人が人であるために・22017年01月24日 10時25分18秒

★損得と自分のことしか考えない人

 我も含めて人は皆、元来自分勝手、御身大事に己の都合ばかり考える生き物であるが、我が友人に本当に自分のことしか考えない人間がいる。

 一見愛想よく、人に取り入るのも巧みだが、その実、基本的な約束は守らず、何より金にだらしなく、こちらに払うべき金は絶対に払わない。
 その男は、ミュージシャンというより、芸人、エンターテイナーを目指して活動続けていて、友人を介して知り合った。そこそこに人気も才能も確かにあり、何より彼のやっていた音楽は我が趣味に合い、面白く魅せられて一時期かなり肩入れし応援もした。今も彼のことは友人と思いどうしてるか常に気にはなっている。
 が、ともかく利己的というか、自らの事しか考えない男で、お金のこともあったが、こちらも呆れ果てていつしか関係は疎遠となってしまった。こちらからは連絡する気はないし、向うももう利用価値がなくなったのであろう、今は何の音沙汰もない。むろん、何かのライブイベントなどで顔合わすときもあれば、お互い挨拶もするし普通に口もきく。
 ただ、我としては特に喧嘩別れしたわけではないが、彼とはもう関わる事はないと思っている。理由はただ一つ、あまりに利己的だからだ。思い返してもうんざりするほどに。
 その後も彼を知る人たちから、あれこれ批判する声をよく聞かされた。彼のバンドメンバーが一定しないのもつまるところ、そうした資質が原因なのかと想像してしまう。
 むろん、芸人ならどんな生き方をしたって許されるという考え方もあろう。すべては芸のためだと、博打から女遊びまで放蕩の限りを尽くしどれほど非道に生きても高名を成した落語家のように。

 しかし、この人間社会、あまりに自己本位に、自分の事しか考えずに生きていくと結局立ち行かなくなっていく。一般人なら友達をなくすし、学校や職場でも孤立して居づらくなってしまう。何よりもったいないと思うのは、そうした生き方をしてきたため、この友人はもう一つ人気が出ないのである。彼ほどの才があればもっともっと売れて然るべきはずなのに。
 我の力などたかが知れているが、もし関係が続いていたら、拙ブログも含めてあちこちで彼のライブの宣伝もしたことだろうし、できるだけの応援は惜しまなかったはずだ。
 人気稼業というものは、そうした周囲の人たちの力添えがあってこそなのは言うまでもない。中には人気が出て天狗になり、昔からのファンに見捨てられるというパターンもある。しかし、人気が出る以前に、その身勝手な生き方自体で彼は損しているのである。

 と、ここまで書いて、この我に、この友のことをあれこれあげつらう資格があるのかと疑問がわく。これはそのまま我が性向であり、彼のことを不快に、不満に思うのはそのままそこに自分の姿を見る故ではないか。
 あるいは、Give&Takeの関係において、取られるばかりで損したという思いを抱くからだろうか。
 同病相憐れむ、ならぬ、同類ゆえ相食み争うのであろうか。

 いずれにせよ、我に彼を糾く資格ないとしても、やはりそうした利己的な生き方は間違っていると確信する。それは結果として損するからではなく、人としてそもそも間違っているからだ。
 何故なら、人は人のために生きてこそ人であり、自分のことしか考えないのならば、人以前の一動物に過ぎないからだ。