何故に今、憲法を変えるのか、変えねばならないのか・前2013年04月24日 00時20分57秒

★変えたい者にとっては好機が来たが・・・。

 久々に政治の話を書く。最近の自分の気持ちとしては、「カエサルのものはカエサルに」に倣い、その時々の政治や世相、社会時評についてはもはやコメントすべきではない、という立場をとっていた。

 むろん、政治や選挙はとても大事なものだが、それよりももっともっと大切な問題、深刻に考え取り組む問題も抱えていて、「政治」や社会問題に関心を失ったわけでもないしどうでも良いと軽んじていたわけではないが、あえて当ブログでは取り上げなかった。

 その訳を誤解を恐れずに書けば、社会は人間が築いていくものだが、世界は神のみ心のままに、であり、全てこの世のことは、3.11の大災害を見るまでもなく天命、天の計らいだと考えるようになったからだ。※断っておくが津波は天災でも原発事故は人災である。

 しかし、政治は我々が生きている制度や仕組みを定める根幹のことであり、「憲法」とはそのまた根源に聳えるこの国の在り方、存在理由そのものである。つまり一家にとっての「家訓」、会社にとっての「社是」、人にとってのアイデンティティーというようなものを変えるのであれば、それ相応の理由や手続き、全国民的合意が必要かつ不可欠なのは言うまでもない。だが、今の安倍内閣が押し進める「憲法改正」を見るに、なぜに今、大慌てで変えねばならない、変えやすくしていく、その理由が全く見えない。

 自分は、今の憲法が完全無欠な完璧なものと思わないし、改定することにもやぶさかではない立場をとる。しかし、それが「改正」にせよ「改悪」にせよ、1~2回の国政選挙で多数を得た政党や当選議員だけで「改定」への道筋をつけるのはあまりに拙速かつ傲慢だと考えるし何より今は国民的合意どころかその機運も全く高まっていないのだから極めて違和感を覚えてしまう。

 そもそも憲法をどう変えるのか、何故に変えねばならないのか、安倍総理はきちんとその理由を語っていない。
 現行憲法は米国に押し付けられたものだ、とTPP交渉参加を米国に無理強いされた者が口にするのは茶番であろう。戦後一貫して対米従属、米国の言うことは唯唯諾諾何でも受け入れてきた自民党が、「憲法」だけは押しつけられものだから変えたいと騒ぐのは理解に苦しむ。また、他の国ではちょくちょく憲法を変えているのだから、というのも全く説得力を持たない論。誰かのオカンではないが、「よそはよそ、ウチはウチ」なのである。ずっと変えなくて良かったのは良い憲法だったからではないのか。
 また、作られて年月が過ぎて現実に合っていないという論も疑わしい。憲法をその時々、現実、現況に合わせて変えていけば永久に腰の定まらない国家となろう。そんなふらふらした国は国際社会から相手にされなくなるだけだ。

 いちばんの問題は、変えたい、変えねばならぬと言う輩はいったい何をどう変えたいかはっきりと説明していないことだ。自衛隊を「国防軍」として、日本を攻撃および侵略しようと企む悪い国があらば、やられる前にやれ、と先制攻撃も辞さない、そのためには現行憲法が足かせとなる、ゆえに9条をなくしたい、と言うのならばそう公言すれば良い。つまり戦争がしたい、今の憲法では戦争ができない。だから戦争できるように憲法を変えるとはっきり言うべきだ。さすれば軍事産業は大もうけできる。原発もゼロにできないのは日本も核兵器を持つためにその技術とプルトニウムは手放せないからだ。

 それを奥歯にものが挟まったように、曖昧にしてともかく憲法を変えやすくするための法律をまず通そうとしている。そう自分には見える。政治家とは、先の総選挙のときも同じだったが、国論を二分する事案、問題にはあえて曖昧な態度をとる。本心を隠す。自民党は原発問題とTPPについては態度を明確にしなかった。そして選挙で大勝したとたん、原発推進とTPP交渉参加表明である。

 憲法「改正」とは何のための改正なのか、その意欲の裏を勘ぐるべきであろう。