この一年も世界が、日本が、平安無事、平和でありますように。2018年01月01日 08時01分18秒

★新たな年の幕開けに祈る。
 
 新しい年、2018年、平成30年が来た。
 我が事も祈りはしたが、それよりもこの世界が、地球全体が無事であるよう、今年も核兵器を用いるような戦禍が起きないことをただただ祈ろう。
 私的には、もう何も望まないし求めない。ただただ我、この身と、共に暮らす老いた父とがまず無事で一日でも長く生き永らえることを祈り願う。
 しかし、先のことは何一つわからない。全ては神の意思、天の計らいなのだから、起こる事、起きてしまったことは抗わずにただ受け容れていくしかない。
 このとことん弱く愚かで迷う者が、この歳までともかく生かされ大きな病や事故に遭うこともなく何とか生きてこれただけでも大きな奇跡、僥倖だと今にしてつくづく思う。
 まずそのことに感謝して、少しでも悔い改めすべてをきちんとさせて生き直したい。

 思うに、この世にあるすべてのモノ、物は、自分の物ではない。自然も含めてヒトはそれをとりあえず預かり使用しているに過ぎない。お金も含めて自分の物、自分だけのモノなんて何一つない。ならばある意味どうすることもできやしない。一時得たとしてもまたすぐに奪われ失くしてしまうこともままある。
 ただ、もし、その中でも「自分のもの」として確かに少しでも思い通りになるものがあるとしたら、それはこの我が身と我が人生だけであって、それだけは各自付与されどのように勝手に使おうとも許されている。

 しかしそれすらも成すべきことの「役割」は人それぞれ異なりこの世に生を受けた時から定められている。
 我は今まで、旧約聖書中の「ヨナ書」のヨナの如くに、その天からの声に耳を貸さず、果たすべき努めから逃げて囚われ、大きな魚の腹の中に長い間いたようなものだった。
 今、還暦を迎えてようやくその魚から吐き出され、陸に上がった気がしている。ならば、我もまたニネヴェの町に行かねばならないし、そこですべきこと、果たす役割があると気づく。

 これから残りの人生、あとどれだけあるのかわからないが、少しでもきちんと丁寧に、確実に、まず自らにもだが、誰に対しても誠実でありたいと強く願う。
 人の人生なんて、一夜にして与えられ奪われる、本の束の間の夢、うたたねのようなものだ。ならばこそその覚悟で、一瞬一瞬そのひと時、一日を大事に思い慈しみ、丁寧に、感謝して生きて行かねばならない。
 
 これまでも拙ブログの読者の方々をはじめ、多くの関わり持った方々にはご迷惑とご心配を多々おかけしてきた。我は根本のところが迂闊でバカだから、また過ちを繰り返すかもしれないが、どうかご容赦願いたい。そのうえで、誰にとっても求められる、少しでも人の役に立つ者になりたいと願う。
 ※本年も我の毎度のだらしなさ、考えなしの行動、失言から人を傷つけ呆れさせ怒らしてしまうことがまたあるかもしれない。どうかバカのなすこと故ご寛恕願いたいと思うが、そもそもそれで縁が切れる人とはそこまでの関係でしかなかったのだと今は思うしかない。

 この歪んでしまった世界が、少しでもまっとうに、人々が自分のことばかりではなく互いに思いやり助け合う、違いを許し認め合う社会になるよう、我にできること、すべきことをやっていく。
 こんな我に求める者がいるならば我はそれに全力できちんと応えていく。人は人のために生きてこそ人、ならば国家も他国のためにあってこそ国家なのである。何故なら我々は同時代に一つしかない、しかもかなり疲弊して来た地球に生きているのだから。
 大変な時代がやってくる。人も国も助け合わねばならない。これが我が新年に思い誓ったことだ。

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