老いた者たちと共に最後の日まで暮らしていく2017年01月18日 23時03分38秒

★その努めを果たさぬうちは
 
 父が家にいると、おちおちブログさえ書けやしない。
 今、父を寝かしつけ、犬たちと夜の、最後の散歩して家に入れて、父が大人しく眠っているのを確認してから机に向かっている。
 認知症が悪化したとか、老いて、しかも骨折してからよたよたになって世話焼けるとか以前に、そもそもこの男とはうまくやっていけないのだとつくづく思う。
 狷介かつ我の強い男同士ということもあるけれど、親子であるが故、似た性向は当然だから必ず常にぶつかり合う。磁石と磁石の同じ極が反発しあうがごとく、ささいなきっかけでケンカが起こる。
 それは食時の際、食べたくないものを息子に叱られないよう、そっと隠してポケットに入れたのを発見されて開き直ったり、今は24時間穿いている紙パンツの中のパットや紙パンツ自体、交換させようとすると、まだ大丈夫、モッタイナイと抗って騒動になったり、ほんと書くこと自体バカバカしいようなささいなことが諍いの種となり双方大声で怒鳴り合ったりしている。
 実は、先週の水曜日、毎週水曜ごとに来てくれる訪問看護士の前で、そうした騒動、醜態をさらしてしまい、彼女も困惑してケアマネージャーに電話して、今後の対応を相談することになった。
 我としても、その前に起こした交通事故のことで、落ち込んでいたし、もう心身疲弊して、この男とこの家で共に暮らすことは限界だと看護師に訴えたのだ。
 息子が面倒を見なくなれば、当然の事、老いて要介護3で、認知症かつ半身不随の父は、一人暮らしできるはずもなく、特別養護施設に入れるしかない。
 が、彼はそれだけは絶対嫌だ!そんなとこに入れられたら今すぐ死ぬと騒ぎ、徹底的に抗うばかりで、どうしようもない。我が家で愛猫たちと最後まで過ごしたいというのが当人の願いなのだ。
 我としては、もはやこの父は特養に入れる段階だと日々、その思いは強くなってきているが、当人が絶対嫌だと同意しないのならばどうすることもできやしない。
 ならば息子に抗わずに、大人しくしていてくれれば助かるのだが、このところだいぶ足腰も回復してきたのか、目を離すと、頼んでいない「家事」を勝手にしてしまう。こちらにとってすぐ使う必要なものでも、出しっぱなしにしていたからと、勝手にどこかにしまい込んだりして、しかもその当人はすぐにその記憶がないのだから、後で気づいて問い糾してもらちあかない。
 かといって、昼間も寝かせきりにしてしまうと、夜中に目が冴えて、睡眠薬を探しまわったり、台所からアルコールを持ち出したりと奇矯な行動を始めるので昼間起こしておかねばならない。しかもある程度疲れるような作業もさせないと夜ぐっすり眠らない。
 また、夢と現実の区別がつかないときもあり、しっかりカギをしておかないと、これまでも何回か、深夜に寝ぼけて、「犬を探しに」パジャマ姿で庭に出ようとしたこともある。その音に気付いて未然に防いで、大事に至らなかったが、この季節、外を徘徊したら凍死の可能性だってある。
 ともかく手がかかる。目が離せない。そしてまさにこの子にしてこの父あり、というべきか、こうした面倒な手間のかかる性格はまさに親子なのだと思える。
 我も父ゆずりの気質で、何か気になることがあるとそれに囚われて大騒ぎしてしてしまうし、何事においても「自分勝手」で、他者にかまわず考えなしにやってしまうのだ。しかもそこに反省はなく、自己の正義だけしか頭にない。
 ならばそんな似た者同士が共に暮らせるはずもなく、我が家を出ても良いのだが、父一人ではヘルパー頼んでももはや体もオツムも一人暮らし出来るような状態ではないから、最終的解決策は特養に入ってもらうしかないのだとこのところ強く思うようになった。
 母が死んだ後の頃は、何としても母亡きあと、我も頑張って父の面倒を見て、最後の日までこの家で過ごさせ、母の時と同じように看取るつもりでいた。
 しかし、呆けもさらに進み、親子でケンカとなったときに間に入って止めたり和らげてくれる母という潤滑剤が無い今は、訪看さんやケアマネージャーが心配するように、「このままでは大変な事態になるかも」、であった。

 それで、このところケアマネから、一度近く、父がデイケアとかに行って家にいないときに伺うので、今後のことを相談したいと言う連絡があった。我としては望むところであった、はずだが・・・

 要するに、これから父をどううまく特養に入れていくかという「相談」なのである。じっさい、これからさらに老いて、呆けも進んでいくだろうから、もはや方向はそれしかないのだと頭ではわかっている。
 しかし、このところ少し気が変わったというべきか、我もやや「正気」になってきたら、当人が望まぬのならば、うまく騙して特養に入れるなど論外で、やはりどれほど大変だとしても父をこの家で我が我慢と覚悟のうえで看るしかないのだと思うようになってきた。
 
 先にも書いたが、昨秋18歳となった老犬ブラ彦もさすがにこの冬はボケがひどくなってきた。その母たちたちのように大型犬ではないので、まだ足腰はしっかりしているから、散歩は問題ない。が、眠っているとき以外は始終ワンワン吠えて昼夜を問わずうるさくてたまらない。
 犬が吠えるのは、飼い主に何か訴えているときや、怪しい者が来たときとか理由があるはずだ。しかし、今ブラ彦が吠えているのは、小屋の中にいるときや、誰もいない方向に向かってただやみくもに吠えるばかりで、こちらとしては困惑するしかない。
 小便がしたくて散歩に行きたいから吠えるときは当然ある。お利口な犬だから、家の中では垂れ流しにはしないとまだその意識は残っている。しかし、散歩済ませて戻って来てもまたすぐに吠え出すときも多々あるし、こちとら深夜に鳴き声に叩き起こされて、寝ぼけ眼でこの寒空の下、凍えながら犬と散歩して戻って布団にもぐったら30分もしないうちにまた吠え出す。
 しばらくそのまま待つときもあるが、そうして収まるときもあれど、やまないので仕方なくまた外に出て彼を散歩させることもままある。うるさいからとぶって叱ってやめさせるわけにもいかず、吠えるのには何かわけがあるのだろうと思うしかない。そうこうしていればやがては犬も疲れ果て静かになって眠ってくれる。

 老犬ブラ彦のために睡眠不足で調子悪いところに、呆け老人との諍いも日常的にあって、特に先週は心底疲れ果てた。しかし、まだ満月に近い頃、深閑とした真夜中の犬との散歩で、天空から明るく我らを照らす月を見上げて一つ指針を得た。
 母が病んではいたがまだ生きていた頃、非情の家系である父の弟に、母は我家のことを伝え電話で相談したことがあった。夫(彼にとって兄)も呆けて手がかかり、私も癌で体調悪くなって来て動けなくて、おまけにウチは年寄りの犬もいて、息子一人で大変なんだよう、と。
 そしたらその父の弟は、「だったらまず犬は保健所にやればいいじゃんか」と言った。母は憤慨して、我にその話をしていたが、まあ、世間ではそうした処方もとうぜん考えるのだと今はわからなくもない。

 しかし、呆けて手がかかるようになったとはいえ、20年近くも共に暮らして来た愛犬なのである。この家で生まれて、大人になって共に一家であちこち旅行にも連れていった。まさに家族の一員であり、クリスマスなど折あるごとには、家に上げて、そのご馳走を囲んで人も犬も猫もいっしょに写真を撮って祝ってきた。
 その犬が老いて呆けて世話が大変になったからといって、いや、人間の方が病んで大変な状況になって来たからとしても、保健所にやって「殺す」ことは絶対にありえない。
 ブラ彦の父犬や母犬たちがそうであったように、この家で最後までとことん面倒を見て、この家で死を看取ってやりたい。最後のその一瞬まで彼はこの家で飼い主と共にいたいしここで過ごしたいはずだろう。
 それこそが犬を飼う者の務めであり義務であり責任ではないのか。世話するのが大変な状況に人間がなったとしても、ずっと人に仕えて来た犬たちのほうが先に切り捨てられる道理はない。
 人が大事にされねばならないのと同様に犬猫だって最期まで大事に愛されねばならないはずだ。

 そんなことを冬の深夜、天空の満月に照らされながら考え続けた。犬がそうならば、人もまたではないのか。
 特養は人にとって、犬が送られる保健所ではない。しかし、住み慣れた我家を離れて、最期をそこで送るとしてたらそれは意識があろうとなかろうと淋しく辛く残念なことではないのか。魂はきっとそう思うに違いない。
 ならば、我がどれほど辛く苦しいとしても、人も犬もその最後の時までこの家で面倒を見ていく、世話をする責務が我にはある。それを放棄して、一時の安逸を得たとしてもそのツケは必ず我に返って来る。
 むろんこれは報酬を伴わないし取引でもない。子としての義務だとも思わない。そうした世俗の事を一切除外したうえで、父を、老犬を最期までこの家に置いて、彼らと共にどれほど大変でも暮らしていきたいと思った。

 それは、そのことこそ、我がその立場になったとき、やはり望むことだからだ。汝の求めるところ、望むことを兄弟にせよ、と聖書には説いてある。そう、我もこの家で最後のときを迎えたい。この家で死にたい。家族のいない我は誰も看取る者もないとしても、一人ぼっちだとしてもこの家で最後の時を迎えたい。落ち着けない病院や特養だけは嫌だ。
 まず母をそうして送った。ならば次は犬たちを、そして父をそうしてあげよう。その最後の時まで、一緒にとことんこの家で暮らしていこう。

 東京四谷のイグナチオ教会の司祭として、上智大学の学長としてその祖を築いたヘルマン・ホイヴェルス神父はこう記している。

 老いの重荷は神の賜物、
 古びた心に、これで最後のみがきをかける。 
 まことのふるさとへ行くために。
 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
 真にえらい仕事。
 こうして何もできなくなれば、
 それを謙虚に承諾するのだ。
 
 《略》

 すべてをなし終えたら、
 臨終の床に神の声をきくだろう
 「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

 ――ホイヴェルス神父 信仰と思想    聖母文庫より