店と共に生き、死んだ店主と共に店も消えていく2017年08月09日 20時43分04秒

★これこそがやっちゃんが望んだ結末なのだと

 今日の午後、途中急な豪雨に遭いながらもまた車で西荻に出向き、近くへ完全閉店となる「のみ亭」の最後に残った不用品を積み込んで帰って来た。
 先週の水曜行ったときは、この5日の岡大介主催の「ラストライブ」の前だったこともあり、店内は店主生前の頃からまださほど変わっていなかったが、その盛況と訊いた記念ライブも終えた今日は、店内はほとんど片づき椅子やテーブルだけ残して壁も棚も何もかも消えてほとんど何もなくあっけらかんとしていた。

 売れ残ったレコードも引き取らねばと思っていたら、それは中古レコード屋に誰かが持ってたとのことで、けっきょく我は残っていたCDの類、それも市販のではなく手作りでミュージシャンたちが作り、やっちゃんにプレゼントしたようなもの中心に半ばゴミに近しいものだけが残されていてそれを引き取り持ち帰って来た。

 ただ今回の目的は、入り口脇にある手作りの木製本棚で、それは、この店オーブンに際し、丸太張りの内装と一緒に同じ材で拵えたもので、その中身はほぼウチに運んできた手前、やはりそれを入れる、本来あるべき本棚もなければと思っていたので願いがかなった。※店開設に際し、やっちゃんが仲間たちと一緒に作った記念の本棚なのである。
 いつの日になるかわからないが、拙宅無頼庵で、のみ亭のやっちゃん記念文庫として、一角を設けて、のみ亭にあった本はそこに並べて亡き人と店を偲ぼうと考えている。
 それが成ったら光玄招いてライブをしたい。その節はまたお知らせする。

 あと、店の天井近くの棚に置かれていた箱型旧い三菱製スピーカーも苦労して下ろして持ち帰って来た。店のBGMは、彼のノートパソコンから繋いでつい先日までそれで鳴らしていたのだ。
 我としては、先にお知らせした正面奥の壁にかかっていた丸型掛け時計とこの手作りの木製大きな本棚、そして旧いが店でずっと鳴らしてたスピーカーの三点、ゴミとして捨てられるところを「保管」することができたので、もう何も思い残すことはない。
 やっちゃんの妹さんと二人で、ほぼ何もなくなった店内を見回して、深い感慨に襲われた。それは彼がいないという淋しさとはまた別のあっけらかんとした空漠感のようなものだった。

 しかし今はこうも思う。これで良かったのだと。
 店主やっちゃんの早すぎる死と共に1982年から35年も続いたこの店も消えていく。もし、誰かが後を継いでくれて、二代目が継承してのみ亭がこれからも続いていたらどうであったか。
 我ら客としてはそれを歓迎しただろう。変わらずに店がこのまま続いていたらどんなに良いことかと。しかし、店主やっちゃんがいない、新たなマスターを迎えてののみ亭は、同じ名前でもそれはもはや別の店だろう。
 新しい店主がどれほど良い人で、できるだけ以前のままに経営したとしてもやはりそれは同じにできるはずもないし居心地もまた違うはずだ。客が前と同じものを求めてはならないし、求めても応えてくれるはずもない。その二代目としてもやっちゃんと比べられたらやはりやっていき辛いことだろう。

 ましてそれを、亡きやっちゃん自身は望んだだろうか。彼としても全身全霊かけて日々一人で35年間ほぼ生活の場的にすごし何よりも愛した店が知人友人であろうとも後を他人に委ねられるのは嫌だったのではないか。
 客としては店はこれからも続いてほしいと願うのは勝手な思いで、やはりこうした店は店主一世一代の極私的私物なのではないのか。
 その店主が逝き、誰も後を継ぐ者がないとして店も閉店となっていく。でもそれはごく当然の正しいあり方ではないかと今は思える。

 死後一か月、やっちゃんのもの、というよりのみ亭にあったものは、我が預かった分の漫画や雑誌を除いてレコードから貼ってあった写真、ポスター、ガラクタ的置物まで、この間来られたお客さんや彼の友人知人たちに多かれ少なかれ行きわたったかと思う。店もほぼ片付き、何もなくなったので彼も本当にもうこれで安心して成仏できるはずだ。

 思えば、彼とは不思議な縁だと今つくづく思う。店に通っているときは、個人的な話はほとんどしたことがなく、お互いの私生活については何も知らなかった。
 せいぜい音楽の話と店でたまにやる、それも我が知り関わるライブのときだけ顔出すという関係に過ぎなく、本当のところ我はあまり良いお客ではなかったかと思う。
 そして彼が亡くなり、ふとしたきっかけから店内の片付けに関わるようになって、彼の住んでいたアパートまで行き彼の私生活まで少しだけ垣間見る機会さえ得た。本当に彼らしい生活臭皆無のこざっぱりした几帳面な部屋で驚くほど感心した。
 「店」そのものが彼の生活の中心であり人生そのものだったのだと思い知らされた。それほど深く愛した店は、誰かがおいそれと継ぐことはかなわない。

 そして今日、最後の最後の片付けに出向き、最後のガラクタ類を積み込んで帰り道ようやく気がついた。
 店は彼と共に消えていく。残念だが、しかしそれも彼が望んだ姿だったのだと。これで西荻にあった高杉康史、やっちゃんと愛称された男がやっていた「のみ亭」という店は皆の記憶の中で永久に残る。もし、これが新たな店主を迎えて存続してしまえば、以前の店の姿もやっちゃんの記憶も色褪せてしまってゆくことだっただろう。

 そう、ならばこれで良かったのだ。のみ亭はこうして「伝説」となった。店もなくなってしまうけれど、我らの記憶の中でいつまで変わらず彼もあの時のままあの店のあの場所に座って生き続けている。我らが来ればいつものように暖かく迎え入れてくれる。
 あれだけ店を愛した彼は間違いなくあの世でもまた「のみ亭」をやっていることだろう。我が死んだらその後のことをサカナにやっちゃんと語りあかそう。濃い目の焼酎ロックを頼もう。ならば死はちっとも怖くない。その日が来るのが楽しみなほどだ。

 今改めて問う。やっちゃん本当にありがとう。俺はほんの少しは恩返しできただろうか。

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