また、ここからこの場所から2012年05月12日 11時20分43秒

★感謝の気持ちをこめて、クロスケの記憶

 外は雲が広がり暗くなってきたかと思うと突然強い風が吹き、遠くで雷が鳴る。するとざーと雨が降り出す。このところ午後になるといっとき雨が降り、夕方になると上がってまた晴れ渡る。
 今日も洗濯物を干したのだけれど、昼食をとっていたら曇ってきて、様子を見てたら小雨がぱらつき始めた。慌てて、線路のフェンスに干した衣類は車の中にとりあえず取り込んだ。
 昨晩は遠く町田の先までライブに出かけて帰ったのも寝たのも遅かったので、昼食後の仮眠をとった。気持ちよく眠って起きたら外はまた明るく晴れている。湿っている洗濯物を再び干して今パソコンに向かっている。さて、これからどうしようか。

 外は晴れているが、木枯らしのように北風が音を立ててて吹き荒れている。気温は低く夜は寒くなりそうだ。ようやく混乱していた頭も気持ちもすっきり晴れた。何をどうすべきか、迷っていた心の陰り、憂鬱もこの強い風に吹き飛ばされたようだ。それもこれも全てふらりとやって来てふいっと消えた一匹の猫のおかげである。

 今晩はちょっと吉祥寺に出かける用事がある。戻ったら続きを書き足したい。

また、ここからこの場所から・続き2012年05月12日 16時41分42秒

★感謝の気持ちをこめて、クロスケの記憶・続き

 今冷静になって思い返して、実に不思議な猫だったと思う。すいぶん沢山猫は飼ってきたけれど、あんな猫は会ったことがない。冗談ではなく神が使わしてくれたのだと今は思っている。

 3.24日の拙宅、古本音楽ハウス「無頼庵」のオープニングイベントの準備で、ライブスペースとなる部屋の片づけや準備に追われていた頃、手伝いに来てくれた友人と昼食に出て、帰り道、近所にある消防署の前で真黒のオスの子猫を拾った。
 生後たぶん三ヶ月は過ぎていて、可愛い盛りのうんと子猫ではない。人間で言えば小学校高学年から中学生ぐらいの中猫で、まだ大人ではないが子猫でもない年頃で、風邪をひいていたのか目も鼻もグズグズでか細く鳴いていた。そこは車が行き交う大通りの歩道で、そこにぽつねんと座って通る人を見上げていた。近づいても逃げようともしないし、抱きかかえてもおとなしい。ちっとも人見知りしないからどうやら飼い猫で迷子になったようだった。首輪の跡も残っていたがガリガリに痩せている。
 そのままにしておくと、道に出て車にはねられると思い、ともかく抱いて家に連れ帰った。後ほど飼主を探せばと。家に来てずっと空腹だったのかガツガツ餌を食いミルクを飲んだ。

 その猫は無頼庵のパーティでも会場に上がって皆に抱かれたりしていたからご存知の方もいるかと思う。、ともかく人懐こい、まったく物怖じしない性格で不思議なことにウチの犬たちともすぐに打ち解けた。ふつうは犬を怖れない猫などいない。怖れるどころか、まるで以前からこの家で共に暮らしていたかのように、高齢で弱ってきていたロビンが大好きで、心配しているかのようにロビンの小屋に入って一緒に眠ったりもしていた。
 我が家に来たばかりにしてはあまりに動じず、猫ドアの位置もすぐに理解したことも驚きであったし、犬たちもまるで旧知のように自然に彼を受け入れた。ただ、前からいた老メス猫二匹は、よそ者の子猫が来たと最初は事態を受け入れずかなり怒っていたけれど。生まれて数ヶ月の若猫にしてはちっともおもちゃで遊ばないし、食べては寝てを繰り返し、子猫ぽくない。後はともかく人の後をついてまわって、人間、特に拾われた恩義からか増坊が好きでたまらないようであった。

 この家にあまりに馴染んでいるし、犬たちも驚きも怒りもせずにすぐ受け入れたので、これはたぶん前にこの家にいた猫の生まれ変わりかと思えた。そういえば1年ほど前に、約20年も生きた黒猫、クロ母さんが死んでいなくなった。たぶんその魂が、また黒いオス猫に入ってきたのではないかと家人は噂した。
 そうして本当の飼主を探すどころか、いつしかこの家の元からいた猫のようにごく自然に黒猫は居ついてしまい、有る意味、家のマスコット、守り神のように、家族の一員となったのだ。となると名前をつけないとならない。黒いからクロというのではあまりに安直なので、今回はクロスケと一応は名づけた。

 拙ブログ読者はご存知のように、老齢のメス犬ロビンが今春から体調がじょじょに弱ってきて、家族はその世話に追われたし日ましに悪化していくその様子に気持ちも陰鬱になってきた。けれど、クロスケの存在はその日々のなかで救いであり、ただ、ロビンの周囲をちょろちょろするだけでもずいぶん癒された。自分は猫好きではないと思っていたが、その柔らかい暖かいからだを抱きしめて眠ると不安な心は落ち着くことを知った。

 そうして我家には欠かせない存在となったクロスケであったが、ウチには猫に関しては絶対的な法則があるので、たぶん彼もやがてはこの家からいなくなるものだと覚悟していた。
 猫を飼った人ならおわかりかと思うが、オス猫は家になかなか居つかない。何故なら、猫はトラ、ライオンと同じく縄張りがあるので、その町内を支配するボス猫と闘わねばならない。闘ってボスになれば幸いだけれど、たいていは、ある程度の年齢になると、オスは忽然と姿を消してしまう。それはポス猫に追い出されてしまうのか、それとも修行の旅にでるのかわからないが、ともかくもう二度と返ってこない。

 もう何年か経つが、たび次郎という黒猫だけれど手足だけが白い若いオス猫がウチにいたことがあった。家族はずいぶん可愛がったが、二歳になった頃、ある日突然、忽然と姿を消してしまった。その頃は増坊の親父もまだ元気だったから、大いに嘆き哀しんで、わざわざ探し猫の貼紙を何枚も作って町中に貼って捜し歩いた。が、神隠しにあったようにどれだけ探しても何も手がかりなくけっきょく似たような猫を知らせてくれた奇特な人もいたけれど彼は返ってこなかった。
 そうした悲しい経緯が何度もあったから、クロスケもオスなので、今はともかく大人になればきっといなくなってしまうだろうと思っていた。だからいくら甘えてきても、先の別れのことも頭にあったからあえてそっけなく、あまりかまってやらなかった。絶対なくてはならない存在にしてしまえば、いなくなったときまたしばらくショックで立ち直れなくなるではないか。

 そして、ロビンが先月末、ついに天寿を全うして、家族、残された者たち全員で見送った。その後に、今月8日、母の弟妹たち全員が我家に集って、母の快気祝いをかねて「兄弟会」があった。
 母は今年82歳となり、長女だったので下には妹4人、弟2人がまだ元気でいる。癌は完全に治癒したわけではないけれど、抗癌剤と丸山ワクチンが効いたのか、おかげ様でこのところ体調はずいぶん良くなってほぼ病気前の状態に体調も体重も戻れた。それを祝って、改築となった我家を訪れることも目的に母方の親戚一堂が集まったのである。
 クロスケもその日、皆に抱かれて、こんな人なつっこい、物怖じしない猫は珍しいと大人気であった。そして夕方、皆が帰る頃、我家の前で記念写真を撮っていたら出てきて一緒に写真にも加わった。そしてそれが彼の姿を見た最後であった。

 翌日の朝、9日の水曜日、起きたらふと不安な気がした。クロスケの姿が見えない。親たちのベッドに寝ているのかと思って探したけれどどこにもいない。やがて帰ってくるかと待っていても昼になっても戻らない。そしてあちこち皆で手を尽くして探したけれど8日の晩、寝る前には居間の母の席にいたけれどそれっきり忽然と姿を消してしまったのである。

 オスだからやがてはいなくなるとは思っていた。が、まさかこんなに早くまだ大人にもなっていないのに消えてしまうとは思ってもいない。彼がこの家に着てからたったの二ヶ月。でも今思えば、いちばんあれこれあって大変な時期に彼がいてくれて我家皆が救われた。そして母の快気祝いの日まで立ち会って、それを見届けて去ったのだと気づく。つまり彼の役割、使命をもってこの家に来て、それが終わったのでまたどこか別のところへ行ってしまったのだと思うしかない。

 昨日は近くの猫返しのご利益で知られる神社に出向いたが夕方で入れなかったので今日再度行き猫の絵のついた絵馬を買ってきた。砂川にある阿豆佐味天神である。警察にも猫失踪の届けを出したし保健所にも問い合わせをした。が、たぶんもう彼は戻ってはこない。でもそれも神の意思であり、クロスケは彼の役割を果たしたのだからもうそれはそれで仕方ない。

 それでも朝晩今も祈っている。どうかもう一度彼と会わせてください。そして今度こそ彼の愛情に精一杯こたえてしっかり愛してあげたいと。