今日は母の月命日2016年10月08日 15時18分30秒

★もう一度人生をやり直したい、生き直したいと。

 9月8日早朝に、母が死んで今日でちょうど一か月となる。さすがにこのところは訪れる人もなく、問い合わせなどの電話もかかることはなくなった。
 外は午前中はかなり強い雨が降っていたが、今はやんでどんよりとした曇り空。今日もひんやりとしてうすら寒い。鳥の声もしない静かな午後だ。
 夕方の、犬たちの散歩まではまだ少し間がある。父はデイケアへ行って今不在。もう少ししたら戻ってくる。
 昨晩も真夜中二時ごろ、母の死んだ時刻に目が覚めて外が明るくなるまで眠れずに母とのことをぼんやり考えていた。もう泣きはしなかった。

 長いようで短かかった、いや、あっという間のようで、長かったこの一月だった。一時期は、母のいない新たな人生を我は生きていけるのかと、自分でも危ぶんだ。
 こうして一月が過ぎられてようやくもう大丈夫のようにも思えて来た。ひとえに皆さん読者の方々や我が友たちの励ましと支援、お助けのおかげである。今さらながらこの場で、厚く厚く感謝御礼申したい。

 ただ、未だ気分には波があり、特に手のかかる父と日常的諍いなどがあれば母のいない人生を生きていくことに悲憤し絶望し発作的にバカなことをしてしまうかもしれない。 
 つくづく我は愚かで自制心のない卑小な人間だと再認識している。

 この母の死のこと、父も含めてわが人生に起きた一大事件は、我に多くのことを教え気づき与えてくれた。試練として失うものも多かったが、母を喪って初めてわかった、理解しえたことも実に多い。
 いちばんは、我の愚かさと無力さを再認識したことで、あらためてオレはどうしようもないバカだなあ、とことんダメだなあとつくづく思い至った。
 しかし、だからといって全てに絶望、失望して我が人生をも終わらせるわけにはいかない。
 母がいないからといって人生をそこでやめるわけにはいかない。母も父も我を作り生み育ててくれた人だからこそ、彼らがいなくなっても、いや、いなくなってからこそ我の人生はようやく本当に始まり、本物になっていく。そのことにやっと気がついた。

 今の西暦、B.CとかA.Dという区切りは、ご存知のように、イエスキリスト生誕とその前とで分けられている。じっさいのナザレのイエスが生まれたのは、今日の研究では紀元零年ではないと判明しているようだが、少なくともイエスが生まれる前が紀元前、で、その後が今に至る2016年~ということになっている。
 我もまた母の生きていたときと母の死んだ後からとに我が人生を分けて、これから新しい世紀をはじめていこうと思う。今日はその一か月目ということになる。
 
 今さらながらであるが、皆さんにお願いしたいことがある。
 我は、もう一度人生をやり直したい、つまり生き直したいと今本気で願っている。どうかこれからも皆さんよろしくお手伝いとご協力を心からお願いしたい。
 これから我は立った一人となっていく。今までは母も含めて我には親たち家族がいた。しかし間もなくその父もいなくなり、親族は妹が九州にはいるけれど、現実として我一人でこの家で、この場所でこれからも生きて行かねばならない。大変なことのように今思える。

 自分の人生なのだからむろん自分ですべてやっていく。が、我には我を見守ってくれる人はもういない。愚かな考えなしの我のことだからこれからもきっとまたバカなことや誤った判断を下すことであろう。そのとき、どうか友たちよ、見知らぬブログ読者よ、我を批判し断罪してほしい。そしてその愚かな過ちに気づかせてもらいたい。
 怖いのは親という歯止め、重石を失ってしまえば、我はますます身軽気軽に、迂闊なことをしでかすかと思う。
 それよりも人様のため世のために少しでも役立ちたい。

 我にもまだできることとすべきことがあると思いたい。どうかそれを少しでも成し終えて、我もまた親たちの待つ国に行かせてください。
 皆さま、どうかよろしくご指導ご鞭撻お願いいたします。 マス坊 拝。

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