人が人であるために・32017年01月25日 19時07分03秒

★ヒトを人としてたらしめるものは

 では、人という動物が他の動物とどこがいちばん異なるのであろうか。人を、ヒトたらしめる要因とは何であろうか。
 人は、他の動物と違い、言葉を用い文字を発明し伝達能力を高め過去を記録することができるようになった。また、喜怒哀楽に加えて愛情という細やかな感情も持ち得ている。
 しかし、我は思うに、そうしたことはもちろんだが、他の動物と決定的に異なるのは、ヒトは、他者に対して思いやる、つまり共感、同情できるからではないか。これは他の高等動物も持ち得ない特性だと考える。
 例えば、誰か哀しい目に遭った人の話を聴いただけで、涙もろい人はもらい泣きしてしまうし、映画のような架空の話でも感動し号泣したりもする。
 自らの事ならばともかく、本来他者、他人に起きたことでも哀れに思い同情し何かせねばと思う。いたたまれない気持ちになる。こうした「共感」する能力は残念ながらどれほど賢い犬でも猫でも持ち得ない。
 生活を共にしたことがないのでチンパンジーやボノボ、オランウータンたち、ごくヒトに近しい類人猿たちはどうか知らないが、たぶん賢いとされるイルカたちだってどれだけ他の仲間たちの不幸や哀しみに遭おうと同情したり哀悼はしないのではないか。

 動物というのは、本来皆誰もが自らの事しか考えていないし、自らの遺伝子を多く残すことだけが第一義の使命なのである。
 しかしヒトだけは違う。ナザレのイエスを筆頭に、他者のために尽くし、自らの命を投げ出してまで他者を救った義人は歴史に多数登場する。つまるところ何故そんなことをするかと考えれば、ヒトは他者に対して思い考え、共感し同情できるからなのである。それこそがヒトを人たらしめる特性なのではないか。
 それが出来ない人、そうした気持ちが欠落している人、よって自分の事だけしか考えない人は、ヒトではなく動物、畜生の類なのである。
 ならばこそ、人は他者のことを思いやらねばならないはずであるし、他者の気持ち、特に痛みや苦しみに対して敏感でなくてはならない。まして政治の世界においては特に。

 安倍晋三率いる日本政府は、沖縄の人たちの痛みに対してどれほど鈍感なのであろうか。そしてそれは、遠く離れた内地の人たちも同様に持ち合わせている感覚かもしれない。
 辺野古の海を埋め立てて米軍のために新基地建設を進めていく。それがたとえ日本の安全保障や多数者の利益のためだとしても、そこに一人でも抗い拒絶する人がいるとするならば、それを強制的に弾圧、排斥することは人として絶対に許されないし看過すべきではないはずだと考える。

 苦しみ哀しむ人がいるのを知りながら、それを見て見ぬふりをしたり、何も感じず関心すら持ち得ないのならば、それは人ではなく他の動物と変わらない。汝の隣人とは誰か、人は善きソマリア人であれ、とイエスは説いた。

 今、世界中で、多くの人がまず自らのこと、自らの民族と宗教と自らの国家のことだけしか考えずに行動している。そしてすべての人と国家がそうなってしまえば、その先にあるのは間違いなく戦争であり、地球規模の破滅でしかない。
 今こそ、人は人として、あるべき姿をもう一度考え直すべきなのではないか。