皆様良いお年を~新年もよろしく2017年01月01日 00時13分48秒

★気がついたら年も明けていて

 今、零時過ぎ。父を何とか寝かしつけ、犬たちと簡単な散歩して家に入れて、ようやくパソコンに向かえばもう日付は変わり2017年=平成29年となっていた。
 昨日付けのブログ、書き出したのは朝方で、以後、合間見て書き進めていたのだが、やたら慌ただしくて「結論」まで至らずに、夜となり、父の世話に追われ時間奪われ結局、書き足すことできずにこの時間となり尻切れトンボのまま新年となってしまった。
 今からだって、アップした分にまた書き足していくことは可能なのだけれど、正直なところ、心身共に疲れ果てて、ならば新たな年の第一回目として新たに書きだそうかと考えた。
 むろん肝心なことは後ほど、記しておく。

 もう疲れ果てました。が、まだ親父も我は抱えているし、おいそれと死ぬわけにもいかない。何よりも、まだ我は思い通りに、満足以前に納得いくようには、生きていない。このままでは死んでも死にきれない。
 これが、結婚し家庭を持ち、子どもも成人して、仕事も務め終えたならば、その人の役割は終えたと自認も納得もそれなりの満足もできよう。
 が、情けない話、とことん呆れ果てるほど情けない話、我は何一つまだやっていないのだ。
 したことと言えば、老いて病んだ親の一人、母を見送っただけであって、仕事も含めて社会的役割も、人としての責任、つとめも何一つはたしていない。
 ならばまだ死ねないし死ぬに死ねない。いったいオレは何のために、何しに生まれてきたのであろうか。まさか親を介護して見送るためだとしたら何て情けない人生であろうか。「送り人」だけの人生なんてあるものか。
 そう、我はまだ我が人生をちっとも生きていない。繰り返し書いて来たが、面白おかしく楽しく過ごした時が過ぎ、地上に返された浦島太郎のようなもので、気がつけば年だけ老いて、今に至った次第であって、まだ何も人様がしてきたこと、すべきことはしていないのだ。

 だからこそ、今思うは、人生を今からでも新たに生きたい、生き直したいということだ。嗤われるだろうが、結婚だってしたいし、家庭も新たに持ちたい。愛する人と、男女を問わずに暮らしたい。
 間もなく還暦となる我だけど、今さらだが、もう一度今から人生を生き直したいと願う。
そして、同時に、我が生まれ生きて来た「役割」を果たしたいと強く思う。それが何であるかはもうわかっている。もはや迷わない。
 そう、時間はあまりない。が、幸いまだ体は動けるし気持ちも若い時のままだ。見かけは白髪まじりのジジイとなろうとも、そんなことは関係ない。まだできる。頑張れる。

 そんなわけで、2017年は、人生再スタートの年として、少しづつでも成果を出していく。まあ、再スタートも何も、「俺はまだ本気を出していないだけ」といった次第なのだが。

 最悪の時をこえて、皆様にとっても新たな年はよりマシな年となりますように。いつまでも悪政と悪い時は続かない。確信している。
 皆で手を手をとりあって、無理せずに頑張りましょう!絶望するには未だ早い。生きていればこそだ。

新しい年に、忍耐と寛容さを考える。2017年01月01日 07時55分33秒

★最悪の年を過ぎこして、新たな年に思う

 新しい年が来た。晴れた穏やかで温かい朝である。
 我が人生、最低最悪の年であった2016年も過ぎ去った。新しい年に誓う抱負などは何もないが、昨年書き記した、ずっと考えていたことをまずは 書き残しておく。

 聖書に、主への祈りとして、「我らを試みにあわせることなく」という一節がある。まさに昨年は、我の忍耐と寛容さが試され求められた一年だった。そしてその二つは、今も問われ求め続けられている。

 自宅で、寝たきりとなってしまった母を介護していた数か月間、特に7月頭から母が急死した9月初旬まで、我は一度も電車に乗るような外出することもなく、友人知人とは誰一人会うことなく、老親たちに食事をつくって食べさせ、母の紙オムツを昼夜交換する務めに追われていた。
 それは何より忍耐が求められ常に寛容でなければならないことであった。ただ、最後は我も24時間ほぼ不眠不休の看護に倦み疲れ果てて、病み死に向かう母を責め、愚痴もこぼしてしまった。今もそのことを悔やむ。
 そしてその母を送ったからといって、事態は解決したわけではなく、今度は、元より不仲であって、さらに呆けて手がかかる我が父と、男同士二人きりで日々向き合って過ごすという「地獄」が待っていた。
 それまで、母が生きていたときも常にぶつかり合い、ケンカが絶えなかった父と、「緩衝材」としての母なしで、生活するのは今も苦痛以外の何もない。

 母とは共通の話題も多々あり、こちらの考えや気持ちは何でも通じ合えた。体は痩せ衰え動けなくなっても最期まで頭はしっかりしていたから、語りかければ応えてもらえた。感謝の言葉もあった。だから、介護は辛くとも我慢できた。そこに喜びもときにあった。
 父とは、残念ながらそうした互いに相通じるものは何もない。そもそも若い時から身勝手で、友人などは誰一人なく、人を人とも思わぬ男だったから、人の気持ちがわからない。呆けても常に唯我独尊で、じぶんの我を通そうとする。

 そして呆けて骨折しもはや一人では歩けないどころか、自らでは食べることすら難しいような、何もできない状態になってもそれが認識されていない。介護する我に感謝の言葉もなく当然だと思っている。
 そんな大男と毎日向き合えば、常にこちらもキレる。出した食事を食べない事などささいなことがトラブルの種となる。
 叱りつければ彼も抗い、我を挑発する不規則発言を放ってくる。怒鳴り合うだけならまだしも取っ組み合いのケンカまでする、世間からすれば老人虐待ととられても仕方ない事態が日常化してきた。
 もはや二人で暮らすことは不可能だから、特養に入れるとかないと何度も考えた。
 どうして、父には我はやさしく寛容になれないのか何度も何度も自問した。我も泣きながら自らの非道と非情を顧みた。このままでは父を殺して自分も死ぬしかないと考えもした。

 つまるところ、父と我は性格的に同種なのであろう。ゆえにぶつかる。磁石の同じ極が反発しあうように。
 母とは異性であもあり趣味嗜好は近く感覚的にわかりあえた。が、父とはそもそも共通の話題も趣味もなく、自分勝手で思いやりないのはお互いだからトラブルのである。
 ならば、そこには、純粋に忍耐と寛容さが求められる。人はその二つを試され、問われているのであった。

 では、忍耐と寛容さとはそもそも何か。これは陰と陽のような対立する概念ではなく、極めて近しい心の在り方と我は考える。
 忍耐とは文字通り、辛いことでも忍び耐えることであり、我慢すること。そして寛容とは、やさしく相手を赦し、何事も受け入れていくことだ。
 我が事のみならず、世界まで広げて見回してみれば、今世界中で求められ試され、問われているのは、「分断」の時代だからこそ、この二つ、忍耐と寛容さだと気づく。
 この二つの概念に対立するのは、他者を否定し圧する横暴と自らだけを正しいと信じ誇る驕慢、傲慢さであろう。トランプ新大統領はいかなるかだ。

 力を持つ優位に立つ者、強者は、下位にある弱き貧しき者たちのことを思わねばらない。自らのことだけを考えるのならばそれは人ではなくただの動物だ。
 考えの違う者であろうとも、他者を赦し理解し受け入れるための努力を続けなくてはならない。
 今日本の政府が、政権内閣が沖縄に対してやっていることは、まさに忍耐と寛容さが求められている。彼らにはそれが全く欠けている。
 そしてそれは我もまた同様なのであった。

 つまるところ、忍耐と寛容さとは、その二つを合わせば、「愛」ということになると思える。
 J・レノンはうたでそのことを、愛とは何かと示していたが、実は、そのベースは聖書の中のパウロの手紙からなのである。
 同様に、ディランの「風に吹かれて」も旧約中にある「伝道者の書」が元であるし、すべてのことは聖書に書いてあることに今さらながら気づく。

 新しい年に、我はもう一度、「愛」とは何か、忍耐と寛容さでもってその求めに応えていかねばならない。
 そう、それが人が生きるということなのではないか。