6月2日~3日の新潟での有馬敲を囲んで詩朗読ツアー参加者募集2012年05月02日 04時55分50秒

★東京から車出す予定なので同行者募集します。

 雨交じりの暖かい朝である。また外が白み始める頃に起きてしまった。老犬の面倒に日々追われていて気がつけば5月に入っていた。
 もう、あれこれかまえず考えずに自分ができること、やるべきできることだけをやっていこうと決意した。

 魂のアコーディオン弾き・熊坂路得子さんの今年の新潟公演ツアーの報告は少しつづ今日から別ブログのほうでアップさせていく予定として、今ちょっと迷いどうしたものか思案していることがある。それは来月2日新潟での詩人・有馬敲を迎えて詩の朗読コンサートへどうやって行くかだ。で、相談したい。

 その熊坂ルッちゃんとの新潟行きは、東京から前回のときと同じく、彼女の親衛隊の大将、K氏がご自分の車を運転されて彼女を送るのに増坊も同情した。むろんガソリン代など交通費は割り勘であっても実質は全行程彼が運転しての勤労奉仕であり、毎度の事ながら有り難く大いに助かった。この場であるが改めて感謝したい。6月のその詩朗読コンサートは彼は参加しないので、こうした楽ちんはできないのである。

 自分の気持ちとしてはKさんのお車には及ぶはずもないが、ウチの車を出そうかと考えている。でもそれは確定ではなく、東京から同乗者が他に3人いることが前提となる。もし、自分ひとりで行くならば運転などしたくないし、ガソリン代もバカ高いので別な方法を考えなくてはならない。たぶん危険だが格安の夜行バスとなるか。今の自分の収入では新幹線など夢のまた夢、まさに夢の新幹線なのだ。

 車で行くとしたら東京を朝早めに2日土曜日の朝に出る予定。そして向こうで一泊して、まあ泊まるところは何とかなるとして、日曜の昼前頃出発して夕刻東京に戻る予定となろう。

 車で行くかはまだ確定していない。東京からの参加同行される方がいるかどうかだ。運転は大変でも自分としては皆でわいわい騒ぎつつ行けたら楽しいなあと思っている。関心ある方はまず詳しいことは問い合わせからご連絡ください。なにはともあれまずどうやって新潟に行くかだけは早く決めないとならないので。 どなたでもどーぞお気軽に、一緒に行きましょう! 090-8175-8479 マスダ

長い夢から覚めたような・・・2012年05月02日 17時22分37秒

★すべては夢か現か幻か

 外は強い雨が音を立てて一日中降り続いている。風薫る爽やかな五月晴れの月に入ったのにどうしたことか。予報では明日もこんな雨模様である。

 今日、2日は、昼食後、どうしても起きていられず寝床に入り昼寝してしまった。久しぶりにたっぷりと深く眠り気がついたらもう夕方5時近く。よく覚えていないがいろんなな夢をたくさん見た。もっと寝ていたかった。それだけ睡眠不足が溜まっていたのだと気がつく。

 十分に睡眠は戻り頭はスッキリした気がしているけれど、この数日間、いや、老犬が衰弱して介護に時間がとられるようになってから新潟旅行までのことが全てが夢の中のこと、長い夢を観ていた気がしている。そしてこう考えた。
 もしかしたら自分は脳梗塞か何かで倒れて、あるいは交通事故で意識を失ってベッドに縛り付けられてこうした長い夢を見ていたのかもしれない。起きてぼんやりた頭ですぐ思ったのは、どこまでが現実に起きたことなのか、だった。すべては自分が意識を失くしベッドの中で眠りの中で夢見たことなのかもしれない。それが証拠にこのところメールも電話もコメントも何一つ誰からも連絡がない。外の世界から閉ざされて、ただ雨の音だけがしている。聴こえるのは雨の音だけ。静かである。

 けれど、、借りている倉庫の家賃の支払いを月末に払いに行くのをうっかり忘れていたことや、注文本の発送をこの雨の中どうするか思い出してはたと現実に引き戻された。そして一階に降りて老犬が眠っていた玄関の場所がぼっかり空いていることを確認して昨日骸を埋めたことを思い出し、一連の出来事がすべて現実だったのだと悟った。少しだけ涙と鼻水が出た。ようやく哀しみが現実感としてどっと押し寄せてきた。

 でもまたこうも考える。これもまた夢、まだ長い夢の中の出来事なのではないだろうかと。人生なんて覚めない長い夢のようなもので、死んだときになって初めて、ああ全ては夢だったのかと気づくのかもしれない。なかなか覚めない夢ならばもうどうにだって生きたってかまわないではないか。そして何が起きたって。素晴らしく楽しかった新潟でのことも、愛犬との辛い別れも、楽しいことも悲しいことも良いことも悪いことも全ては夢、夢の中での出来ごとなのだ、と。この夢から覚めればきっと死んでしまった人たちとももう一度会えるのだ。

 まだ外から帰って玄関を開けると、死んでしまった犬の匂いがしている。それは嫌な死臭ではなく、干草のような春の陽射しのような彼女独特の懐かしい体臭だ。体は土にうめてしまったけれど、魂はまだそこにいるのだと気がつく。

 このところちょっと自分のことばかり書きすぎた。昔ならこうしたときしばらくブログは休止して平常心に戻るまでいったん「終わり」にするところだが、まだいろいろあってそうもできない。書き続けていく。ならばもう自分のことはできるだけ書かないようにするつもりでいる。どうかもし読んでくれている方がいたらもう少しだけお付き合いください。自分はどうかしていた。まだ頭はぼーとして少しだけ鈍く痛い。

 老親の世話も残っている。まだ夢の世界に行くわけにはいかない。