4月の終わりに2013年04月30日 22時19分28秒

★現況とこれからのことなどを少し。

 4月末日である。また鼻水垂らして咳が少し出ている。喉も痛い。
 今年もこれで四か月、三分の一が過ぎた。年明けからずっと風邪をひいていて調子が悪く、3月に入ってから急に暖かくなったので気力体力ともに「回復」したのだが、また体調は降り出しに戻ったという感じである。

 が、もう明日から風薫る五月。寒くもなくまだ暑くもなく、今がいちばん良いシーズンなのだから今のうちに様々な懸案の作業の歩を進めておかねばならない。もうパソコンにせよテレビにしろ、オーディオ類、編集機材にせよ、ほぼすべてハードは揃えた。
 あとは藤野のシゲさんのところに修理に出しているカセットデッキが戻れば旧いビデオテープ類も含めて、映像と音楽の編集スタジオとして動きだせるかと思う。今まで、カセットテープ時代からあちこちで録りためたライブなども全部、デジタル化して公開できるはずだ。いろいろお預かりしているレコード類、もう少しお待ちいただきたい。

 むろんそうした作業はちょこちょっこっと短時間片手間ではできない。まずそのオリジナルの音楽、映像なら映像のそのものの長さを全部確認して、今度はさらにそれを細かくチェックして間合いを詰めたり音量を上げたり細かく加工して、さらにまた頭から通して確認していく。そんなことを繰り返すのだから、元の時間の数倍時間がとられる。
 何か短い1本のソフトだって、丸一日がかりで取り組んでその日のうちに「完成」できれば早いほうだ。作業を始めれば、もうその日は一日他のことは何一つできなくなる。

 昔、家庭にビデオデッキが入ってきたとき、映画マニアたちは大いにそれを歓迎した。これで放送される映画は全て私物化できると。見逃す事もなくなる。が、誰が書いていたか失念したが、けっきょく予約して録っても2時間なりのその時間は観るのにまたとられてしまうのだから、たたでさえ少ない現代人の時間はますます削られてしまう。だからちっとも便利でも何でもない、要するに観れば見た分時間がなくなるだけと喝破していてなるほどと思った。

 じっさい今だって、テレビ放送などをハードディスクやCD-Rにデジタル録画する方は自分も含めてたくさんいるかと思う。でも、録るだけはとっても観ないという人もまた多いのではないか。コレクションとしてではなく、要するに忙しくて録りためてたものを観る時間がないのだ。いつか観る、そのうち正月にでも時間できたら観るつもりではいるのだが、おそらく今後も観ることはたぶんない。
 まあ、「本」ももとよりそうした類のもので、読まずに積む、積んでおく「積読=つんどく」という本好きも今も昔も多々存在する。ただ、本はそれでも後に誰かが読んだり「流通」はする。が、個人が録りためたそうした映像ソフトは著作権の関係もあり、売り物にはならないから要するに不燃ゴミでしかない。

 何にせよ、音楽にせよ、映像にせよ、それは個人が録った、撮ったもの、あるいは出来合いのものにせよ、モノとしてどれほどの価値があるのかとこのところふと考える。けっきょく、それを再生するためにまた同等の時間が奪われていく。目も耳も腰も疲れて痛くなる。そのために少ない人生の時間が失われていく。テレビやオーディオどころか電気もないトンガやパプアの土人の方々は、おそらく与えられた人生の時間を自らのためにだけ潤沢に使い尽くすことがてぎるに違いない。それこそが真の贅沢であろう。

 それは極論言えば、本だって同じで、あの偏屈王、内田百鬼園先生は、目はそもそも本など読むためにあるのではない、とまで断じていた。でもじっさいこのところ早朝の犬との散歩で、青葉、若葉の木々の美しさに目を奪われて、その言葉を思い出した。

 まあ、そうは言ってもこの文明から自分は逃れることはできやしないのだが。それに記録や保存こそがたぶん自分の役割だと任じてもいるのだから。