で帰ってきたら、玄関の中は灯りがついていて、いったいどうしたことかと不安に思ったら階段下に紙が置いてあり、「クロスケ返って来ました、今、ジイさんと寝てます」と母の書置きがあった。目を疑った。信じられなかった。さっそく裏の親たちの部屋に行き、寝ている彼らを起こして父のふとんをめくったら中で長くなって黒い猫が寝ていた。さわって確認してクロスケが戻ったことをようやく理解した。それでも何だか夢のような気分であった。もう完全に諦めていたのだから。
何でも夜の9時過ぎに、駅前の交番から電話があり、お宅の電話番号のある名札と鈴のついた首輪の黒い小猫を保護していると連絡があり慌てて引き取りに行ったとのことであった。警察の話では、女の人が歩いていたら猫が後をいてくるので困って保護を頼んだらしい。その人は名前も名乗らずすぐに立ち去ったので、いったいどこにクロスケがいたのかわからない。ただ、駅前まではウチからは人間の足でも10分近くかかる。その人が交番まで連れて行ったのでないとしたら大通りを越えてずいぶん遠くのほうにまで行っていたことになる。これではいくら近所界隈をくまなく探してもみつかるわけがない。失踪したのが9日水曜の朝だから実に四日間もどこにいたのだろう。
真夜中に、寝ていたら前のようにニャンニャン鳴きながらビニール紐をぶらさげて二階の増坊のベッドに黒猫が上がってきた。またいなくならないよう父が紐でつないでたぶん握っていたのだ。が、紐がからむと危ないので、紐を外し猫ドアも全部閉めてしばらくしてから老親たちの部屋にクロスケを戻した。まだ外は真っ暗だった。
そして今朝方、ベッドの中で目覚めて、はたとクロスケが帰ってきたこと、あれは夢だったのかと自問した。人は願望を夢の中でかなえる。目覚めてから夢だと気づき挫折感のような気分になる。だが、下の台所に降りたら、前と同じく黒い猫がかぼそく鳴きながら近づいてきて餌をねだった。すっかり痩せて一回り細くなってしまっていたけれど間違いなくクロスケ君であった。抱き上げて胸に抱きしめてようやくこれは現実なのだ、夢ではないと確信した。泣きはしなかったけれど神のご加護、特に猫返し神社の霊験に深い感動を覚えた。
クロスケが帰ってきたことまさに奇跡のように思える。もう戻るはずないものと諦めていた。今もまだ夢見心地である。ただ、猫のことだから紐つけたり室内に閉じ込めておくこともできない。いつまたふらっといなくなるかもしれない。その不安は今もつよくある。だからこそその覚悟はしておこう。そしてそのときがきても悔やむことないよう、日々そのときどき常にいっしょうけんめいとことん可愛がって心して接していこう。
そのことは猫に限らない。老親だって犬だっていつぼっくり逝くか。すべてこの世のことは一期一会、先のことはどうなるか何が起こるか全くわからないと心すべしである。
今クロスケは抱きかかえて二階の増坊のベッドに連れて来て丸くなって眠っている。午前中も抱いてひとしきり一緒に眠った。彼も疲れて安心したのだろう。ようやく戻ってきたのだ、これは夢ではないのだと実感できた。お騒がせしました。もうこれでじゅうぶん、もう何も望まない。そしてまた何が起きても感謝の気持ちで受け入れられる。ありがとうございました。ご心配おかけしました。どうか皆様にも神のご加護がありますように。
大泣き健康法のススメ ― 2012年05月14日 21時55分29秒
★感情を心のうちに溜めないことだと
昔、この国に、笑う宗教というものがあったと記憶するし、世の中には笑う健康法、笑うことを奨励する運動は沢山ある。先日BSで見た、ドイツのあるグループでも、定期的に集まってはただ皆で、輪になってアハハハハ、と大笑いして騒いでいた。ただ皆でひたすら大笑いするだけであるがそれがストレス発散に繋がるし、一種の健康目的の運動なのだという。そう、笑いは免疫力を高めるし、その効力は多くの本にもしっかり書かれている。癌にも笑いが効果的だと説く健康法もあった。
古来、笑う角には福来ると言われるが、このところ気がついたことは、泣く、それもできるだけ声を上げるほどしっかり泣くということは笑うよりまして精神衛生上とても大事なことなのではないだろうか。
先日、このところのいろいろあれこれありすぎて、心の中が哀しみや屈託や憤りなど負の感情でいっぱいになってついに泣くという行為で爆発してしまった。そしてひとしきりとことん泣いた後は、問題は何一つ解決も進展もしていないのに気持ちはとてもスッキリした。妙に落ち着いてしまい自分でも不思議であった。そう、泣くことは相応の感情抑制もしくは発散解消の効果がある。溜まっていたストレスは涙と共に外に出たのか。
大の大人、しかも良い歳した男である。泣くなんて子供の頃ならともかく、友人の葬式のとき以外記憶にない。それも人前だから声をころして涙を堪えるぐらいの泣き方である。今回、長年共に暮らした愛犬との別れやいくつものショックなことが重なってもう感情が制御できなくなっていた。その過剰なストレスを発散させるには、「怒り」爆発、つまり怒るという方法もある。また酒に救い求めアルコールに依存することも。
だが、「怒る」ということは、常に誰か他者、怒りをぶつける相手を必要とする。そして怒って感情を外に出せばスッキリするかと言えば、存外そのコーフンで血圧が上がり頭痛がしたり常に後味が悪いものである。しかもその怒りをぶつけられた側はそれがまたストレスとなる。つまり怒るという行為は、ストレスの伝播に他ならず、時にはそれでスッキリする御仁もいるかもしれないが、事態をさらに面倒にする場合が多い。誰もいないところで一人で怒れば問題ないが、普通そんな風に一人で怒ってる人は大阪西成区辺りではそう珍しくはないが、やはり異常であろう。危ない人と思われる。
ならばいちばん誰にも迷惑かけず簡単なことは、ともかく泣くことで、部屋を閉め切って布団でも被り大声で泣くことをオススメする。笑うことでも同じかもしれないが、哀しみや悲嘆のときに笑えと言われても人はとてもできやしない。人は何歳になろうと、うまく説明できないもやもやとした感情、哀しみや憤りなどの辛い気持ちを抱えている。それをうまく処理、発散することができれば良いのだが、気がつくと腹の奥深いところに重く溜まっている。むろん、旅行やセックス、音楽や映画などうまく気分転換、発散する方法もいくらでもあろう。とことん酒を呑んで吐くまで呑むとかも。
でもいちばん気軽でお金もかからず一人で簡単にできることはともかくできるだけ声も出してしっかり泣くことだ。そして溜まった哀しみをはじめとした負の感情を全て涙に変えて外に出すこと。昨今では体内の毒出し健康法、デトックスなるものが話題だが、毒素はもちろんのこと、その前に辛い感情を溜めこまないことも大切ではないのか。
そうした溜まった負の感情、ストレスが人をいつしか蝕み、鬱々となってすべてをダメにしていく。悪い感情、哀しみや苦しみ、辛い感情を心中に溜めないことだ。そのためにはただ大声で泣く。声に出してなく。それは誰にも知られず一人で出来る。アルコールのように依存性、習慣性もない。誰も傷つけない。
どうせ一人なのだから恥ずかしがらずに、思いきり声だしてこれからも泣いていこう。そう、まずは泣くしかできないではないか。そしてそこからまた次のことが始まる。
昔、この国に、笑う宗教というものがあったと記憶するし、世の中には笑う健康法、笑うことを奨励する運動は沢山ある。先日BSで見た、ドイツのあるグループでも、定期的に集まってはただ皆で、輪になってアハハハハ、と大笑いして騒いでいた。ただ皆でひたすら大笑いするだけであるがそれがストレス発散に繋がるし、一種の健康目的の運動なのだという。そう、笑いは免疫力を高めるし、その効力は多くの本にもしっかり書かれている。癌にも笑いが効果的だと説く健康法もあった。
古来、笑う角には福来ると言われるが、このところ気がついたことは、泣く、それもできるだけ声を上げるほどしっかり泣くということは笑うよりまして精神衛生上とても大事なことなのではないだろうか。
先日、このところのいろいろあれこれありすぎて、心の中が哀しみや屈託や憤りなど負の感情でいっぱいになってついに泣くという行為で爆発してしまった。そしてひとしきりとことん泣いた後は、問題は何一つ解決も進展もしていないのに気持ちはとてもスッキリした。妙に落ち着いてしまい自分でも不思議であった。そう、泣くことは相応の感情抑制もしくは発散解消の効果がある。溜まっていたストレスは涙と共に外に出たのか。
大の大人、しかも良い歳した男である。泣くなんて子供の頃ならともかく、友人の葬式のとき以外記憶にない。それも人前だから声をころして涙を堪えるぐらいの泣き方である。今回、長年共に暮らした愛犬との別れやいくつものショックなことが重なってもう感情が制御できなくなっていた。その過剰なストレスを発散させるには、「怒り」爆発、つまり怒るという方法もある。また酒に救い求めアルコールに依存することも。
だが、「怒る」ということは、常に誰か他者、怒りをぶつける相手を必要とする。そして怒って感情を外に出せばスッキリするかと言えば、存外そのコーフンで血圧が上がり頭痛がしたり常に後味が悪いものである。しかもその怒りをぶつけられた側はそれがまたストレスとなる。つまり怒るという行為は、ストレスの伝播に他ならず、時にはそれでスッキリする御仁もいるかもしれないが、事態をさらに面倒にする場合が多い。誰もいないところで一人で怒れば問題ないが、普通そんな風に一人で怒ってる人は大阪西成区辺りではそう珍しくはないが、やはり異常であろう。危ない人と思われる。
ならばいちばん誰にも迷惑かけず簡単なことは、ともかく泣くことで、部屋を閉め切って布団でも被り大声で泣くことをオススメする。笑うことでも同じかもしれないが、哀しみや悲嘆のときに笑えと言われても人はとてもできやしない。人は何歳になろうと、うまく説明できないもやもやとした感情、哀しみや憤りなどの辛い気持ちを抱えている。それをうまく処理、発散することができれば良いのだが、気がつくと腹の奥深いところに重く溜まっている。むろん、旅行やセックス、音楽や映画などうまく気分転換、発散する方法もいくらでもあろう。とことん酒を呑んで吐くまで呑むとかも。
でもいちばん気軽でお金もかからず一人で簡単にできることはともかくできるだけ声も出してしっかり泣くことだ。そして溜まった哀しみをはじめとした負の感情を全て涙に変えて外に出すこと。昨今では体内の毒出し健康法、デトックスなるものが話題だが、毒素はもちろんのこと、その前に辛い感情を溜めこまないことも大切ではないのか。
そうした溜まった負の感情、ストレスが人をいつしか蝕み、鬱々となってすべてをダメにしていく。悪い感情、哀しみや苦しみ、辛い感情を心中に溜めないことだ。そのためにはただ大声で泣く。声に出してなく。それは誰にも知られず一人で出来る。アルコールのように依存性、習慣性もない。誰も傷つけない。
どうせ一人なのだから恥ずかしがらずに、思いきり声だしてこれからも泣いていこう。そう、まずは泣くしかできないではないか。そしてそこからまた次のことが始まる。
これからの予定などお知らせします。 ― 2012年05月15日 21時14分22秒
★手作り味噌作りライブパーティーを6月10日に無頼庵で
5月も半ば、沖縄の日でもある。米軍基地のこと、原発のこと、この国の行く末などいろいろ思うところ大ではあるが、今の自分はともかくまず足元を固めてこれから先、一人で生きていかねばならない「老後」の生活設計について今の内にしっかり考えて仕度をせねばならない。それが出来なければきっとまた誰かに迷惑がかかる。老いてから地獄は見たくない。
毎度繰り返しになるが、童話の「アリとキリギリス」の喩え、アリには今さらなりたいともなれるとも思わないが、冬が来ることは確かならいつまでも浮かれて遊んでばかりのキリギリスではいられない。時は足早に過ぎ、やがては皆死に絶えていく。それが生き物の習いであるならもう嘆いても哀しんでも仕方ない。おもうはただ、自分はもう少し何とかきちんとしたいということだけだ。死は傍らに来ているがまだ死ぬに死ねやしない。だからもう人には振り回されたくないし、自分もまた人を振り回したくない。だが、同時代に生きてきた者として、この世界を、この社会とは無関係ではいられない。こんなどうしようもない人間でもきっと何らかの使命、役割はあるはずだし、それを果たさないことにはあの世で責め苦にあうだろう。何にせよ意気地なしの自分は全てに自信も確信もなく曖昧に不真面目にだらしないままずっと生きてきた。それが覚悟の無頼ならまだ救いもあるが、そうではなかった。ただすべてに甘えていただけのこと。そして改めて今さらだが、これからは全てをきちんとさせて一生懸命真剣に生きたいと思う。
さて、これからの予定であるが、先に告知したように、6月の2日~3日に、新潟での詩人・有馬敲氏を迎えての詩とフォークソングのコンサートに出かける。増坊はウチの車で、自分が運転して現地に向う予定でいるが、まだ東京からの同行者に余裕がある。軽なので4人は乗れるのだが、今は自分を入れて2人しか確定していない。二人しか乗らないなら、ガソリン代が高くなるので夜行バスのほうが安いかもしれない。なんで今どうしたものかと迷っている。現地での宿泊費は基本的にかからないと思える。一泊二日の旅行費用はガソリン代と高速代を人数で割り勘したのと当日のイベント参加費程度で済む。どなたでも京都の生んだ国際派詩人有馬敲の生涯最後の新潟での詩朗読コンサートを観覧したい方はお気軽にご同行お願いしたい。共演する新潟のシンガーもとてもユニークで皆素晴らしい。初夏の鮮やかな緑の中、関越道を走るのは快適このうえないはずだ。皆で楽しくユニークなイベントを楽しみたい。どうかぜひぜひ東京からの参加者を待っている。
それと、それから一週間後の日曜日、6月10日、拙宅無頼庵では、「手作り味噌作りライブパーティー」を予定している。これは去年から始めた例年企画、「大地に足つけて地球の上で生きるには~自給自足への第一歩、まずはみんなで味噌作り」の第二年目の企画で、昨年仕込んだ味噌をカメから出して、今年のぶんをまた新たに仕込む作業なのである。作業が終わったら、皆でさっそくその味噌を使った料理で舌鼓を打ちながらだらだらライブをやる予定。
味噌作りに参加する方は、お土産代として500円程度の材料費は頂くが、その作業に参加しなくてもどなたでもお気軽にご来場願いたい。ただ、料理の都合もあるので、事前に参加申し込みの連絡があるとこちらは助かる。単に唄いに来るだけでもちっともかまわない。今回はチャージはなしとしたい。飲み物の持ち込みは大いに歓迎する。
時間は味噌作りの作業は昼頃から開始。ライブは夕方近くからとなるだろう。どーぞどなたでもお気軽に遊びに来てください。詳しいことはマスダ090-8175-8479までお問い合わせ下さい。
そして7月7日(土)に、今年も両国で第三回隅田川フォークフェスが開催される。詳細は後ほどお知らせするが、こちらも多くの来場者をお待ちしている。問い合わせは、両国フォークロアセンター国崎さんへ。
5月も半ば、沖縄の日でもある。米軍基地のこと、原発のこと、この国の行く末などいろいろ思うところ大ではあるが、今の自分はともかくまず足元を固めてこれから先、一人で生きていかねばならない「老後」の生活設計について今の内にしっかり考えて仕度をせねばならない。それが出来なければきっとまた誰かに迷惑がかかる。老いてから地獄は見たくない。
毎度繰り返しになるが、童話の「アリとキリギリス」の喩え、アリには今さらなりたいともなれるとも思わないが、冬が来ることは確かならいつまでも浮かれて遊んでばかりのキリギリスではいられない。時は足早に過ぎ、やがては皆死に絶えていく。それが生き物の習いであるならもう嘆いても哀しんでも仕方ない。おもうはただ、自分はもう少し何とかきちんとしたいということだけだ。死は傍らに来ているがまだ死ぬに死ねやしない。だからもう人には振り回されたくないし、自分もまた人を振り回したくない。だが、同時代に生きてきた者として、この世界を、この社会とは無関係ではいられない。こんなどうしようもない人間でもきっと何らかの使命、役割はあるはずだし、それを果たさないことにはあの世で責め苦にあうだろう。何にせよ意気地なしの自分は全てに自信も確信もなく曖昧に不真面目にだらしないままずっと生きてきた。それが覚悟の無頼ならまだ救いもあるが、そうではなかった。ただすべてに甘えていただけのこと。そして改めて今さらだが、これからは全てをきちんとさせて一生懸命真剣に生きたいと思う。
さて、これからの予定であるが、先に告知したように、6月の2日~3日に、新潟での詩人・有馬敲氏を迎えての詩とフォークソングのコンサートに出かける。増坊はウチの車で、自分が運転して現地に向う予定でいるが、まだ東京からの同行者に余裕がある。軽なので4人は乗れるのだが、今は自分を入れて2人しか確定していない。二人しか乗らないなら、ガソリン代が高くなるので夜行バスのほうが安いかもしれない。なんで今どうしたものかと迷っている。現地での宿泊費は基本的にかからないと思える。一泊二日の旅行費用はガソリン代と高速代を人数で割り勘したのと当日のイベント参加費程度で済む。どなたでも京都の生んだ国際派詩人有馬敲の生涯最後の新潟での詩朗読コンサートを観覧したい方はお気軽にご同行お願いしたい。共演する新潟のシンガーもとてもユニークで皆素晴らしい。初夏の鮮やかな緑の中、関越道を走るのは快適このうえないはずだ。皆で楽しくユニークなイベントを楽しみたい。どうかぜひぜひ東京からの参加者を待っている。
それと、それから一週間後の日曜日、6月10日、拙宅無頼庵では、「手作り味噌作りライブパーティー」を予定している。これは去年から始めた例年企画、「大地に足つけて地球の上で生きるには~自給自足への第一歩、まずはみんなで味噌作り」の第二年目の企画で、昨年仕込んだ味噌をカメから出して、今年のぶんをまた新たに仕込む作業なのである。作業が終わったら、皆でさっそくその味噌を使った料理で舌鼓を打ちながらだらだらライブをやる予定。
味噌作りに参加する方は、お土産代として500円程度の材料費は頂くが、その作業に参加しなくてもどなたでもお気軽にご来場願いたい。ただ、料理の都合もあるので、事前に参加申し込みの連絡があるとこちらは助かる。単に唄いに来るだけでもちっともかまわない。今回はチャージはなしとしたい。飲み物の持ち込みは大いに歓迎する。
時間は味噌作りの作業は昼頃から開始。ライブは夕方近くからとなるだろう。どーぞどなたでもお気軽に遊びに来てください。詳しいことはマスダ090-8175-8479までお問い合わせ下さい。
そして7月7日(土)に、今年も両国で第三回隅田川フォークフェスが開催される。詳細は後ほどお知らせするが、こちらも多くの来場者をお待ちしている。問い合わせは、両国フォークロアセンター国崎さんへ。
スナック・ブロン最後?のライブにぜひご来店を。 ― 2012年05月16日 22時34分20秒
★6月18日、岡五郎でラストライブか!?
吉祥寺、南口、丸井横の井の頭公園へと続く車の入らない路地のビル地下にスナック・ブロンという店がある。あの焼鳥いせやのちょっと手前左向かいである。
その店の看板はずいぶん前から目にしていたように思うし、たぶんかなり古くからある店のはずだが、親しく通うようになったのはこの数年のこと。若き音楽友、岡大介がひんぱんにそこでライブをやるようになってからで、ごくごく狭いカウンターだけの店なのだが、とても居心地がよく自分もライブ以外にも通うことが多くなった。マスターの人柄も大きいし懐かしいフォークソングのレコードがそこでは存分に聴けた。が、その店もおそらく今月秋には閉店となるらしい。諸般の事情からライブも今月でひとまず終わりとなるとのことである。そして夏の間はお休みするとも。そのラストライブ?が、今週金曜日18日にある。出演は、我らが岡大介と御大中川五郎である。時間はたぶん8時頃からだと思う。
考えてみるとこの二人だけでのジョイントってあんまり記憶にない。ある意味、フォークソングのファーストランナーとラストランナーの邂逅である。残念だが彼らの前にも後にももうフォークソングは存在しない。フォークの黎明期から現在まで最前線で活躍続ける中川五郎と最後の若きフォーク演歌の旗手岡大介。そのうたのバトンを手渡すときがこの日なのかもしれない。
個人的にはブロンはこれからもずうっと末永く続いていってもらいたいと願うが、エアコンが壊れてしまったり、すごく良いライブであってもなかなか客が集まらないこともあって、そろそろ潮時かという感もわからなくもない。まだじっさい先のことは何とも言えないが、秋まで待たずに意外に早く閉店となる可能性もある。なのでどうか一人でも多く、お店があるうちにぜひ来られてその素晴らしい雰囲気と音楽にどっぷり浸かってほしい。
日本フォークソングのパイオニア中川五郎とアンカー岡大介、この顔合わせは必見必聴だと思う。
吉祥寺、南口、丸井横の井の頭公園へと続く車の入らない路地のビル地下にスナック・ブロンという店がある。あの焼鳥いせやのちょっと手前左向かいである。
その店の看板はずいぶん前から目にしていたように思うし、たぶんかなり古くからある店のはずだが、親しく通うようになったのはこの数年のこと。若き音楽友、岡大介がひんぱんにそこでライブをやるようになってからで、ごくごく狭いカウンターだけの店なのだが、とても居心地がよく自分もライブ以外にも通うことが多くなった。マスターの人柄も大きいし懐かしいフォークソングのレコードがそこでは存分に聴けた。が、その店もおそらく今月秋には閉店となるらしい。諸般の事情からライブも今月でひとまず終わりとなるとのことである。そして夏の間はお休みするとも。そのラストライブ?が、今週金曜日18日にある。出演は、我らが岡大介と御大中川五郎である。時間はたぶん8時頃からだと思う。
考えてみるとこの二人だけでのジョイントってあんまり記憶にない。ある意味、フォークソングのファーストランナーとラストランナーの邂逅である。残念だが彼らの前にも後にももうフォークソングは存在しない。フォークの黎明期から現在まで最前線で活躍続ける中川五郎と最後の若きフォーク演歌の旗手岡大介。そのうたのバトンを手渡すときがこの日なのかもしれない。
個人的にはブロンはこれからもずうっと末永く続いていってもらいたいと願うが、エアコンが壊れてしまったり、すごく良いライブであってもなかなか客が集まらないこともあって、そろそろ潮時かという感もわからなくもない。まだじっさい先のことは何とも言えないが、秋まで待たずに意外に早く閉店となる可能性もある。なのでどうか一人でも多く、お店があるうちにぜひ来られてその素晴らしい雰囲気と音楽にどっぷり浸かってほしい。
日本フォークソングのパイオニア中川五郎とアンカー岡大介、この顔合わせは必見必聴だと思う。
神の見えざる手のうちで ― 2012年05月19日 01時51分00秒
★縁も運も自らが選ぶこと
このところ家庭内の予期せぬ出来事、世間的には瑣末な雑事に追われてやや疲れ果てていた。その合間を縫って、夜毎ライブ通いが続けていたこともある。でも、出かけたライブはどれも素晴らしく大いに得るところがあった。内容的にもう一つであっても、考えさせられたり奮起するところを得たならば出かけて金使ったかいがある。そのライブも5月は18日のブロンでの岡大介、中川五郎で終わった。
自分の場合、音楽にせよそのほかのライブ行為にせよ、もう基本的にそこで今また新たに知り合い情報としても何か得ることは考えていない。もう、自分がどんな音楽が好きで何を志向しているかわかりきっているし、人間関係さえもこれ以上手を広げたいとは全く考えていない。決して多くはない友達だが、今ある関係を大切にしていくことが肝心であって、その関係を維持して深めることに追われて新しい関係まで手が回らない。こうしたライブに行くことはミュージシャンへのある意味、義理・恩返しという気持ちでもいる。むろん、応援という気持ちであるのは言うまでもないが。
だが、人間関係とは不思議なもので、こちらが望まなくても偶然親しくなって意気投合し、友達になることだってある。また逆に、こちらは友達として関係を結び続けたいと願っても何故か疎遠となってしまうことだって多々ある。
今自分が関係している交友だって、そうしたことの結果であって、決してうんと努力したわけでもそこに明らかな理由などもまったくない。ある意味、全てが偶然の結果であり、その偶然が今は必然となったということにほかならない。
何かのおりに出くわして、いつしか顔見知りとなって、呑んだり行動を共にしたりすることが多くなって友達となることが多い。だからそこにはまったく理由なんて見当たらない。あるとしたら、自分とその人を結びつける「偶然」があるだけだ。好き嫌いとかもあまり関係ない。じっさい、自分の友人たちを思っても果たしてその人のことを自分は好きだとか好ましいなんてちっとも思っていないことに気がつく。いや、そう言うと語弊あるが、この世は好きだからといってその思いが通じ願いがかなうことなんてほとんどない。それは男女の関係がそうであるように、同性だって同じことで、別に好きでも何でもなかったのに、よく顔を突き合わせているうちに何となく自然に親しくなって友達になっていくものなのである。同級生とか学生時代の友達なんてその最たるものであろう。
そうして気がつくと結局その人のことを好きになっていることに気がつく。「好き」といっても性行為などは伴わず、要するに必要な、大事な人親しい大切な人となっているのである。ではその関係は何故生じたのか。
このところよく思うのは、アダム・スミスの謂いではないが、この世のこと全ては神の見えざる手に繰られているということだ。自分としては、今ある人間関係ほとんどが、自ら選び取った、主体的なものだなんて全然思えない。偶然あるとき人から紹介されたり、偶然どこかで出くわしてそこから何となく関係が始まりいつしか親しくなって友達となっていく。そこには理由も努力とかも必要ない。逆の場合、つまり親しく仲良くなりたいのにうまくいかないことが多いのと同じく、どちらも全て自然な無意識的顛末なのである。
そしてそのことは、親しくなった関係でもまたあるとき急に疎遠になってしまうことも多々あって、ケンカするとか理由がはっきりすればまだ対処の方法もあるのだが、理由なくても縁が遠くなったり切れることもまた少なからずある。また何十年も疎遠な人でも急に連絡があったりまた親しく交友関係が始まる場合もある。
思うのは全ては何か見えないものに繰られているということだ。神のはからいなのかもしれない。しかし、そこに当事者である人間は関係がないかというとそうではない。そもそもそうしたきっかけや出会いを選び決めているのは人間であり、偶然とはいえ、その偶然の場に行くことはその人が決めている。だから決してそこに当事者の意思がないわけではない。
ライブの企画とかこの数年担当してきて、いろんな人たちとアポとったり出演交渉をしたりした。また、様々なイベントの仲介的作業もした。今の時代、たいがいはメールで趣旨を説明して参加の可否をたずねることになるのだが、出る出ないの返答ではなく、中にはかなり確率で、返答すらしないミュージシャンがいる。うっかり見落としたり返事をわすれている場合もあろうが、何度も連絡しても無視する人や返事がない人もかなりいる。それは、こちらを見下して相手にしないという対応もあろう。でもそれ以前にそいつは結局そういう人間なんだと判断するしかないし、最近では要するに縁がなかったのだと思うようになった。
そのうえで、また思うのは、その人は実はせっかく出会いやアピールのチャンスを自ら失ったのだとも思った。エラソーな言いだととられるかもしれない。でも、自分が企画するのは、いつだって、その場に相応しい、観客にとっても出演者にとっても最良の場を考えてのことであって、先約があったり理由があって関係ができない場合は仕方ないが、そうではなく、何となく気が乗らず、そのままになってしまうのであればもったいない。いや、それ以前に、要するにそれは縁がなかったのだ。つまりこちらから縁を結ぼうとしたのだけれど向こうからアクションが返らない時はそもそも縁がないのである。ならばそれは仕方ないではないか。
こちらとしては余計なお世話だろうが、その人にとって良かれとかタメになるのにとか、人を紹介したいと思っても相手がその気にならないのだからそれ以上の縁が生じない。縁とは神の見えざるものだとも書いた。が、またそれ以前に提示された様々な選択の場に人はいる。どれを選ぶかは個人の意思と考えなのだ。そしてそれを全てひっくるめてが「縁」なり「運」なのかとようやく思えてきた。
個人的には、自分は自分が選んだ縁には全く後悔していない。出会い関係を結び今も続いている人たち全てが財産であり、実に得難い、有り難いものだと思っている。そして連絡がとりたくても縁遠くなってしまう人に対してもそれはそれでそもそも縁がなかったのだからそれもまた仕方ないと納得できるようになった。その上で自分の選んだ縁は常に間違っていないと断言できる。
そう、来るものは拒まず、去るものは追わず。そうやって縁は続いていく。友達の縁が続いてまた新たに縁ができ友達も増えていく。その全ての縁が自らが選んだことだったのだ。
何でこんなことを書いたのか。岡大介、中川五郎両氏と呑んでいて、彼らの縁を取り結んだいったんは自分にもあり、また自分も様々な縁によりこの人間関係にあるわけで、ふとそうした不思議さに思い至ったからだ。
このところ家庭内の予期せぬ出来事、世間的には瑣末な雑事に追われてやや疲れ果てていた。その合間を縫って、夜毎ライブ通いが続けていたこともある。でも、出かけたライブはどれも素晴らしく大いに得るところがあった。内容的にもう一つであっても、考えさせられたり奮起するところを得たならば出かけて金使ったかいがある。そのライブも5月は18日のブロンでの岡大介、中川五郎で終わった。
自分の場合、音楽にせよそのほかのライブ行為にせよ、もう基本的にそこで今また新たに知り合い情報としても何か得ることは考えていない。もう、自分がどんな音楽が好きで何を志向しているかわかりきっているし、人間関係さえもこれ以上手を広げたいとは全く考えていない。決して多くはない友達だが、今ある関係を大切にしていくことが肝心であって、その関係を維持して深めることに追われて新しい関係まで手が回らない。こうしたライブに行くことはミュージシャンへのある意味、義理・恩返しという気持ちでもいる。むろん、応援という気持ちであるのは言うまでもないが。
だが、人間関係とは不思議なもので、こちらが望まなくても偶然親しくなって意気投合し、友達になることだってある。また逆に、こちらは友達として関係を結び続けたいと願っても何故か疎遠となってしまうことだって多々ある。
今自分が関係している交友だって、そうしたことの結果であって、決してうんと努力したわけでもそこに明らかな理由などもまったくない。ある意味、全てが偶然の結果であり、その偶然が今は必然となったということにほかならない。
何かのおりに出くわして、いつしか顔見知りとなって、呑んだり行動を共にしたりすることが多くなって友達となることが多い。だからそこにはまったく理由なんて見当たらない。あるとしたら、自分とその人を結びつける「偶然」があるだけだ。好き嫌いとかもあまり関係ない。じっさい、自分の友人たちを思っても果たしてその人のことを自分は好きだとか好ましいなんてちっとも思っていないことに気がつく。いや、そう言うと語弊あるが、この世は好きだからといってその思いが通じ願いがかなうことなんてほとんどない。それは男女の関係がそうであるように、同性だって同じことで、別に好きでも何でもなかったのに、よく顔を突き合わせているうちに何となく自然に親しくなって友達になっていくものなのである。同級生とか学生時代の友達なんてその最たるものであろう。
そうして気がつくと結局その人のことを好きになっていることに気がつく。「好き」といっても性行為などは伴わず、要するに必要な、大事な人親しい大切な人となっているのである。ではその関係は何故生じたのか。
このところよく思うのは、アダム・スミスの謂いではないが、この世のこと全ては神の見えざる手に繰られているということだ。自分としては、今ある人間関係ほとんどが、自ら選び取った、主体的なものだなんて全然思えない。偶然あるとき人から紹介されたり、偶然どこかで出くわしてそこから何となく関係が始まりいつしか親しくなって友達となっていく。そこには理由も努力とかも必要ない。逆の場合、つまり親しく仲良くなりたいのにうまくいかないことが多いのと同じく、どちらも全て自然な無意識的顛末なのである。
そしてそのことは、親しくなった関係でもまたあるとき急に疎遠になってしまうことも多々あって、ケンカするとか理由がはっきりすればまだ対処の方法もあるのだが、理由なくても縁が遠くなったり切れることもまた少なからずある。また何十年も疎遠な人でも急に連絡があったりまた親しく交友関係が始まる場合もある。
思うのは全ては何か見えないものに繰られているということだ。神のはからいなのかもしれない。しかし、そこに当事者である人間は関係がないかというとそうではない。そもそもそうしたきっかけや出会いを選び決めているのは人間であり、偶然とはいえ、その偶然の場に行くことはその人が決めている。だから決してそこに当事者の意思がないわけではない。
ライブの企画とかこの数年担当してきて、いろんな人たちとアポとったり出演交渉をしたりした。また、様々なイベントの仲介的作業もした。今の時代、たいがいはメールで趣旨を説明して参加の可否をたずねることになるのだが、出る出ないの返答ではなく、中にはかなり確率で、返答すらしないミュージシャンがいる。うっかり見落としたり返事をわすれている場合もあろうが、何度も連絡しても無視する人や返事がない人もかなりいる。それは、こちらを見下して相手にしないという対応もあろう。でもそれ以前にそいつは結局そういう人間なんだと判断するしかないし、最近では要するに縁がなかったのだと思うようになった。
そのうえで、また思うのは、その人は実はせっかく出会いやアピールのチャンスを自ら失ったのだとも思った。エラソーな言いだととられるかもしれない。でも、自分が企画するのは、いつだって、その場に相応しい、観客にとっても出演者にとっても最良の場を考えてのことであって、先約があったり理由があって関係ができない場合は仕方ないが、そうではなく、何となく気が乗らず、そのままになってしまうのであればもったいない。いや、それ以前に、要するにそれは縁がなかったのだ。つまりこちらから縁を結ぼうとしたのだけれど向こうからアクションが返らない時はそもそも縁がないのである。ならばそれは仕方ないではないか。
こちらとしては余計なお世話だろうが、その人にとって良かれとかタメになるのにとか、人を紹介したいと思っても相手がその気にならないのだからそれ以上の縁が生じない。縁とは神の見えざるものだとも書いた。が、またそれ以前に提示された様々な選択の場に人はいる。どれを選ぶかは個人の意思と考えなのだ。そしてそれを全てひっくるめてが「縁」なり「運」なのかとようやく思えてきた。
個人的には、自分は自分が選んだ縁には全く後悔していない。出会い関係を結び今も続いている人たち全てが財産であり、実に得難い、有り難いものだと思っている。そして連絡がとりたくても縁遠くなってしまう人に対してもそれはそれでそもそも縁がなかったのだからそれもまた仕方ないと納得できるようになった。その上で自分の選んだ縁は常に間違っていないと断言できる。
そう、来るものは拒まず、去るものは追わず。そうやって縁は続いていく。友達の縁が続いてまた新たに縁ができ友達も増えていく。その全ての縁が自らが選んだことだったのだ。
何でこんなことを書いたのか。岡大介、中川五郎両氏と呑んでいて、彼らの縁を取り結んだいったんは自分にもあり、また自分も様々な縁によりこの人間関係にあるわけで、ふとそうした不思議さに思い至ったからだ。
モノゴトがようやくうまく進み出していく ― 2012年05月19日 08時33分09秒
★「無頼庵」のことはさておいて
よく晴れた爽やかな土曜日の朝である。おかげ様でようやくモノゴトがうまく進み出してきたように思える。今日はカミナリは鳴らないか。
放浪猫クロスケも帰ってきているし、老犬も暑さにもめげず体調は悪くない。母も最期の抗癌剤の投与が終わり戻ってきた。昨晩は良いライブで良き人たちと会い楽しい話がはずんだ。
昼間はウチとしては高額の全集本セット売値6万円の本がアマゾンマーケットプレイスで売れた。今中国にいる友人から販売委託された本なので儲けにはならないが、それでもデカイ注文があると気持ちも活気づくし良い兆しかと思える。※連絡先がわからないのでI君、これを目にしたら連絡ください。売り上げ金額払います。
日中、陽射しがあれば暑いが、日陰や室内、朝晩はかなり冷え込む。都心に出るときはTシャツ一枚でOKだが、夜戻って地元の駅に降り立つと上着がないと寒くて後悔する。私感だが、今年はそう猛暑にはならないのではないか。何か日本全体がひんやりとした冷気に覆われているような気がしている。それがいつまで続くかで今後の原発の行方にも影響していく。
全てのことは風と桶屋の関係ではないが、見えないところでも深く関係している。大飯町議会の議員さん達はどうやらそんなことはまったく気がつかないらしい。原発で潤い依存する地元自治体の利益と思惑だけで拙速に稼動を求め県も企業もそれを後押していく。そこには近県住民、国土全体のリスク、地球規模での危惧や懸念はまったく念頭にない。あるのは自分たちの利益、儲けのことだけ。人間というのは常に身勝手な動物であるが、金に目がくらめば人は命さえも投げ出すものだと、これほど他者や環境に無責任になれるものかと感心さえしてしまう。
さておき、ようやく出かける用事も一段落したので、これからは新潟行きの準備をしつつ、家のことに専念していきたい。そしてブログにまだアップしていない過ぎた出来事をきちんと処理していく。家のほうも手を加えたい。そうした足元固めをしっかり進めて、今年の夏をゆったり迎えるつもりだ。
無頼庵でライブはしているのか、と中川五郎氏に問われたし、富士見堂レコードも次のはどうなってるのかとこのところよく聞かれる。水面下ではいろいろな動きはあるのだけれどどれもまだ発表告知できるところまでいっていない。バカで不器用な自分はやはり一つ一つモノゴトを終わらせていかないとどれも中途半端になってしまう。
いずれにせよ、6月に入って、新潟から戻ってからまた今夏以降の予定が出るかと思える。やりたいことはいくらでもある。でも自分の生活の中でそれをどう取り込んでいくかなのかだ。悩みはもうしない。迷いもない。ただ、望むことは一つだけ。
新しい風よ吹け。それも突風ではなく、爽やかな心地良い風よ吹け。
よく晴れた爽やかな土曜日の朝である。おかげ様でようやくモノゴトがうまく進み出してきたように思える。今日はカミナリは鳴らないか。
放浪猫クロスケも帰ってきているし、老犬も暑さにもめげず体調は悪くない。母も最期の抗癌剤の投与が終わり戻ってきた。昨晩は良いライブで良き人たちと会い楽しい話がはずんだ。
昼間はウチとしては高額の全集本セット売値6万円の本がアマゾンマーケットプレイスで売れた。今中国にいる友人から販売委託された本なので儲けにはならないが、それでもデカイ注文があると気持ちも活気づくし良い兆しかと思える。※連絡先がわからないのでI君、これを目にしたら連絡ください。売り上げ金額払います。
日中、陽射しがあれば暑いが、日陰や室内、朝晩はかなり冷え込む。都心に出るときはTシャツ一枚でOKだが、夜戻って地元の駅に降り立つと上着がないと寒くて後悔する。私感だが、今年はそう猛暑にはならないのではないか。何か日本全体がひんやりとした冷気に覆われているような気がしている。それがいつまで続くかで今後の原発の行方にも影響していく。
全てのことは風と桶屋の関係ではないが、見えないところでも深く関係している。大飯町議会の議員さん達はどうやらそんなことはまったく気がつかないらしい。原発で潤い依存する地元自治体の利益と思惑だけで拙速に稼動を求め県も企業もそれを後押していく。そこには近県住民、国土全体のリスク、地球規模での危惧や懸念はまったく念頭にない。あるのは自分たちの利益、儲けのことだけ。人間というのは常に身勝手な動物であるが、金に目がくらめば人は命さえも投げ出すものだと、これほど他者や環境に無責任になれるものかと感心さえしてしまう。
さておき、ようやく出かける用事も一段落したので、これからは新潟行きの準備をしつつ、家のことに専念していきたい。そしてブログにまだアップしていない過ぎた出来事をきちんと処理していく。家のほうも手を加えたい。そうした足元固めをしっかり進めて、今年の夏をゆったり迎えるつもりだ。
無頼庵でライブはしているのか、と中川五郎氏に問われたし、富士見堂レコードも次のはどうなってるのかとこのところよく聞かれる。水面下ではいろいろな動きはあるのだけれどどれもまだ発表告知できるところまでいっていない。バカで不器用な自分はやはり一つ一つモノゴトを終わらせていかないとどれも中途半端になってしまう。
いずれにせよ、6月に入って、新潟から戻ってからまた今夏以降の予定が出るかと思える。やりたいことはいくらでもある。でも自分の生活の中でそれをどう取り込んでいくかなのかだ。悩みはもうしない。迷いもない。ただ、望むことは一つだけ。
新しい風よ吹け。それも突風ではなく、爽やかな心地良い風よ吹け。
古本「音楽家」再宣言、の前に、近況から ― 2012年05月20日 22時41分31秒
★預かっていた仏人の荷物がなくなってスッキリした話
このところ連日出かけたり、人が来たりしてともかく慌しかった。でも気分は悪くない。今、甥っ子が来ていて彼を西武立川駅まで送ってきてこれを記す。あれこれ忙しいが気持ちは充実している。おかげ様で、と全てに感謝したい。
昨日は、中年仏人のマニエル氏が来て、ウチに一泊して今朝方帰った。そもそもその人とは直接の友達でもなくじっさいどんな人で何をやっているのか詳しくはよく知らないのである。
数年前、飯田橋の仏人夫婦の家で彼と会った。その夫婦はダンナが在日仏人で、奥さんのほうは彼女が高校生の頃から知っている旧い長い付き合いである。そこで遊びに来ていた日本語の堪能なマニエル氏と知りあい、ちょうど彼は千葉だかのアパートを引き払うので、荷物を少しの間お宅で預かってくれないかという話になった。
そのときは、我家が完成直前の頃で、まだあちこちにかなり空きスペースもあったから、二つ返事でOKしたら、すぐに引越しの業者のトラックが着いて、彼の荷物、小型冷蔵庫からソファーからマットレスからキッチンカウンター台からオーブンレンジやら、むろん衣類や生活道具の入った段ボール箱やトランク、スーツケースまで生活道具一式運びこまれてしまった。
彼もむろんそのときはウチに来たけれど、予想外の量に仕方なく、ともかく空いている二階の一室に全部詰め込んで、そこは元から置いてあったベッド以外全て彼の荷物で天井までいっぱいになってしまった。それから約2年。何度か、彼もウチに顔出しに来たし、飯田橋の仏人夫婦の家で会ったこともあったが、基本的に商用で日本とヨーロッパを年間何度も行き来している人でお忙しいようで、その荷物を早く何とかしろと言いたかったがそのままになっていた。
だが、ウチもまた生活が本格的に始まり、またモノがいっぱいになってきてしまって、マニエル氏の荷物がいよいよ邪魔になってきた。先日の無頼庵のオープニングパーティに、飯田橋の夫婦も息子を連れて来てくれたので、そのことを思い切って相談した。たぶん、そっちから話が行ったんだろう。ようやく数日前、マニエル氏から連絡があり、荷物を取りに行きますからと、昨日彼もウチに来て、荷物は引越し業者のトラックに積み込んで、愛知県の豊橋だかに運び去ったのだ。
聞けば、アパートを新たに借りたというわけではなく、そこにいる日本人の友人宅に預かってもらうらしい。要するにウチからまた別の日本人の家に荷物は移動したというだけの話で、ちょっと胸が痛んだが、それは知ったことではない。それよりも、マニエル氏は、今日、日曜昼の飛行機でドイツに行くとのことで、ウチに来て荷物を業者に任せて送り出したのはいいが、一晩泊めてくれという。まあ、彼の荷物がなくなって広くなったのだから、仕方ないかと観念して、昨日は、昼も店屋ものをとってご馳走して、夜は手料理をふるまって、風呂にも入れてベッドも提供した。そして今朝、車で彼を駅まで送って別れたという次第である。
外人だからかはともかく、実にずうずうしいというか、ちゃっかりしているというか、まあ、デイブ・スベクターが貴方の家に来たと思ってもらえば想像つくかもしれないが、彼のベースに飲まれて気がつくといつもNOと言えなくなってしまう。人間的魅力もあるのだろうが、たぶんこうして世界中を股にかけて、どこでもうまく交わってやっていく人なのだと思える。何しろ漢字も読めるし書けるし、言葉は母国語の他に英語、ドイツ語、ポルトガル語、中国語も少しならできるのである。我家の老人達は日本語の堪能な物知りガイジンにすっかり魅せられてしまった。
彼を送り出して広くなった部屋を見てようやくほっとしたが、たぶん、マニエル氏のことだから、きっとまたフラッと来て泊めてくれと言うだろう。まあ、来るものは拒まず、が今の自分の主義だからそれもまた仕方ない。マニエル氏の出現はボケ老人たちにとっては目新しいかなりの刺激になったようだ。ならば外人が来て一緒に飯食ったり泊まっていくことは良いことなのである。そして人の縁とはまったく不思議なものだと思う。自分の人生はいつもこうしてわけのわからないまま動いていく。常に予想外想定外ばかりなのはある意味大変であるが、面白いと言えなくもないから、これでいいのだ!なのである。
でも人と会うのはやはり気を使うからか、今は疲れが溜まって頭がぼんやり鈍く痛い。早く眠ることにしよう。
このところ連日出かけたり、人が来たりしてともかく慌しかった。でも気分は悪くない。今、甥っ子が来ていて彼を西武立川駅まで送ってきてこれを記す。あれこれ忙しいが気持ちは充実している。おかげ様で、と全てに感謝したい。
昨日は、中年仏人のマニエル氏が来て、ウチに一泊して今朝方帰った。そもそもその人とは直接の友達でもなくじっさいどんな人で何をやっているのか詳しくはよく知らないのである。
数年前、飯田橋の仏人夫婦の家で彼と会った。その夫婦はダンナが在日仏人で、奥さんのほうは彼女が高校生の頃から知っている旧い長い付き合いである。そこで遊びに来ていた日本語の堪能なマニエル氏と知りあい、ちょうど彼は千葉だかのアパートを引き払うので、荷物を少しの間お宅で預かってくれないかという話になった。
そのときは、我家が完成直前の頃で、まだあちこちにかなり空きスペースもあったから、二つ返事でOKしたら、すぐに引越しの業者のトラックが着いて、彼の荷物、小型冷蔵庫からソファーからマットレスからキッチンカウンター台からオーブンレンジやら、むろん衣類や生活道具の入った段ボール箱やトランク、スーツケースまで生活道具一式運びこまれてしまった。
彼もむろんそのときはウチに来たけれど、予想外の量に仕方なく、ともかく空いている二階の一室に全部詰め込んで、そこは元から置いてあったベッド以外全て彼の荷物で天井までいっぱいになってしまった。それから約2年。何度か、彼もウチに顔出しに来たし、飯田橋の仏人夫婦の家で会ったこともあったが、基本的に商用で日本とヨーロッパを年間何度も行き来している人でお忙しいようで、その荷物を早く何とかしろと言いたかったがそのままになっていた。
だが、ウチもまた生活が本格的に始まり、またモノがいっぱいになってきてしまって、マニエル氏の荷物がいよいよ邪魔になってきた。先日の無頼庵のオープニングパーティに、飯田橋の夫婦も息子を連れて来てくれたので、そのことを思い切って相談した。たぶん、そっちから話が行ったんだろう。ようやく数日前、マニエル氏から連絡があり、荷物を取りに行きますからと、昨日彼もウチに来て、荷物は引越し業者のトラックに積み込んで、愛知県の豊橋だかに運び去ったのだ。
聞けば、アパートを新たに借りたというわけではなく、そこにいる日本人の友人宅に預かってもらうらしい。要するにウチからまた別の日本人の家に荷物は移動したというだけの話で、ちょっと胸が痛んだが、それは知ったことではない。それよりも、マニエル氏は、今日、日曜昼の飛行機でドイツに行くとのことで、ウチに来て荷物を業者に任せて送り出したのはいいが、一晩泊めてくれという。まあ、彼の荷物がなくなって広くなったのだから、仕方ないかと観念して、昨日は、昼も店屋ものをとってご馳走して、夜は手料理をふるまって、風呂にも入れてベッドも提供した。そして今朝、車で彼を駅まで送って別れたという次第である。
外人だからかはともかく、実にずうずうしいというか、ちゃっかりしているというか、まあ、デイブ・スベクターが貴方の家に来たと思ってもらえば想像つくかもしれないが、彼のベースに飲まれて気がつくといつもNOと言えなくなってしまう。人間的魅力もあるのだろうが、たぶんこうして世界中を股にかけて、どこでもうまく交わってやっていく人なのだと思える。何しろ漢字も読めるし書けるし、言葉は母国語の他に英語、ドイツ語、ポルトガル語、中国語も少しならできるのである。我家の老人達は日本語の堪能な物知りガイジンにすっかり魅せられてしまった。
彼を送り出して広くなった部屋を見てようやくほっとしたが、たぶん、マニエル氏のことだから、きっとまたフラッと来て泊めてくれと言うだろう。まあ、来るものは拒まず、が今の自分の主義だからそれもまた仕方ない。マニエル氏の出現はボケ老人たちにとっては目新しいかなりの刺激になったようだ。ならば外人が来て一緒に飯食ったり泊まっていくことは良いことなのである。そして人の縁とはまったく不思議なものだと思う。自分の人生はいつもこうしてわけのわからないまま動いていく。常に予想外想定外ばかりなのはある意味大変であるが、面白いと言えなくもないから、これでいいのだ!なのである。
でも人と会うのはやはり気を使うからか、今は疲れが溜まって頭がぼんやり鈍く痛い。早く眠ることにしよう。
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