犬を埋める2012年05月01日 09時46分47秒

犬を埋める

狭い庭に大きな穴を掘り
犬を埋める
17歳で死んだ犬を埋める

犬と一緒に17年の歳月も埋める

天国でまた一緒に散歩しよう
好きだったお決まりのコースを歩こう

その日までその日まで
待っていておくれ
忘れないでおくれ

きみのことは忘れない
クリーム色のつまった毛並みの
レトリバーのハーフ
ピンク色の鼻先

とても利口でおとなしく
誰からも愛され気立てがよかった

犬と一緒にいろんなところへ行った
海にも山にも夏も冬もいつも一緒だった
大きな病気もしたけれどがんばって治った
でも歳月を重ね少しづつ衰えてゆき
目はかすみ耳も遠く歩けなくなって
最後は眠るように死んだ

犬を埋める
17年の年月も一緒に土に埋める

でもいつかまたきっと会える
その日までさようなら

犬を埋める

虚脱感に苛まれて2012年05月01日 22時08分12秒

★全てが終わった今

 新潟から帰って一夜明けた。昨日は、仮眠もとらず夕方から国分寺へ車を走らせて女友だちの個展の搬出を手伝った。まあ、睡眠不足でも疲労困憊、心労心痛であろうとも全ては無事に終わり、5月初日、今朝はまたいつも通り朝早くから起きた。明け方小雨がぱらつき外は濡れていた。
 朝食後、雨が本格的に降る前に犬を埋めてからは、どっと疲れが出て泣き疲れるという言葉どおり自分のベッドで昼過ぎまで深く眠った。夢もみなかった。

 虚脱感という言葉がある。昂揚、興奮、そして緊張していた感情が通り過ぎて今は急に虚しいというか淋しいようなすっからかんの気持ちである。祭りの後の淋しさなのか。気がつくと、さてこれからどうしようかと日に何度となく呟いている。

 むろん、次は一月後また新潟へ行き、今回の熊坂ライブを企画した同じ仲間たちと京都の詩人有馬敲を新潟に招いて詩と朗読のコンサートに関わらねばならない。疲れが出てきたせいか今はちょっとしんどい気分でいる。そう、全てが終わったわけでは決してない。
 ただ、あとは残った犬、猫たちを見送って、そして老親を看取ればもうそれで全て終わりでいいと思えてきた。その残された日々を彼らと一日一日ていねいに生きていけばそれだけで良い。

 人から求められたらできることは何でもしよう。けれど、もう自ら何か仕掛けて何かをやろうなんて考えないでよいのではないか。今までの自分は常に先走りすぎた。できないのに愚かにもあれこれやりすぎた。気力が萎えてきたのかわからないが、自分の「使命」が見えない、わからなくなった。突然欝病に襲われたのか。死ぬまでの人生、あと何をしてどう生きていくか。

 やるべきことは山ほどある。もっと働いて真剣に稼がないとならない。でもオレはいったい本当は何がやりたいのか。自分が人に認められ必要とされることはいったい何なのか。自分に何の価値があるのか。
 この連休中はできるだけ出かけずにゆっくり考え直してみたい。「使徒行伝」の中での迫害者サウロに神が語りかけたように、なすべきことを示す、その声が聞きたいと切に思う。