人生をカスタマイズしていくこと2012年05月29日 00時15分55秒

★出来合いの、ではなく、手作り・手探りでも独自の人生を

 「告白」したら少し気持ちは立ち直った。今日も晴れて空には入道雲。ということはたぶん午後になるとまた雷が鳴り豪雨となり、犬は大騒ぎし落雷に備えパソコンは使えず面倒なことになる。なので簡単に今日のぶん書いておくことにする。

 カスタマイズ という言葉がある。できるだけ外国語はカタカナそのままで使わず、日本語にして用いたいと常々考えているのだが、どうにも訳せない、訳すと長くなってしまう言葉がある。カスタマイズもそうした言葉で、要するにまだ誰も的確な当てはまる日本語を作らないうちに外来語として一人歩きしてしまったからだろう。明治の頃ならいざ知らずもう今では新たに訳した日本語はできっこない。

 これはIT用語だそうで、ソフトウェアの設定などを調整してユーザー、使う人の好みに合わせて作りかえること、だそうで、転じて今では何でも自分用自分流にすることなのだという。カスタマイズのカスタムは、カスタマー、顧客、利用者の意味だろうからパソコンだけに使用は限らない。
 ならば「人生」こそもっともっと誰でも人は自由にカスタマイズできるはずだしすべきではなかったのか。つまり人の数だけ個別個々の人生、生き方、ライフスタイルがあるのだからもっと自由に、ある共通するモデルはあろうともそこをベースにしてカスタマイズできるはずなのである。
 よく、「本当の自分をみつけたい」とか「自分らしく生きたい」とか、あちこちの雑誌や本などでよく目にする。要するにそれは、まだ出来合い人生しか生きていないからで、その人生はまだ自分用にカスタマイズされていないからそう思うのだろう。

 ただ、出来合いの人生、つまり既に完成された、お膳立てが出来ているものというのも案外楽なわけで、親が決めたレールの上を歩み、良い大学を出て良い会社に入り、良い人と出会い結婚しよき家庭を築くということは決して悪くはない。むろん大変なことも面倒なこともあるだろうが、基本的なことは既にキットとして組み込まれているから一から自分で作っていかなくて良いしせいぜいほんの少しのカスタマイズで済む。これは料理だってそうであろう。一番簡単はレンジでチンするだけの。

 でも自分としては、それを選ばなかったのは、そもそもそうした出来合いの「人生設計ソフト」が好きではなかったし、ある程度基本は決まっているだろうが、どこまで自由に思う存分自由に人生をカスタマイズできるかに関心があったからそのソフト自体を頭の中に入れなかった。そして今・・・

 基本的ソフトがないところ(暗中模索のうち)に、勝手気ままにカスタマイズしてしまったオレの人生はもう動くなくなってきてしまっている。いや、まだ動いてはいるが、立ち上がりも遅く、処理能力も悪くときおりフリーズしてしまうこともよくある。いっそリカバリーして新たに最新の役立つ人生設計ソフトを入れなおしたいと思うことも多々あるが、そもそも最初のスペックが低く旧式なものだからもう手遅れなのである。パソコンでいえば98モデル程度であろうか。

 しかし、今さらリカバリーもできないならば、できることはいかにこれからも自分の人生をそのときどきの趣味嗜好に合わせて、最適にカスタマイズできるかだけであり、中でも手作り、ハンドメイドで作れるものは極力自分らで作っていきたいと思っている。手先が器用な人なら家具や家や楽器まで思い通りに作れるだろうが、小学校で図画工作の通信簿が3以下で、中学に入り美術と別れたら美術だけは5になったほどの不器用者は工芸は向いていない。家庭科的裁縫、縫製などもむろんできやしない。

 ただ、料理は食べるのも作るのも好きだし、書くことや描く事、芸術全般、中でも才能の有る無し関係なく音楽にはこれからも関わっていきたい。そうしたものを手作りで提供できたらとは昔から考えている。結局とのところカスタマイズとは、自分の使いやすいよう、生きやすいように人生を動かしていくに他ならない。ならば、動きが遅くても機能的でないとしても儲からなくても仕方あるまい。
 出来合いの人生に満足し納得できる人もいる。でも本当の人生とはいかに人それぞれ思い通りに生きられるかであろう。と考えるとまだまだ自分の人生はカスタマイズが足りないのである。もっともっと自由に思い通りに生きたいのであるが・・・。