商売とは顧客あってのものなのに2013年04月16日 10時10分51秒

★家電の修理とメンテナンスについて思う

 これもまた「時代」なのかと嘆きつつ、1円でも安く買いたいという消費者心理がいけないのだと自らも反省もしている。

 前回、もう修理がきかないオーディオ機器などを直したり調整してくれる仕事をしている人の話を書いた。相模湖の方に居を移した工房を訪ねて話をしてきた。
 まあ、それがオーディオアンプでもレコードブレイヤーでも販売・購入後何十年も経ってしまったものならメーカーが受け付けなくても当然であろう。壊れたとしてもその交換パーツを何十年も抱えていたら商売として成り立たない。だからこそこうした個人の、奇特なメカニックに長けた人の存在が有難く注目されている。

 使い捨ての本家・米国はともかく、西欧の感覚、特に訪れたことのある仏、独、英などでは知る限り、家電は壊れても何度でも修理して使い続けている。だからかなりの年代物でも今も車にしろオーディオに至るまで古いものが街中で家庭で現役であった。
 それは彼らがケチであると同時に物を大事にする精神、選び抜いて一度手に入れたものはとことん使い続けるという理念や伝統が歴史ある都市に住む人たちには根付いているという証かと考える。
 メーカーが修理対応しなくなっても街中には、家電の古いパーツだけ扱う専門店があったし、どんなに旧いものでも時計から車まで壊れても修理して使い続けていく、モノを大事にする精神と習慣は常識であった。

 翻ってこの国、戦後の焼け跡から復興し、高度経済成長を体験しGNPだけは世界有数の経済大国になった日本は、米国に倣って何でも使い捨て、買い替えの文化が根付いてしまった。
 三日に一度は新製品が出る、と揶揄されたほど、次々と新商品が登場し、しかもさらに価格は安くしないと売れやしない。結果、1円でも安く作り売り切るために、生産拠点は人件費が安い東アジアに移り、食べ物から衣類、生活用品、家電までバカ安大国となってしまった。そして買ってもらうためにモノの価格は競って下がり値崩れを起こし、当然品質は下がりよりさらに使い捨ての風潮は根付いてしまった。
 何でも新しく、しかも安く買えるならわざわざ古いものを直し、修理して使い続ける理由がない。

 アベノミクスでは、物価が上がることこそが景気回復につながるのだそうだが、その理屈が自分にはわからないし、モノの価格が上がれば消費者はさらに買わなくなることは間違いない。むろん給料や年金、収入が上がれば人は金を使えるが、現行のままではそれはあり得ない。
 長引く景気低迷で、近所の車の修理工場は、大忙しであった。知り合いでもある彼の話では、景気の良い頃ならすぐに廃車にし買い換えたような事故のレベルでもボディの破損など修理できるものならば買い換えずに依頼してくるらしい。
 でもそれは決して悪いことではないだろう。そうした修理、メンテナンス業はなくてはならないものだし何から何まで使い捨てにしていく文明には未来はない。もはや「高度経済成長」の時代ではないのである。

 と、長くなったが、なんでこんなことを書いているかというと、一週間前に修理に出した、東芝のパソコンがまだ戻って来ない。何も連絡ないのでついにシビレ切らして今朝方電話かけた。そしたら、壊れていたのはマウスだけで本体は問題ないとの返事。ならばマウスだけ新品に交換してすぐに戻ってくるはずだと誰だって考える。

 曰く、修理窓口のお姉ちゃんは、「そのマウスの交換のための部品が今なくて、注文しているのだけれどまだいつ入るかわからない、それが届いて修理できて、発送できるようになったら連絡する」とのこと。
 これがうんと旧い、発売から5年6年も過ぎた機種ならこの返答も納得できよう。が、そのパソコンは現行品の、去年の秋口に出た新商品なのである。今も量販店やネットでは販売している。そのマウス一つ、壊れたら修理センターには替えがないのだ。思わず絶句してしまった。

 おそらく生産国である中国から届くのを待っているのかと推測する。国産品でないから修理センターにはそもそも交換パーツがさほど置いてないのだろう。そりゃいくつもの機種を販売しているメーカーだから交換パーツなどの「在庫」は少なくしておきたい。しかし、たかがマウス一つなのだ。うんと特別特殊なパーツではないはずだしマウスなどどれも汎用性があると考える。それがパーツがないので修理が遅れているのである。

 けっきょく、一円でも安く作り売って儲けたいメーカーと、一円でも安く買いたいという消費者との駆け引きの行きつく先がこの有様だと考えてしまった。海外生産の安物だからすぐ壊れる。そして交換パーツすらメーカーにはない。
 今回は、幸い?買ってすぐに壊れたのでこちとらの出費は不要のはずだ。しかし一年間のメーカー保証期間を過ぎていたらいったいいくら修理代をとられたことだろうか。マウスなら他者の製品で代用もできる。本体のどこかが壊れたら場合によっては修理するより買い換えたほうが安いかもしれない。
 こうした使い捨て安物文明を作ってしまったのはメーカーだけの責任ではない。今自らも深く反省している。これは東芝を卑下し富士通を選べば良かったということではない。
 自分も含めたこの国の国民性を問題としている。


 ※【追記】と、書いたら午後になってその東芝の修理担当部の男性から電話があった。朝のクレームを受けて、それに応えてなのか怪しいが、ともかく一度今回は向こうにあるパソコン一式を返送したいと言う。本体は異常がないことと、壊れているマウスの交換部品が入るメドが立たないからとのこと。
 向こうは、有線のマウスがあれば本体は異常ないのでUSBで繋げば使える、その上で、交換部品が入ったらすぐに連絡するから、再度マウスだけを送ってほしいと言う。さすがに温厚な自分もキレた。

 代替のマウスで使えってえのはかまわない。が、何でまたわざわざ壊れているマウスをそのままウチに送り返してくるのか、代りが無いのなら、そちらに置いておいてパーツが届いて直ったら送り返せば良い話ではないかと反論した。直ってないのに返してくるのは意味がない。
 しかし担当の男は申し訳有りません、送り返すときは全部一式というこという決まりでして、それはできないと謝るばかりでラチがあかない。こちらもその対応は面倒で理解できないと強く出たら、上の者に訊いたらしくいったん電話を保留にしてから、ようやく、「新しいマウスが修理センターに入ったらすぐに送るので、その配送業者にそれと引き換えに壊れたマウスをそのとき引き渡す」ということで話がついた。それなら手間は一回だからと。それで一応了解した。

 正直、釈然としないが、マウス一つでいつまでもパソコンが帰って来ないのはさすがに困ってきている。有線のマウスも手元にあるので問題は特にない。が、たかがマウス一つでどうしてこう面倒な事態になってしまうのか、ちょっと理解に苦しむ。この会社の体質、あまりにもユルイというかだらしなさ過ぎると思うがどうか。
 自分もまた客商売に関わる者として、これでは顧客は付かないし、このメーカーの製品は購入しないと言っておく。松下と並ぶ、家電業界の老舗名門東芝、奮起を望みたい。