自分の痛みと人の痛みと2015年06月16日 08時40分44秒

★人の痛みに敏感でありたいと            アクセスランキング: 219位

 人は皆、それぞれが自惚れ(うぬぼれ)鏡を持っていると書いたのは森茉莉であったか。杏奴(アンヌ)だったか。

 その鏡は、自らの真の姿は正しくは映さないのに、他者の姿ははっきりと映す。
 俗に、自分のことは棚に上げて、人の難や非はよく見えるが故あげつらう人は多々いる。責めもする。かくいう我もまたそうであろう。人とはそうしたものだ。
 それを承知で書く。

 世の中には、無神経な神経質という人がいる。自分のことに関しては、万事とても細かくこだわりを持ち、少しでも何か問題が起きればすぐさま騒ぎ立て周囲を辟易させる。
 が、他者のこと、自分以外の関心外のこととなるとまったく無神経で、他者の気持ちなど何一つ忖度しない。身勝手といえばそれに尽きる。しかし当人は神経質を自認したとしても他者への無神経はまったく気づいてもいない。
 同様に、自分の痛みに関してはとても敏感で、少しでも体調崩すと大騒ぎしたり、些細なことでも心が傷つき落ち込んだり保身に余念がない人がいる。が、そうしたことが周囲に及ぼす影響となるとこれまた無関心で、むろんそれだけ余裕がないということもあろうが、結果そのことから生ずる他者の痛みに対し思い至らず放擲してしまう。

 まあ、人間に限らずすべての生き物は常に御身大事で、まず自分のことしか頭にないのだからまず大事なのは自分のことであり、それが何とかなって初めて他者への配慮やいたわりなど余裕が生まれる。それもいたしかたない。
 我がことを後回しにして他者優先に生きた人など、世界史をみてもナザレのイエスの他に、数人しか思い浮かばない。ならばそうした、無神経な神経質の人も自分の痛みには敏感なのに他者の痛みには鈍感な人も何ら責められる咎はない。しかし・・・

 この人生とこの社会は何に喩えるべきかよく考える。いちばん近いように思えるのは、満員電車ではなかろうか。
 偶然乗り合わせた電車は進んでいるけれど、びっしり満員で息苦しい。肌ふれあうほどの密接なすし詰め状態の中、誰もが周囲の人たちに対して嫌悪感さえ抱いている。こんなにいっぱいの電車に乗ることなんかなかろうにと。
 しかしそれは誰もが同様であって、人生とはそうした乗り合わせた電車だと考えれば文句も言えまい。またその中では、身勝手な行動は慎んで、できるだけ大人しく融通しあい周囲との調和をはからなくてはならない。
 なぜならば満員すし詰めの中で苦しく辛いのは誰もが同じだからだ。

 そしてその車内でずっと立っている人と座っている人がいて、例えば立ち尽くして体調悪くした人がいたら、代わって席を譲るのが正しい社内マナーであろうし、各々の人生の総体である社会のあり方であろう。
 自分は幸いシートに座れたが、目の前で、気分を悪くして立たれている人がいたとしたら、妊婦や老人でなくても席を変わらねばならない。
 
 偶然にも同時代という乗り合わせた電車の中で、行きづりでも出会い多少の関わりを持った人とはそのように助け合わねばならない。自分のことだけ考え、自分にしか関心がない人はやはり間違っている。
 他の動物と人間が根本的に違うのは、そうした思いやりや助け合いという意識があることで、他者の痛みに敏感である故だ。

 むろんこんなことを書くお前こそが、どれほど身勝手かという罵倒の声が聞こえくる。しかし、聖書にある、善きサマリア人になれないとしても、もしそうした事態やきっかけがあらば人は本来誰でも困り苦しむ人に声をかけ手助けするものなのだと信じたい。

 先に「人生相談」のはなしを書いた。人は皆様々な痛みを抱えて生きている。大変でない人生なんてない。だからこそ他者の痛みに敏感でありたいし、人の話を聞きたいと願う。せめてそれぐらいは力になれるし請われたのなら応じなければならない。
 そしてこの社会は乗り合わせた苦しい満員電車だからこそ互いに思いやり譲りあい、少しでも楽に快適に進んでいくよう協力しあわねばならないはずだ。 

 途中で下車する人もいる。ただまだ我はうんざりしつつもその電車に乗り続けている。行き先は定かでない。しかし、その電車を自ら降りる気はまだない。そして身勝手な人が隣にこようと周囲の人を憎みはしない。ただ受け入れていく。それもまたお互い様だから。

 私ごとを記せば、自分の痛みに感じる程度は他者の痛みにも敏感でありたいと願っている。が、なかなかそれは難しい。しかし諦めずに心の壁に穴をあけ愛の橋をかけていくしかない。

山梨は海が近いことなど2015年06月19日 21時00分09秒

★行動せずに想像するなかれ       アクセスランキング: 209位 

 昨日まで山梨へ行っていた。山里である向こうも寒かったが、こちら東京に戻ってきても寒い。
 山梨ではコタツは出しっぱなしで、夜はコタツつけて、親たちはそこに足を突っ込むように布団敷いて寝かせた。

 そして気温が低いのは、向こうだけだと思ったが、東京に戻ってもさほど変わらず、今晩はウチでも薪ストーブを炊いている。
 まさか6月も後半になってストーブつけるとは思ってもなかったが、朝晩の気温は20度もないのだから、寒すぎるから仕方ない。
 今年の春が過ぎ、5月の連休の頃は異常な猛暑で、毎日夏日、真夏日だと全国的に騒いでいたのにどうしたことか。

 まあ梅雨寒という言葉は昔からあり、今頃は気温が低いのも例年のことなのだろうが、それにしても北西の風が吹き冷たい雨は降り続き寒くてかなわない。山梨でも雨もよいで天気はすっきりしなかったが、それでも今回は、増冨のラジウム泉に浸かった以外、少し足を伸ばして北杜市長坂町へ行ってきた。もう八ヶ岳の麓である。

 山梨の北端、北杜市須玉の古民家と縁をもって、今年で3年目となる。一昨年2013年の春5月の連休に、紹介され出向いてその地を知り、その年の秋口には、そこを自由に使えるようになった。
 が、その年の冬は、記録的豪雪で、春まで全く行けず、去年もあまり夏になっても行くことはかなわず、ようやく今年になってスノータイヤも手に入れ、通年行くようになった。そして今年に入ってからは本格的に倉庫として古本古雑誌を運び込むのと母の癌治療のため湯治も目的に定期的に通うようになった。

 これまでは、家族でも一人で行ってもその増冨他近辺の温泉に浸かって一泊で翌日夕方には東京に戻ってきていた。
 しかしそれではその須玉町江草の古民家と東京の自宅との往復だけで何一つ目新しいとはない。それもあってこのところは帰りだけは、高速道は使わずに、昔ながらの甲州街道をだらだらとあちこち寄り道がてらゆっくり帰ったりもして新たな楽しみも見出していた。

 しかし、山梨県北部の北杜市までほぼ二週に一度は通っているわけだから、その古民家との往復だけでは物足りない。農協や直売所で新生地野菜などを買い求める楽しみは覚えたけれど、その地の名所など観光スポットも訪れても良いではないか。
 
 それでこのところは、行ったからには、温泉だけでなく、少しづつ近隣の見知らぬ町を訪れるようにして新たな楽しみを見出している。
 これまでは、そのラジウム泉がある増冨ラインという、、山梨県最北部の北杜市の中でも奥秩父に隣接した、地図で言えばいちばん右側、つまり市の東側地域だけしか知らなかった。

 まあ、その北杜市なる市も、実は平成の大合併でできた、八ヶ岳南山麓の小さな町や村がいくつも寄せ集まった巨大な市であり、その北杜市の中に、清里から大泉、長坂、小淵沢、白州、そして須玉や明野までそれぞれ特色ある町や村を擁しているのである。
 今通っている古民家があるのがその市の東側須玉町の奥まった山郷だったので、どうしてもその地域ばかり、それも韮崎インターから上っていく道ばかり通ってある意味マンネリ化してしまっていたのだった。

 そんなこともありこのところは、須玉町の近辺の街々を一つづつ訪れるようにしている。まずはトンネルを越えての隣町、清里に近い高根町、そして一山断崖の向こう側にある、農業の盛んな武川という町へも足伸ばした。
 そして先日はようやく、長坂町まで親たちを連れて行き、JR長坂駅前の老舗の寿司屋で、昼飯とって帰宅した次第。魚も野菜もなかなかすべてが新鮮で美味しかった。

 山梨へ通うようになり、いちばん驚いたというべきか、新たな発見だったことは、実は山梨は海が近いこと、海産物が豊富だという「事実」であった。
 あんな山の中で何で???と県外の方は当然思われるだろう。じっさい北杜市などはもう長野県に隣接していて八ヶ岳山塊と南アルプス、奥秩父の山々に囲まれているのである。しかし、海産物は豊富なのだ。自分も不思議であった。

 しかし、地図を見て氷解した。海から遠いと考えるのは、我々が東京から、東京都心の海、東京湾から見て都心から走ってくるから遠いと思うからで、地図で見れば下の駿河湾側、つまり焼津港など静岡側からみれば東京湾よりすぐ近くに海があるのであった。

 須玉にせよ韮崎にせよ、東京都心まで100数十キロ離れている。しかし、地図直下の静岡の海からすればその半分ほどの50~60キロしか直線距離では離れていない。むろんまだそこには高速道路はダイレクトにつながっていないし、南アルプスに沿って一般道を海に向かって地図を下っていくから時間はかかるだろうが、それでも東京に行くよりはるかに近いところに海がある。
 だからスーパーなどでは、焼津港直送と記してマグロなどが並んでいるし、ここは山の中だという認識なのに、意外に新鮮な海産物がたくさんあるので驚かされるわけだ。

 つくづく、その地に来て、体験してみないことには、本当のことは何もわからないのだと思い知った。人はその経験や行動なしに何となくイメージして決めつけていることが多々あるのだと気づかされる。
 人は何であれ何となくイメージして、わかった、知っているつもりになっていることが多いのである。

若者よ、自らの手で政治を変えて行け2015年06月20日 04時49分47秒

★自らの未来を、政治に託していけ     アクセスランキング: 178位

 よく、何事も喩えてとして「カエルを茹で殺し」の例が出される。
 カエルを茹でて殺すのなら、いきなり熱い湯の中、煮立った鍋の中には入れない。カエルは熱さに驚き慌てて鍋から飛び出して逃げてしまう。
 だからまずは、水から入れて、カエルを入れた鍋を火にかけて、じょじょに時間かけて熱くしていく。すると、カエルは逃げ出さず、いつしか熱くなった湯の中で茹で殺しにされてしまう。

 この「喩え」はそもそもその茹でたカエルをどうするのかが語られていないし目的もはっきしないが、じっさいその通りだと思える。いきなりだとうまくゆかない。時間かけて少しづつ気づかれないようやればうまく目的は達せられる。

 支配者層が今の日本人と日本の社会にやってきたやり口はこのカエルの茹で方と同じであった。
 戦後70年、鍋の温度は上下したけれど、けっきょくうまく国民を茹で殺しにすることに成功したと言えよう。いや、殺されはまだしていないが、鍋の中で今日本人は、ゆで上がる寸前で、ようやく熱湯の中で「騙されたかも」と気づき始めた。まあ、それもごく少数で、多くの国民はカエルと同じく、既にまんま茹で殺されてしまったようだが。

 まずマスコミをうまく手なづけ、テレビなどの「白痴化装置」で、メディアを使い国民の思考力を奪っていく。そしてじょじょに少しづつ鍋の温度を上げてきた。
 いきなりの「改悪」は抵抗があろうし、そもそもとにもかくにも選挙があり、その選挙で信任を得ないことには鍋をかけたガス台の火力を調節する料理人には選ばれない。
 この日本という国と国民をカエルを使った料理に喩えれば、その担当調理人はずっと自民党であった。そのコックは、一時期だけ席をはずして別のコックが調理台に立った。民主党である。
 しかし、あまりにその手腕はひどくめちゃくちゃで、期待されて調理台を任されたのに、かけていた鍋を途中で投げ出し自らトンズラしてしまった。
 そのとき実は既にかなり熱くなっていた鍋の中にいたカエル、国民は、また自民党シェフに戻ってきてほしいと願った。そして彼らは帰ってきて、この二年間で一気に火力を上げた。それが派遣法改正案と安保法制に至る数々の超「悪行」である。そのスピードにはさすがに鍋の中の国民も、こりゃ熱すぎるぞと気づき始めた。
 しかしそれも自業自得、じょじょに鍋の温度は上がってきていることに気づかなかったカエルが悪いのである。

 彼らの唯一の善行は、18歳に選挙権を引き下げたことだが、個人的にはそれすらも果たして本当に良いことか怪しく思うところもある。何故なら、今の若者こそ政治に無関心で、低年齢世代こそ選挙に行かないからだ。彼らに選挙権を与えてもあまり意味がないとすら考えてしまう。
 既に茹であがったカエルでいっぱいの鍋に、また新たにカエルを投げ入れていくイメージが浮かぶ。しかし・・・

 生涯を派遣労働に固定化してしまう新たな労働法は、、正社員となれるコネのある子弟を抱える裕福な支配者層とコネもキャリアも金も持たない貧困層とに日本社会を二分化するものだから、当然のことそれに不満を抱き異議を唱える者も多数出てこよう。
 その挙句が米国のように、一握りの富裕層とスラムに住む貧困層との完全な格差分離社会へとこの国を導いていくかはともかく、あちこちで軋轢を生み社会的「事件」も続発していくに違いない。

 若者よ、君たちにはまだ何の責任もない。こんな歪んだ息苦しい日本社会にしたのは団塊の世代をはじめとした大人たち全員の責任だ。しかし選挙で若者皆がNO,!を示せば煮たぎった鍋の温度も少しは下げられる。その鍋の中に投じられる前に、びょんと飛び出し、その調理人たちをあたふたさせろ。
 おとなしく鍋の中でじっと茹で殺しにされる愚を繰り返すな。おかしなことはおかしい、間違っていることは間違いだと意思を表明せよ。

 若者たちよ、選挙に行け。茹であがったカエルになるな。鍋の温度を下げろ。新たにもう茹で殺されるな。まだ間に合う。鍋から飛び出せ。

戦争は、一方通行の戻れない道2015年06月21日 23時24分09秒

★平和憲法と立憲主義最大の危機           アクセスランキング:139位

 それにしても異常な事態である。戦後も70年の節目の年に、戦争も70年という時の流れで風化するとこういう暴挙、従来の常識ではありえない為政者の「暴走」がまかり通るのかと怒りをとおりこして感嘆すらしてしまう。
 要するに、じっさいの戦争を知らない今の政治家=「戦争を知らないバカ者たち」が、大挙して今国会で、現今の世界情勢では日本も戦地に米国と共に軍隊を出してドンパチ戦争をすることが平和への道、積極的平和主義、国際貢献だと妄言を叫ぶのだから世も末である。

 平和のための戦争なんてありえない。そんなことは子供だってわかる。子供のケンカならケンカして仲直りすることはありえよう。しかし、「敵」と戦い、殺し殺されして得た「平和」とは真の平和ではない。
 戦争は終わったとしても双方すべてが傷つき、わだかまりを持ち、子々孫々に憎しみを伝えていく。そしてことあらばまたすぐに火種に火がつき紛争は再発していく。
 戦争とはサッカーのようなスポーツやゲームではない。ノーサイドで握手して相手の健闘を讃えて爽やかに終わるものでは絶対にない。
たとえ終結しても後には怒りと憎しみと哀しみとありとあらゆる損失だけが残される。

 よく呑み屋で、居合わせた客たちが、昨今の情勢を話していると、たいてい誰かが、今の日本人はいちど戦争でも起きないことには目が覚めない。戦争に行けばどんなに戦争が悪いことか思い知るだろう、という意見がとびだす。
 我もまたそう思えなくもないけれど、そうした意見には絶対に同意できないししてはならないと自戒している。
 なぜならば、一度そうした事態へと歩を進めてしまえば、二度と後戻りはできなくなるからだ。近しい過去に目を向けても、9.11のあとのアメリカのように、次々と戦争を続けなくてはならなくなっていく。関わった戦争には当事国として戦後処理も責任を負わされる。
 そして「敵国側」はテロリストを送り込み、リベンジの機会を狙っていく。そして戦時においては、国民もまた銃後の守りを強要され、挙国一致体制に従わず反戦運動に関わった者は、スパイ、非国民として弾圧されていく。
 我が身のことを思えばそうした事態を心から憂慮する。

 国民の自由が保障される戦争も安全な戦争もこの世にはありえない。戦争が起きるときは、常に世界の安定と平和のために、とか、国家自衛のため、国民の命と財産を守るべく、とか大義名分が語られる。
 しかしそれすらも専守防衛ならまだ許されたととしても、わざわざ米国と一緒になって世界の果てまで、後方支援だが何だかしらないが、戦争に参加する必要なんてどこにもない。

 戦争とは戻れない道。いちどその河を渡ってしまえば二度と引き返せない。まだ戦争は起きてはいない。しかし、世界のどこでも戦争に参加できるよう法律を変えてしまえば、その法律は効力を発する。
 憲法九条は何のためにあるのか。自ら政治家たちこそが憲法の上に立つと自認するほど驕った奴らは、ひとたび戦時が起きれば憲法は現実に即さないから破棄して新たに新体制に合わせた憲法を作らねばと声高に叫ぶだろう。
 自らが立憲主義を否定し、詭弁を弄して解釈を変更し戦争法案をやみくもに成立させようと自公、そしてそれに手を貸す維新の政治家たち。
 彼ら政治家たちは実際に戦地へは行かない。そうした法律をでっち上げ戦時体制へ国家の道を進めただけだ。そのことは真に罪深い。自衛隊員は成り手がなく、やがては徴兵制が必ず実施される。
  自分にも子供はいないが、安倍ご夫妻に子供がいたら、彼らはその子や孫たちを戦地に送る覚悟はあったのか。いや、たぶんきっと何も考えず、アメリカの言いなりに、唯唯諾諾従うことこそが日本という国のあり方、国家反映の道だと心底から刷り込まれているのであろう。彼が敬愛する祖父はアメリカに政治生命を救われ傀儡であったから。

 戦争こそ、人類最大の犯罪であり、その狂気は人心を、環境をむしばんでいく。それ故に戦後日本人は、たとえアメリカから押し付けられたとしても不戦の誓いが記された平和権法を大歓迎し長いあいだ自民党すら受け入れてきたのだ。それを一内閣が勝手に集団的自衛権の解釈を変え戦争国家に戻そうとしている。

 その過去の経験から学んだことを、戦争を知らない子供たちやそのまた子供たちである今の日本人が解釈変更容認して、再び戦争への道を進む愚を繰り返しては絶対にならない。

 世界には紛争が絶えず、無法国家は存在している。だからこそ、そこに兵器と軍備で駆けつけてしまえば火に油を注ぎに行くことだとどうしてわからないのか。

善きサマリア人でありたいと2015年06月22日 22時33分47秒

★忙しくとも求められればこそ、縁あらばこそ       アクセスランキング: 133位

 あれこれ家のこと、私事を抱えて多事多難のマス坊である。コンサートに向けてチラシも作って練習もしないとならない。やるべきことは山ほどあり、果たしてその期日迄に間にあうか頭痛いが、今日は「人生相談」を受けにお茶の水まで出向いてきた。

 先にちょこっと記したが、先日偶然喫茶店の隣の席で声かけられ、知り合った建築家の先生から、音楽を志している教え子にアドバイスというか話に乗ってやってくれと頼まれ、双方の日程を合わせて会ってきた次第。建築家の方とはこれで二回目、むろんその若者とは初対面である。

 そもそもそんな相談に、プロのミュージシャンでもなく、その業界の人間でもないまったく無名の自分が、相談に乗るも何も話を聞くこと自体がセンエツの極みと思うが、それもまた何かの縁であり仕方ない。で、臆面なく行ってきた。バカで無責任でもあるからだろう。
 役に立たないとは前もって承知いただいてともかく会って2時間話してきた。真面目な好青年で、彼の話を聞くというよりもかなり一方的に、音楽やうた、それに関わっている人たちについて知っている限りのことや私的に思い考えていることなど話してきた。彼の悩みというか相談事はプライバシーもあるのでここでは書けない。

 さんざんあれこれ話したものの、果たして彼の心に届いたか、少しでも何か参考や考えるきっかけになれたか正直まったく自信がない。しかし、彼のことはともかく、そうした話す機会を与えられたことで、こちらこそが、改めて何をどうすべきなのかいろいろ気づき考えもまとまってきた。有難い機会であったと今思い返している。話したことをまとめれと。

 まあ、要するに何か思いやこころざしあらば、ともかく行動してアクションを起こしカタチにして他者に示さねばならないということだ。
 どんな立派な願いや思い、素晴らしいアイディアを持っていても、それが内心にあるだけでは誰も認めもしないどころか相手にもしてくれない。何故ならそれは見えないし伝わらないからわからない。
 たとえそれがどんなに大したことでないとしても自ら好きで信じ続けて行けばやがては他人にも知られるようになるし注目もされる。何事も上手い下手は関係ない。ただ本物か偽物かどうかだけだ。
 売れる売れない、有名無名ということだって、決して良いから売れたとか売れないのは悪いからだと限らない。運不運も大きいし、自らの努力だけでどうにかなるものでもない。
 ただ大事なことはとにもかくにも続けていくこと。慌てず焦らず諦めずやり続けていけばそこに必ず良い結果が生まれる。

 そんなことをこの無名かつ非力な、それこそろくに収入もない、明日の糧の心配すらしている男がしたり顔で若者に説いて来た。しかしその話したことは間違いなく正しいと信じているし、今の自分にも課していることだ。
 そしてダメ人間だったからこそ、そうして失敗人生を長く送ってきた者だからこそ、未来ある若者には同じ轍を歩んでほしくないし、堅気でない人生を送るならこそ覚悟を決めてとことん本気で何事も取り組んでほしいとアドバイスした。

 アリとキリギリスの寓話の、キリギリスの人生を送ってきた者として、それはちっとも悪い生き方でないと信ずる。が、ならばこそキリギリスはその「うた」を極めなければならなかったと気づく。面白おかしく遊んで暮らすのはそうできるのならそれもまた良し。いずれにせよ老後のつけは自らが払うのだから。
 しかし、遊び暮らすのでもとことん本気で真剣に生きなければならないのだと今にして気づく。もし音楽が好きだと思い、そこに自分を見出すとするならば、できる限り真剣に取り組むべきではないか。
 さすれば、冬が来たとき、困ってアリに請い頼むとしても、代わりに熟練のうたや演奏を示せばアリたちも喜んで巣穴に招いてくれるであろう。

 アリの生き方もちっとも悪くない。アリの人生が正しくてキリギリスの人生が悪だというわけでもない。アリだってアリにはアリの屈託や悩み後悔のようなものは抱えているだろう。ならばそれぞれが持っているもので分け合い助け合うしかないではないか。
 キリギリスのうたは、退屈な刺激のないアリの生活の慰安になるかもしれない。ならばキリギリスの人生だって決して独善的無意味ではないであろう。

 ナザレのイエスは、汝の隣人は誰かと問われ、喩え話を出し、当時のユダヤ人と敵対し口も利かなかったサマリア人だが親切な旅人の例を示した。道に倒れ負傷し困っている人を助けた行きずりの善きソマリア人にこそ正しく倣うべきだと。
 じっさいの話、人は誰だってそこまで他者に対して、まして赤の他人に対して親切にはなれない。しかし、せめて請われれば話を聞き、助言以前にこちらの思うところを話すことぐらいはできるしすべきだと信ずる。だからこれからも忙しくてとも請われ頼まれたことは何でもしていく。

 まあ、その結果、相手は失望し、接する相手を間違えたと後悔するときもあろう。しかしそれすらも反面教師として役に立ったのではないか。人は嗤うであろうが、我もまた少しでも善きソマリア人でありたいと、倣いたいと心底から思う。むろん、やがてはとてもそんな余裕がないときが来るだろうけれど。が、そのときはそのとき、汝思い煩うなかれだ。

今年もまた隅田川フォークフェス2015年06月23日 21時07分56秒

★                       アクセスランキング: 158

隅田川フェスのチラシ・表2015年06月24日 22時03分47秒

アクセスランキング: 152位

言論弾圧こそ戦時体制の前ぶれ2015年06月26日 21時26分09秒

★何様のつもりか作家百田尚樹            アクセスランキング:178 位 

 当ブログをお読み頂いている方は、勝手ながら基本「同志」だと思っている。だから、わざわざ同意していること、おわかりのことは書いてもあまり意味がないと考えている。
 つまり脱原発にせよ、戦争法案に対して反対の立場を表明するのもわざわざ改めてここに書く必要はないはずだし、せいぜい関連した情報を載せる程度にとどめておくべきだと思っている。
 しかし、報じられたように、自民党の若手議員の勉強会での参加者と講師として招かれた作家百田氏の発言だけはどのようにしても看過することも許容することもできやしない。なので書く。

 たとえそれが身内だけの気軽な集まりで、冗談として口がすべったとしても飲み屋や料亭での仲間内だけの与太話ではないのである。それは報じられ、どのような反響を呼ぶのか公的立場にある者は当然考えなければならない。
 呆れ果てたと同時に、百田氏と同時代に生き同世代の者として本当に情けなく恥ずかしく思う。こんな人間が物書きとして、あるいは文化人としてマスコミにしゃしゃり出て公的立場で問題発言を何度でも繰り返す。かつての慎太郎もひどかったが、卑怯卑劣さと品性下劣さにおいて彼こそその後継者としてまさに相応しいとここに記しておく。

 じっさいのところ、自分たちの思い通りにならない者たち、言うことに従わない者や反する意見を報じるマスメディアがあるのは政治家やその取り巻きにいる者たちにとってはハラワタが煮えくり返るほど憎いのであろう。その気持ちはわからなくもない。
 しかし、だからその新聞をつぶさなければならないとか、企業に働きかけて広告収入を減らせばもっと言うこときくようになると考え実際そう言葉に出すとは、これはもう言論封殺以前に、独裁主義であろう。
 つまり反対する意見や考えに対してはどのような手段を用いても弾圧してもかまわない、そうできると思っているのである。

 むろん谷垣幹事長曰く、反論は自由であろう。ならばそもそもの言論もまた自由でなければならないではないか。それを封殺や弾圧すべきだと臆面なく身内の勉強会で各自が自由に口にする。それこそ本音が出た。
 となるとじっさいにそれができないとしてもそれは恫喝ともとれるし、権力側にいる者たちが口にすればどういう効力があるかまずよく考えなければならない。

筆者マス坊は、こうした暴論、妄言が表現者である作家の口から出たことに心から恐怖する。つまり、彼は冗談だとか、口がすべったと慌てて取り繕うとも、自らと考えの異なる意見は弾圧してもかまわない、取り締まって然るべきと考えているとしたらこの男は作家ではない。国家権力のたいこ持ちでしかない。

 うたであれ、小説であれ、詩や絵画であれ、表現というものはとことん自由であるべきではないか。読売やサンケイなど自民党に寄り添い、権力を讃えるメディアも多々あろう。しかし、全マスコミがそうであれば、この国は自ら客観性を欠いて再び体制翼賛、国家国民一丸となって何をしでかすかわからない。
 ゆえに民意を報じ権力や体制側を批判するメディアが必要なのは自明の理なのである。それが社会の木鐸という言葉の由来だ。
 正しい国家、それも民主主義の国とは、様々な意見が自由に発言でき、それを互いに尊重しあい、そのうえでできるだけ様々な考えがうまく反映されるよう議論を重ね政治を進めていくことのはずだ。
 現実に世界にはそうしたシステムを欠いている歪んだ国家も多々ある。それは某隣国のような一党独裁であったり、一宗教原理主義に基づき、国民すべてが管理され弾圧されている状態だ。

 百田氏の発言はそうした独裁国家へとこの国を進めろということであり、それが現実となったとき、彼のような作家は国民的作家としてもてはやされるかもしれないが、それこそ権力に寄生したダニのようなものでしかない。
 かつて戦時下、日本の文壇にもそうした軍国日本のお先棒を担ぎ、戦意高揚を煽った作家はたくさんいた。そうした作家の哀れな末路を彼は知らないのであろう。

 彼の小説が多少でも文学であり、芸術の範疇にあるのだとすれば、芸術に携わる者は、常にどんな時代でも反権力、反体制であるべきだと我は考える。あるいはまったく政治や世相とは距離を置き純粋芸術に向き合うべきであろう。
 芸術家とはときの権力に寄り添ってはならない。まして表現の自由を取り締まれとか、弾圧せよと絶対に口にしてはならない。ならばそもそもこの男は作家でも芸術家でもないと思う。単なる頭の悪い下品な与太者だという認識でいたが、今回もまたそのことを証明してくれた。

 表現や報道の自由を認めない者はそもそも作家でも表現者でも何でもない。振り上げた拳はやがて自らに下ってくる。百田氏は弾圧されてもかまわないであろうか。それとも我がペンは自由を求め、自らと反する他のペンはそれを認めないのはあまりにも狭量、人間として度量の小ささを曝け出したということだろうか。

 今回の一件は、戦争法案を成立させようとしているやつらの心証をさらけ出し、じっさいに戦時下になればどういう状況が現出するか国民に示したと言えよう。戦争法案とは彼らにそうした国民弾圧の権力を与えることに他ならない。

異なる考えの人がいる。思い通りにならない。それは悪いことか。2015年06月28日 19時52分19秒

★驕れる者は久しからず。             アクセスランキング: 位

 権力者とその権力側に属する者ほどタチが悪いものはないとつくづく思う。作家百田氏も彼を招いた若手議員たちも愚かというか、本当にどうしようもないが、そもそも彼らは議員である以前に人として何かが欠落している。改めて問う。いったい何様のつもりなのか。この世の中はすべて自分たちの思い通りになると思っているのか。

 こんなことを書くお前はどうか、と問われれば、むろん自分もまた人としてかなりオカシイ。まっとうだなんて思っていない。しかし、長年生きてきて学んだことからすれば、今回の騒動の根本部分は、権力側の驕りとしか言いようがなく、その発言が呼び起こす結果についてあまりに鞭頓着、無自覚だと特に百田氏に対して強く思う。

 そう、我と同世代のもはや若くないがゆえ、相応に世知を重ねたはずの世代の人がどうしてこんなにお粗末な考え方しかできないのか不思議でならない。それもまた人間性なのだろうか。

 百田氏は、報道後、マスコミのインタビューで釈明に追われ、そもそもこの会合は内輪の私的なものであり、[内輪の席で、『やっかいやなあ』とか『あの会社つぶれたらええのに』ということあるでしょう。それを、こいつこんなこと言ったと書かれているようなもの。極端な言い方だが、飲み屋の会とあまり変わらない]とし、[内輪の席で、軽口の一言だけ取り出して、その言い方がどんなニュアンスだったかとかいっさい考慮せず、その一言だけを取り上げて、大騒ぎするのは、非常に卑劣できたないやり方だと思う]と逆キレしている。

 しかし、そもそもこれは仲間内の飲み会での与太話ではないのだ。政権を担う政党の本部の中で、安倍首相を支持する若手、中堅国会議員が企画した「勉強会」なのである。本当の呑み屋での集まりとは全く異なる。これは公的意味合いを持つ。
 講演後の雑談で出た軽口、冗談だとしても百田氏も、マスコミは懲らしめろと発言した議員たちはその発言には責任を持たなければならない。

 氏は、オフレコ話を盗み聞きされそれが報道され騒動となったと憤慨しているようだが、報道されたのは、そこに報道に値する問題内容があったからで、ならば極秘にメディアをシャットアウトした会合にすれば良いではないか。

 さらに付け加えれば、軽口、冗談だとしてもあるいは本音だとしても、『本当につぶさなあかん』、と言葉にするのが問題なのである。『つぶれたらええのに』と思うことは誰にでもある。また、それを呑み屋で気心しれた仲間たちに話すのはまったくかまわない。
 が、それを公人として招かれた議員たちとの「勉強会」の場で気やすく口にしては絶対にならない。また、もう一つ看過できないのは、普天間飛行場成立の過程についても彼は勘違い以前に、史実を著しく歪めていることを指摘しておく。
 住民は基地がお金になるから基地の周りに自ら集まってきて現在のような住宅地のど真ん中の飛行場となったとは、まさに白を黒と言い放つ妄言でしかない。いや、デマ、誹謗の類である。もしこの発言を信ずる者がいたとしたらかの住民が可哀想でならない。

 彼は臆面もなく、騒動後も、真に潰れてほしいのは、毎日、朝日、東京新聞だと本気で「本音」を表明している。つぶさなあかんと本心から思っているのであろう。
 しかし、この世は、様々な考えの持ち主が集まって成り立っている。どんなに不快で思い通りにならないとしてもそれはどうしようもない。そしてそれは仕方ないどころか悪いことではないのである。
 なぜなら多様な価値観の共有こそが人類の進歩と発展に寄与してきたのだから。

 彼は自ら私も言論人だと称して表現の自由は守るべきだと発言している。ならばこそ、異なる考えを持つ者たちの意見や考えをもっと尊重し寛容になるべきではないのか。
 作家も新聞社も様々なメディアも、購読する者がなくなれば商売として成り立たなくなる。ゆえに、声高につぶさなあかんと叫ばずとももし、それが民意とかけ離れたものであれば自然に自滅するはずだ。そして今回の一件もこれほどの騒動になるのにはそこに明白な理由がある。当事者たちはそのことに思い至り反省しないとならない。

 今のような妄言と暴言を繰り返す作家はやがては商売としても成り立たなくなるだろうし誰にも相手にされなくなると断じてこの考終わりにする。

今年の半分が終わって2015年06月30日 21時47分57秒

★老親とのことなど           アクセスランキング: 168位

 私ごとを書かせてください。
 自分の親がまだ二人とも健在で、ともかく入院もせず共に暮らしている状態は間違いなく良いめでたいことであろう。
 マス坊の親たちは、やがて結婚60年近くとなる。半世紀50年だって、共に連れ添う夫婦はごく稀なのだから、妻も夫も夫婦そろって生き長らえていることは非常に珍しく有難いことだと息子である我も思う。
 じっさい、同世代の友人知人を見ても今も親たちが二人そろって健在な奴などまずいない。何しろ子世代が既に後継者のとば口に立ち、ウチなど結婚じたいが遅かったから、父は90歳、母は80半ばという歳なのである。

 これもひとえに、介護する側、つまり同居している我、マス坊の奮闘のたまものだと冗談では口にするけれど、まあ、人の生き死には運不運と同様に、個人の努力やがんばりでどうにかなるものではないはずで、そういう星の定めなのだとしか言いようがない。

 長寿の家系というものは確かにある。母方は間違いなくそうした一族で、母の母、マス坊の祖母は百歳目前まで20世紀をまるまる生きたから、もしその血筋なら我もまたあと30年~40年はどんな状態かは別として生きられることとなる。
 父方は、わりと早や死にの家系で、父の両親は60代、70代そこそこで死んでいるから、その息子が90まで生きているのは、じっさい周囲の管理と看護が良いからだと子として胸をはれる。

 ただ、問題は、長生きが良いことだとはこのところ思えないような状況が続くようになってきたことで、告白するともう日々、怒り心頭、頭に血が上ったり、その世話にうんざりし倦み疲れてきている。
 頭は明晰だった母もこのところだいぶ記憶力が悪くなり、失態が目立つが、父はもともと社会性に乏しく、奇矯な人だったのが、老いて肉体が弱って、認知症が進んだこととパーキンソンもあるのでともかく手がかかる。
 大小便の不始末は高齢者なのだから仕方なくも思うが、とにもかくにも三度の食事の世話、彼に飯を喰わすのが一苦労で、毎日なだめすかし恫喝もし、規定量を食べさせるだけで疲労困憊してしまう。つい大声も上げてしまう。

 歳とると二度童とか言って、子どもに返るとはよくきくが、確かに、無理矢理でも食べさせない限り、目を離すとすぐ他のことに興味が移ったりして食べなくなってしまう。また便が出てないから腹がちっとも空かないとか、時間の観念も乏しく、さっき食べたばかりだとか後でまた食べるとか言って逃げてしまうのである。
 それを年寄りだから食べなくて当然だとか、個人の意思だと認めて放擲してしまうことはたやすい。しかしそうした例はどうなるかというと、やがては痩せて弱ってきて、うっかり風邪ひいたぐらいで体力もないからすぐ死んでしまうのである。そうした事例をいくつも知っている。

 長年年寄りと付き合い、様々な事例を見知ってきたから、ともかく食べさせるしかない。年寄りこそある程度栄養あるものを無理無理にでも食べさせないとちょっとした病気で死に至る。基礎体力とはいかに日々きちんと食べさせて体重を落とさないことだというのが持論としているから
嫌がってもともかく食べさせる。
 それがともかく大変で、毎日朝から晩まで食事ときは阿鼻叫喚、大騒ぎとなる。ご近所の人たちはいったいナニゴトかと思うほど我が家は皆で大声出している。

 むろんあれこれオカズを工夫もする。だが、そもそも偏食で、野菜とご飯嫌いの男に偏りなく食べさせるのは頭がまっとうだって大変だ。しかも今は、頭呆けてトンチンカンで、やたら怒りっぽく、人を怒らす発言だけはしっかり口に出す、老人相手なのだからそれが日常となるともうこちらまで発狂しそうになる。

 これまでは、母が元気だったから、夜の食事は任せて出掛けられもした。あるいは、朝だけつくって日中は家を出られた。しかし、その母も一人では料理も作れず、自らことだけで手いっぱいでその夫の介助も難しくなってくると、やはり家族、つまり唯一の身内であるこのバカ息子が常時家にいて世話しないとならない。

 おまけに息子も完全なニートではない。ささやかな商売もやっているし、イベントの企画などの文化的社会活動もやっている。だから出かけて人と会う用事もある。しかもそちらも決してうまく進んでいるわけでなくトラブル続きで頭抱えているのである。昨日は今度のライブのことで難題また起きてあれこれ考え囚われ一晩眠れず朝を迎えた。

 このところそうした親たちのボケが進み、やたら手がかかるようになりうっかり目も離せない。かといって24時間毎日家に居たくはない。
 以前は、親たちを寝かしつければ夜遅くは自らの趣味のための時間が持てた。が、今は、日中の介護量が増えたことと、息子も老いてきて体力衰えてきたので、夜はもう起きてはいられない。そんなでこのところブログさえ滞り気味だ。書きたいことは多々あれど、だ。

 そんなでやることは山積し、日々の家庭生活、家事介護だけで一日があっという間に過ぎていく。気がつけば、大したことは何もできないまま、今年2015年も半分が過ぎてしまった。
 まあ、怠けて遊び歩いたり飲んだくれていたのではないのだから、何もできなくとも老いた親たちが無事生きているだけでも良しとせねばとも思う。

 しかし、人生とはそれだけではいけないという焦る気持ちも強くある。老いた親たちの面倒を見るのは当たり前だし、孝行できるのも今のうちなのだから一人息子としてどんなに大変だとしてもこれは仕方ない。その覚悟はできている。が、では、自分はいったいどこにいる? 何をしているのか、いったい何がしたいのか、何をすべきかという問いが常にわいてくる。
 親たちが長生きするのは有難い。が、同時に、その息子もまたその世話に追われて何もできないうちにどんどん老いていく。
 親たち夫婦は仲良く老いて夫唱婦随、偕老同穴、常に生活を共にし連れ添っている。が、息子にはそんな相手はいない。親たちが去った後に来るはずの自由とは、実は孤独でしかないのではという不安がよぎる。

 が、それもまた人生であり、何はともあれ今できる、すべきことをまずやっていくしかない。日々神に祈り感謝していく。
 どうしようもない人生だが、これが今できることならばまずそれをすべきかと自問し続けつつ。

 余談だが、母連れて、また山梨へ湯治に行く予定である。が、父も一緒だとともかく手がかかり温泉でも目が離せない。連れて行けばこちらがのんびりできるどころか疲れに行くだけとなる。父がいると気が休まらない。
 だからといって、一人家に置いて置くと火事しでかす可能性もあり、通っているデイサービスの施設に預けることも相談した。が、金額を確かめたら一泊二日で一万五千円は軽くかかる。それではウチのような貧乏な年金生活では、とても気軽に利用できない。仕方なく、その分の金で、山梨で美味しいものを皆で食べることにして、父も連れて行くことにした。
 うんざりだが、仕方ない。息子がもっとバリバリ働いて余裕あればそれもできたが、ろくに稼ぎもないのだから仕方ない。

 人生とはこうしたものだ。そしてこれもまた人生なのだと。我にも一人妹がいて、今は九州の農家に嫁いでいる。もう五十過ぎただろう。そして向こうでは仕事もちつつ嫁ぎ先の親たちの介護に追われている。ならば、他人の親ではない我が親の面倒をみるのだから辛いとか文句など言えないではないか。
 
 とにもかくにも生きていく。このままでは新幹線内での「頭から油をかぶったお客様」とならないように。