妻に先に旅立てられる男の理由(わけ)2017年01月03日 22時11分52秒

★このままでは間違いなく息子が先に死ぬ

 あえて書く。炎上してもかまわない。
 世間では、結婚に際し、たいてい男のほうが年上であり、さらに女の方が平均寿命が長いわけだから、夫婦とは、妻が夫を見送ることになる。それが「常識」であろう。
 ところが、ごく稀に、妻のほうが先立ち、夫が残されるという例がある。そこに何か理由があるのか。

 これを書くと、ご批判受けるのは間違いない。が、我が家庭、知る事例だけで考えれば、妻のほうが先に死ぬのは、それだけ夫が妻に負担かけるが故、心労で死んでしまうのだ。言わば、夫が妻を殺したのである。妻は、夫に殺されたのだ。ウチもそうだと言いたい。
 今、息子が我が父=妻を亡くした男と暮らしていて、つくづくそう気づく。これだから、この男=夫の世話に我が母は疲れ果ててストレスで癌が肥大して死んだのだ、と。

 じっさい、父が昨年4月半ばに、誤嚥性肺炎~大腿骨骨折で入院、手術、そして7月の頭に退院して戻ってから、母の容態は一気に悪化し、その二か月後、9月初旬にあっけなく死んでしまったのだ。
 今、認知症と骨折後、足が萎えて、要介護3の父と暮らし、日々面倒見ていてつくづくそ思う。母と生きているときから落ちて来た我が体重は、一時期67キロ以上あったのが、今は60キロを切ってしまった。ほぼ学生の頃、二十代に戻ってしまった。

 何で痩せたかは理由はある。落ち着いてゆっくり食事とる時間もないのだ。さらにそこに寝る時間もない。母の介護の時の話ではなく、母が死んでも、睡眠時間はごく短く、夕刻疲れ果てて、横になろうとしても、父にすぐ起こされてしまう。理由は、心配だからだそうで、「いるの?どうした、具合悪いの?、返事してくれ」と、こちらが深く眠って無視でもすれば、ヨタヨタの身体でも二階に上がってきて、返答しなければ、我を叩き起こすことだろう。疲れてもおちおち仮眠とることすらゆるされない。
 そのことを抗議すれば、親が子を心配するのは当たり前だ、と開き直る。食事つくって、こちらが、父の食事を介助して食べさせて、では、ようやく我もゆっくりこれから食べようと食べ始めると、もう自ら後片付けはじめて、何かしだすので、我は落ち着いて自分の分を食べることもままならない。若い時、呆ける前からとことん自分勝手な、まったく他者に対して思いやりのない男なのである。

 実は、その父の父=わが祖父もそうであった。久太という明治の我が祖父は、九州佐賀から出て、苦学して早稲田を卒業して、新聞記者とかいろいろな仕事に手を染めたが、基本山師的性向があり、一攫千金を夢見ては失敗することも多く、羽振り良いときもあれば、一家して夜逃げすることも多々あった。
 晩年は、大人しく、我と父のこの家=「我家」の祖父として共に暮らしてはいたが、いわゆる好々爺という年寄りとは程遠く、殴られた記憶はないが、常におっかない狷介な老人であった。

 何よりもすぐ激高して、やたら興奮しやすく、人様のことは常に悪しく言い放ち、誰よりも自分勝手で、家族に対しても全く思いやりのない年寄りだった。明治の男とはおうおうそうした、昭和のマイホーム主義とはかけ離れた利己主義的家長だったのだろうとは今は理解もできる。でも初孫としても彼はいつも怖い、甘えるどころか好感の持てない爺さんだった。
 そうして子どもや妻、家族のこと等一切顧みない生き方を貫き続け、家族にさんざん苦労させたが故か、彼のその妻、=我が父方の祖母は、60代そこそこで早逝し、幼い孫としてはほとんどその人の記憶はない。祖父は妻に先立たれ、長男=我が父の一家と暮らしていたのだ。
 そして、その息子、我が父も彼と同様に、また妻に先立たれた。二代続くとさすがにそこに何か理由があるように思えてくる。妻を先に死なす家系とは何か。

 我が父は、その父、我の祖父に比べれば、温和で優しい家族思いのマイホーム主義の夫であった。しかし、根本の気質は、他者に対して感謝する視点が全くなく、常に唯我独尊、人に頼らない故に、他者に対しては求めず冷ややかで否定的で、超利己主義であった。
 ゆえに、友人は一人もなく、それで辛いとか淋しいと思う以前に、他者とのことは全て面倒、不要、くだらないと断じて、一切不要、大切なのは我がこと、我が家族だけという意味での保守的マイホーム主義だったのである。
 父は常に自分勝手に生き、他者の気持ちは一切考えないし配慮しない。子供たちのことも心配だと言うのは、自分の不安の裏返しに過ぎず、結局は御身大事、関心ある自分のことだけが心配という人だった。

 祖父の記憶をたどれば、聴いた話でこんなエピソードがある。貧乏暮らしで苦労かけたその妻が、あるとき肉を手に入れて、すき焼きを晩飯だかに家族に出した。
 そしたら、腹をすかせた子どもたちがたくさんいる前で、彼は、肉が煮えた先から、バクバク全部食べてしまい子供たちに肉は行きわたらなかった。さすがに見ていたその妻も怒って、自分ばかり食べないで、少しは子供たちにも食べさせてあげたら、と抗議したと言う。まさに祖父はそうした男で、野菜などは大嫌いで、人の意見など一切聞かず好きなものだけ好き勝手に食べて好き勝手に生きて77歳で脳梗塞で倒れて急死した。

 我が父はそんな祖父とは違うと思っていた。そんな男を間近に見て来たから、もっと優しく思いやりある常識人であるかと思っていた。
 しかし、やはりそこは親子、根本のところは瓜二つで、食事でも嫌いなもの、野菜などは箸もつけないし、自分だけが常に正しく、他者は誰彼あからさまにバカにして否定し、そもそも関心を持たない。
 その彼が大事なはずの家族でさえも、個々の人格を認めて肯定するのではなく、自らの関係においてのみ、評価し関心持つという身勝手なものであったから、子供は早くから、愛想を尽かし、特に妹など社会人となればすぐに独立してこの家から出ていってしまった。
 そして、そんな身勝手な男と長年共に暮らしてきた我が母は、結果として癌を患い、夫より先に旅立ってしまった。その歳に不足はないけれど、父とは5歳も年下なのである。

 癌の要因は遺伝や環境も大きいが、いちばんはストレスだとするならば、それは我と父との不仲、常に諍いがあったからだと今気づく。
 父と二人して怒鳴りあったり、時に取っ組み合いのケンカしたときなど、母は間に入って、お願いだからやめて!!、このままだと癌が大きくなって先に死んじゃうからと嘆いていた。
 それでもバカ親子は、始終些細なことでケンカばかりして、母を悩まし苦しめてきた。そのことを悔やんでも今更時は戻せないから仕方あるまい。ともかくそうして、我が家は家族三人、諍いが絶えることなく、母は心労を積み重ね、残す不仲の父と息子のことを案じながら死んだのだ。

 そして今、その父と二人だけで暮らして、心底疲れ果ててきている。むろん、常に何とか我慢しよう、ふんばろうと思いもする。しかし、元から身勝手な思いやりのないガリガリの利己主義者が、呆けて、さらにトンチンカンに、発作的に好き勝手なことをしだすと、ともに暮らして介護する側としては、キレまくってもう頭がおかしくなりそうだ。
 何にもわからなくなって、何にもできないのに、目を話すとすぐ勝手に何かしでかしては後でこちらの手を煩わす。何度言っても改められない。
 そして、共に暮らしてずっとそんな男の世話してきた亡き母の気苦労を思い、これでは、母の癌も大きくなるし、このままでは我、息子もまたストレスで発狂し父を殴り殺すか、こちらが病んで倒れるかだと日々不安に思うようになってきた。
 何しろ騒動のあと、彼は反省したと言っても、また翌日になれば、すっかり忘れてまた同じ質問を繰り返したり、息子を嘲る言葉を口にしたり何度でも禁じられたことをまたもしでかすのである。パー人間の成すことなのだから、もはやまともにとりあわず、怒らず相手にしなければよいのだとわが妹は言う。

 叱ったとして、何度も理解できるよう説明したとしても、そのときは理解され、記憶したと思えてもまたすぐに忘れてしまうのだから、まさにエンドレス、何度でも繰り返して終わりがない。ならばそれを怒っても無駄だとニコニコとただ受け入れていくしかない。そうわかっても狭量な我はそれができない。我慢できない。堪えがないのは祖父の血筋だ。
 そしてそのことにも我は苦しみますますストレスは溜まる。このままでは、育児放棄や虐待の子を抱えている親たちのように、誰かが通報してこの親子の関係に行政やら何か第三者が介入してくることだろう。
 今その瀬戸際、崖ぷちにいる。情けない話だが、我ら二人だけでは解決できないし出口もない。九州の妹も含めて誰も他者は助けてくれない。
 この先、いったいどうなるのか、何が待っているのか、すこぶる不安ではあるけれど、正直なところを今あからさまに書いた。

 ただ、これは我が家の特殊な事例だとは思うが、妻を先に死なすのは、そこに夫側の原因も大きいのだと我は考えている。

 文豪丹羽文雄は確か百歳越すまで生きたが、晩年はかなりの認知症で、実の娘さんがずっと世話していた。そのことを彼女が詳しく書いた本も読んだ。が、その後、父よりも子であるその娘のほうが先立ってしまったのだ。
 ならばこの父と暮らしていると、息子の方が先に死ぬ可能性もあると思えてきた。それほどの心労、肉体疲労である。もう息子も若くない。父よりも先に起き、終日父の世話して、父よりも後に寝て、しかもろくに飯も食えず、仮眠もとれず休めなければ倒れてしまう。

 そして・・・祖父がそうであり、父もそうであったように、他者を思いやらぬ身勝手な家系の血筋は、我もまた確かに受け継いでいる。我が結婚せず、いや、出来なかったことは、もし、我が結婚したらまだ同様に、その妻となる人を我より先にストレスで殺してしまっていたからかもと思えて来た。
 祖父が、父がそうならば、我もまた同様であっただろう。ならば、三代続けて、奥さんに先立たれる家系とならないで本当に良かった。そうした非道な血筋は我で終わりにしたい。

 これはごく特殊な事例だとわかっている。似たようなケースでもこれが当てはまるとは思わない。しかし、本来長生きの女性が、しかも年下なのに夫より先に死ぬのには、そこに何らかの原因が存在していることは間違いない。そう、すべてのことには原因と結果の法則が成り立つ。
 その因果律からどう抜け出すか。それこそが宗教の問題、役割とあり方が問われている。