明日から再開します。2018年04月03日 21時59分45秒

★何かあったわけではないのだけれど

 この数日、メマイと頭痛がひどくて、特に夜になると起きていられず時間あれば横になったり寝込んでました。
 明日には何としても立ち直るので、どうかご容赦ください。週末には、かけこみ亭での「笑えるうた」コンサートもあるので何としても体調戻してそれに備えねば。

桜花散る暖かい春の晩に2018年04月04日 20時26分47秒

★また「鬱」に陥った報告を

 まさかこの歳で今さら鬱病になるとは思ってもいなかった。が、体調も心象もかつて経験したそれに近しく、まいったなあとただ嘆息している。
 このままブログも書けずに「休止」してしまうのもまた心苦しく、結果として自らを苛むだけとなるから、正直にあからさまに自ら治療のためにもまずそのことを告白してともかく書いていくことにする。

 先に書きかけのことからまず後から補足して書き足していこうかと考えているのだが、それよりも今はまず今の状況から書かせて頂きたい。

 まず、還暦にして人生が経済的に行き詰ってしまいそのことにより嫌でもこれまでの生き方を顧て過ぎた「失敗」やらあれこれ牛のように「反芻」したのがいけなかった。そして今後の「生き方」についても今のままではお先真っ暗で、父が死ねば生活は我だけでは成り立たないと思い至り、ならばいったいどうするかと真剣に考えていたら頭かおかしくなってしまった。
 森田博士の本によると、『迷いの中の是非は是非ともに非なり』とあったがまさにその通りだと思う。
 何かぼうっとして常にどこかに忘れものしているようで、何も考えられなくなり夜になると頭痛してきて目も痛くて起きてられず、父がいない日は一日断続的に眠ってばかりいる。

 本当に情けないし恥ずかしい。しかし、この容認できない「現実」を受け容れて、とにもかくにもやっていくしかない。自殺はしないしそんな勇気もないが、今さらながらどうしたものかと考えてしまい、考えすぎたのがいけなかったのかと今気づく。
 これは医師の診断ではないが、最近になってはっきりわかったのは、我は今いうところの大人の発達障害であって、自閉スペクトラム、もしくはADHDなのであった。
 昔はそういう言葉もなかったし、当時の診断では、神経質、神経症といって、かの森田療法の森田正馬博士のいうところの囚われ気質であって、統合失調症的脳の機能障害とはまた異なる特異性格であり、それは完治することはない。

 若い時からバイト先の上司からよく、君のような性格ではいろいろ大変だろうと「同情」されたが、そのときは何を言われているがピンとこなかったが、要するに性格が常人とは異なっているのである。年上の人はそれを感知して揶揄しつつ指摘してくれたのだった。
 みょうに誰とでも馴れ馴れしかったり、その反面突然人を人と思わぬ態度をとったりするから、最初はトモダチ関係になってもすぐ誰もが呆れて離れていく。それは男女問わずでゆえに結婚もできなかった。
 何においても当たり前の対応ができないから何だって勤まらないし続かない。そして自我だけが肥大し欲望だけは強いから、モノも行動も全てに囚われて結果として処理できず身動きとれなくなる。
 バカだからそんな風にしてこの歳まで何も考えずまさにADHD特有の気質「衝動的」に生きて来てついに行き詰った。

そもそも完全主義者なのである。完全どころか何事も人並みにできない者が「完全」「完璧」に何かをやろうと願い試み、結果できなくても諦めようとはしない。世間の人は捨てることができるものでも捨てられないし諦められない。
 そして結果としてモノも成すべきことも山積しそのことで苦しくなって行くばかりとなる。
 すべてに囚われず拘らずもっと緩やかにかろやかに、もっと自由に、と常日ごろこのところ思うようになった。が、まずその言葉に強迫観念的に囚われてあれこれ考えてしまい常に計画倒れとなる。気ばかり焦る。
 ADHD気質の人はまた鬱病になりやすいと今日の朝日デジタルで垣間見たが、それもまた当然であり、うまくいくはずもないしできないゆえ自らを苛み「絶望」的になるからで鬱々してこないほうがおかしい。

 森田博士は、大変だとか辛いとかまず何も考えずにともかく普通の生活を送れと基本アドバイスしているが、まさにその通りだと思う。
 ただこれはそういう気質であり、常にあれこれあれもこれもと囚われ不安になるのは親譲りの神経症であり、思えば我が家は父も母も診断的にはLD、もしくはADHD気質なのだとはっきりわかる。
 それは遺伝するのか定かではないが、少なくとも環境が大きく影響していることは間違いない。

 しかしだからこそ、それを「治す」のには、主観的なことはあれこれ何も考えず、『花は紅、柳は緑、真実唯真』と、あるがまま今を常態を受け容れていくしかない。
 森田博士はまたこうも言っている『苦痛の大小は欲望の大小に正比例する』と。まさに我が身を顧てその通りだと気づく。何であれ捨てられずに抱え込み増やし続けてついに維持できなくなってきて行き詰った今、できることは諦めて「捨てる」しかないのだった。
 ただ、情けないが欲深い完全主義者である我は今もまだなかなかそこまで達観できやしない。
 しかし道はもうそれしかないのだと思う。頭では理解して来た。が、今もあれもこれもと欲深い諦めきれない心がその道を踏み出せなくしている。
 が、残りの人生も先が見えて来た。断捨離以前に、そろそろ我が死を見据えて妹や親族に死後の迷惑をかけぬためにも何らかの対策を立てて行かねばなるまい。
 ただそれすらもまたあれこれ考えてしまい不安や心配に囚われていくと頭がおかしくなっていく。まずは世間並みの当たり前の生活をしつつ、我が身の「垢」を少しづつ落とすべく心がけていくことから始めていくしかないように思える。

 悔いばかりの我が人生だが、今さら悔やんでもやり直せないのなら悔やみはしない。それよりも全部でなくていいから少しでも一つでも日々満足、納得できる成果を上げていくことを心がけていくしかない。
 我は本当に頭おかしいと自分でも思う。しかし、それも自業自得ならばそれをそのままあるがままに受け容れていくしかない。そういう気質、性格なのだから仕方ないではないか。

すべて面倒に複雑に大変にしない、そう考えない。2018年04月05日 12時36分12秒

★「auひかり」への切り替えはキャンセルした件を記す。

 オスプレイが厚木から五機も横田に飛んできて騒がしい午後である。

 先に、失くした携帯をスマホに変えたときに、毎月かなり高額となる携帯と宅電等の電話代とネットの通信費もプロバイタ込みで、auの新サービス、auひかりというのに変える予定でいるということを拙ブログで書いたかと思う。
 電話で担当の人といろいろ話して見積もり立ててもらい今までずっと契約しているNTTの「フレッツ光」より毎月数千円は安くなることがわかり、ならばと乗り気になった。

 繰り返し書いて来たが、我家はもう毎月毎月常に赤字で、なけなしの貯金を取り崩してしのいでいるので、経費削減は喫緊の課題であった。毎月今は父の介護サービス利用料、その保険料だけで10万近くにもなるので、父の乏しい年金、16万円ほどではどうやりくりしても生活は成り立たないのである。
 で、何とか削れるのは電気代とそうした通信費程度しかなく、これまでのNTTを解約して、au、つまりKDDIに一括変更すればスマホ利用料も含めて毎月の支払いはかなり安くなるというのでお願いすることにしたのだった。
 で、向うからあれこれ書類が届き、あとは新機器への切り替えの内外の工事が始まるだけでその工事の予定日を決める段階に来ていた。
 しかし、事前の家屋の確認段階で、何故か伝えた我が家の住所が間違っていて、家の確認がとれないとのことで連絡があり、我はいつ工事はじまるのかやきもきしつつ連絡を待っていた。
 先日ようやく向うから、お宅様のご自宅の確認がとれたので、いつ工事にとりかかるか日程を決める由相談の連絡があった。その際、我家のテレビ状況について話したところ、そのときになって何と、今回のそのauひかりのサービスでは、地上波、デジタルともサービスには入っていないこと、つまりテレビは観れなくなると知らされ愕然とした。

 今のフレッツひかりのサービスでは、電話も含めて一括してテレビも光ケーブルで観ることができる。それには受診料以外は千円もしない。
 ところが、今度そのauに切り替えてしまうと、そもそもテレビは観れないので、お客様で、つまり自分で地デジなり見るにはその環境を整備しないとならないのだという。
 一つはケーブルテレビに申し込むか、あとは初期投資はかかるが、自分でアンテナなりブースターなど機材一式を購入するしかないのだと知らされた。
 で、先ほど近くの大型電気店ケーズデンキへ出向いて売り場の人に詳しく事情を説明して、ケーブルテレビではなく、自分でテレビが観れるよう工事も含めて一式いくらかかるのかおおまかな見積もりなど説明をきいてきた。
 戸建ての場合、地デジ、デジタルもそれぞれアンテナ立てるとおおまかでもおよそ10万円は予定しておいたほうが良いと教えられて唖然とした。懇切丁寧な良い担当者の方であった。
 確かにauの開通センターの担当者も、初期投資はかかりますが、長い目で見れば安くなるとか言ってたが、初期投資に10万かけてまた新たにアンテナから全部とりつけて一から環境整備するなんて実にバカバカしく大変かつ面倒なことではないか。

 毎月確かにNTTよりは安くなるとしても半額になるわけではないし、まず今は足の踏み場もないような有様の室内を、工事ができるよう家の中を片付けて工事担当者を招き、新たな機材の設置工事して、さらにそこに10万円かけてテレビが観れるよう屋根に新たにアンテナ立てる工事までするなんて、考えただけでうんざりだ。
 実はこのところの我の鬱病の原因は、金の工面に頭を痛めていたこともだったが、そのauひかりの工事を控えて、何としても早急に家の中を片付けたりせねばならず、工事業者を迎えることも含めてそうした対応や準備を考えただけで面倒でたまらず憂鬱気分になっていたのだ。

 このところの我の気分というか、モットーは、「ともかく何であれ面倒に複雑に、大変にしない、そう考えない」、であって、日に何度もそう呟き、そうありたいと常に念じている。もうこれ以上何であれ新たに増やしたくないしあれこれ面倒にしたくないと切に思っている。
 ならば、いくらか確かに電話代が安くなるとしてもそのため新たに工事するのはともかくも、その結果、今は大して金のかからない地デジもBSも観れなくなってしまい、また別途10万円も初期投資して、自らアンテナなど一式また新たに買い求めて、工事担当者呼んで屋根に設置してもらうなんて愚の骨頂というしかない。我のこのところのポリシーに正反対であろう。考えただけでうんざりするほど面倒だし金もかかることではないか。
 そう、今は壁から同軸ケーブルで問題なくごく簡単にテレビは観れているのである。いくら通信費が安くなるとしても新たに別途10万円かけて屋根にアンテナ立てる必要はどこにもないではないか。

 世の中とはこうしたものなのである。うまい話には何か陥穽があるのである。何とか工事始まる前に、auに電話して今回の話はキャンセルすることができて良かった。工事業者が来てから、テレビが観れないとは話は違う!と騒ぐ醜態をさらさずに済んだ。

 今、横田の空は響いてくる爆音で騒がしいけれど、我の心はようやくすっきり落ち着いている。キャンセルを告げてほっとしている。
 何であれ今は何事も面倒に複雑に、そして大変にしたくない。毎月電話代など高くかかっても本や家具を移動してあちこち片付けて工事業者を招いて新たに回線の工事した上に、さらにまた屋根に10万円もかけてアンテナなど立てたくない。

 そう、金を削ることも無駄な出費を控えることは当然だが、要するにその分しっかり稼げば良いだけの話なのだ。父の年金の中でやりくりできなくてもそれはそれで仕方ない。そう考えて今我の心は燃えて来た。

「笑えるうた」は不真面目か、不謹慎か2018年04月06日 20時10分18秒

「笑えるダンディ」こと藤しんいちろうで果たして笑えるか、あるいは笑われるか
★いよいよ明後日、谷保かけこみ亭で「笑えるうたが聞きたいぜっ!」コンサート開演!

 世には説明するまでもなく様々なジャンルの音楽がある。そしてその「うた」のテーマも様々である。
 いちばん多いのは当然のこと、愛のうた、ラブソングで、失恋も含めて古今東西昔からそうした愛の喜び、別れの哀しみ、失恋の苦さをうたったうたは星の数ほどある。
 そしてそれに次いでこのところ多いのは、応援ソングというべきか、誰かを励ます、元気にさせる内容のうたで、今のJ・ポップなるものの大半はそうしたもののように我は思える。

 では、一方少ない類のものは何かと考えると、一番は、内省ソングだろうし、次いでは、コミックソング、笑えるうたではないだろうか。※内省ソングとは何か説明しなければならないが、スマップの「ヨゾラノムコウ」やよしだたくろうの初期のものを思い浮かべてもらえれば何となく感じはつかめるかと思う。

 むろんそうした「笑い」のうたを専門に唄っている人は多々いるし、お笑い芸人的なシンガーは嘉門達夫他けっこう思い浮かぶ。ただ、残念ながらそうしたうたはまずヒットすることはないはずで、唯一思い浮かぶのは、関西フォーク創世の礎となったフォークルことフォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」ぐらいではないだろうか。あるいはソルティシュガーの「走れコータロー」か。
 次いではその流れを受けての高石友也・中川五郎の黄金コンビによる「受験生ブルース」ぐらいだろう。かの岡林にも彼独自の笑えるコミックソングはいくつもあるが、発禁になったりいろいろ制約あってレコードになっていないものも多く、世間的にヒットしたとはとうてい言えない。

 そして何より残念に思えるのは、そうした笑えるうた、笑いを誘ううたは、プロテストソングやメッセージソングよりかなり格下に見られていることで、歌い手そのもののレベル以前にその歌自体が低く扱われていることは間違いない。
 確かに反戦平和とか人種平等とか強い確かな正しいメッセージがあるものこそ「うた」だと我も思うし、何よりもそうした「志」がないものは単なる無内容な今どきの恋愛ソングと大して変わらないという批判を受ける。
 ただ、ではコミックソング、笑えるうたはうたとして格下だとかレベルが低いという評価はまったく当たらないと我は思うがどうだろう。
 どんなジャンルの芸能、芸術であれ、いちばん難しいのは客なり聴き手、読み手などの受け手側を笑わすことであり、それは実は泣かすよりも数段大変だと昔からよく言われている。

 「笑い」というのは、人類だけが持つ高級な感情であり、人はつい誰かが泣いている人から、それにつられて貰い泣きはしても貰い笑いはできないように、笑いこそけっこう繊細かつ複雑な感情によって起きる行為なのである。
 よってまして「うた」や音楽で観客や聴き手を笑わせるというのは、実はとてつもなく難しい。むろん落語という笑いに特化した芸能があるわけだが、落語はある意味一人演劇的な芸能であり、それよりもさらにいちばん難しいのは実は音楽そのもので笑わせるクレージーキャッツ的な行為であり、次いではコミカルな内容のうたそのものでであろう。
 ただコミカルなことをうたにしてもそれで聴き手が笑うかどうかはまた別の話であって、かの「帰ってきたヨッパライ」も「コータロー」もコミカルかつ音楽性も高く、楽しく子ども受けする曲調だったからあれだけヒットしたのだと気づく。そしてある意味、それらは時代を巧みにとりこみ一時代を象徴していたと今にして思える。

 さて、明後日4月8日の「笑えるうた」コンサートである。
 企画した者から言わせてもらえば、何で毎度の「護憲と反戦・平和のための共謀コンサート」の流れで、番外編としてでも「こんな時代だからこそ、笑えるうたが聴きたいぜっ!」てことになるのか、ご不審の方もいると思うので説明したい。
 
 要するにうたとは何でも良いのである。その歌い手の思いを表現するにして、何も堅苦しく真正面から熱いメッセージを込めなくてもかまわないのだと我は考える。
 替え歌しかり風刺ソングしかり、じっさい我々がやってきた日本のフォークソングとは何でもありであった。ゆえにそこから、帰って来たヨッパライも走れコータローも生まれて聴き手の喝采を浴びそれなりに評価され注目を集めたのだと信ずる。既成の発想、商業路線のレコード会社主体ではそうしたユニークな自由なうたは生まれなかった。
 では、フォークルは単なるコミックバンドだったかというと、その後は、イムジン河や、哀しくてやりきれないなど非常に優れた佳曲をうたい、その音楽性の高さを世に知らしめたのは言うまでもない。

 そうした視点に立つとき、そろそろ我の周囲にいる「笑えるうた」中心に唄っているシンガーたちに一度はきちんとスポットをあてねばならないと思い至った。
 じっさいこれまでも「共謀コンサート」の中で出てもらおうかと思いはしていた。ただ、やはり皆が真面目に熱く反戦や護憲について真正面から唄っているさなかに、例えば藤しんいちろうのような者を加えると顰蹙買うかもしれないと怖れて二の足を踏んでいた。
 が、思いは皆誰も同じで方法論の違いなのだと我は信ずる。うたに上下はないし、真面目なうたが正しいとかそういったうたを唄っている人がエライわけでは絶対ない。
 逆に、ある意味異端ともとられるジャンルのうたを得意にしている方のほうが我はスゴイと思うしきちんとそうした人たちにスポットをあてたいと思う。じっさい彼らは飛んでもないテクニックの持ち主だったり異能の天才なのである。

 というわけで、4/8日、これまでとはやや毛色の違う、我が知る限り本当に面白くユニークな「笑えるうた」をうたってくれるシンガーたちをお招きした。どうか、堅苦しいこと抜きに、単に笑えるかを確認にだけでもお越し願いたい。
 毎度ながら投げ銭制だし、出入り自由で、午後5時半頃から夜9時頃までだらだらゲラゲラ?皆でやっております。
 初めての試み、盛況になるべくどうかよろしくお願いします。

いよいよ明日8日かけこみ亭、「笑えるうた」コンサート!2018年04月07日 20時32分40秒

★なにわのてつ他豪華シンガー大集合!乞うご期待ご来場!

 春爛漫のこの季節、米朝首脳会談を前にやたらやたら騒がしい横田基地周辺であるが、なにはともあれ一触即発、オスプレイも配備されて、いつ戦争になってもおかしくない日本国である。
 政権の支持率が下がると国民の支持を盛り返すのに一番の特効薬なのは、かつて9.11でブッシュが起こした「正義の戦争」のような「戦争」なのは歴史が記している。トランプ氏も安倍晋三も、支持率低下の中、戦争というのはその選択肢として排除していないことであろう。

 様々な疑惑は一切何も解明されないままいつまでも安倍政権は続き、国民の多くはうんざりし失望しているが何故か何度選挙しても必ず自民党は大勝する。時代はいつまでも変わらないし何も動かない。問題ないとか遺憾に思うとか菅官房長官は繰り返すだけだ。安倍夫妻、特にその妻はいったい何を森友学園のためにしたのだろうか。森友はダメで何故家計は無事開学できたのであろうか。そして高まる疑惑にまったく無関係ならば昭恵さんは一度でいいから記者会見で自らそう語れば国民もご当人もスッキリするはずなのに。

 そう、そんな閉塞的時代だからこそ、怒りの拳を国会前で突き上げることも大事かもしれないが、まずは腹を立てるよりも皆で腹を抱えて笑うのはどうであろうか。

 かの我が懐かしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」では、ハカセたち一行は先生と、その地にピクニックに来たはずなのに、突然陸地から切り離され、そこは、ひょうたん島となってしまい海へ向かい漂流の旅が始まる。
 そのテーマソングのサビはこうであった。
 
♪苦しいこともあるだろさ
   悲しいこともあるだろさ
   だけどボクらはくじけない
   泣くのはいやだ 笑っちゃおう と。

 そう、笑っちゃうしかないのである。ただ、果たしてこの企画、本当にどこまで笑えるのか、不安であり楽しみでもある。いったいどうなることであろうか。笑える歌がたっぷり聴けるのか。
  
 どうか一人でも多くのご来場者、ご確認ください。そして願わくば裏方としてもご協力者もお待ちしております。

天気快晴お笑い日和2018年04月08日 13時57分57秒

★ぜひ本日の「笑えるうた」コンサート、どなたでもお気軽にお越しください。

 いよいよ本番当日となった。終わって戻れたら詳しく報告いたします。

笑えるうたコンサートを無事終えて2018年04月09日 23時08分41秒

藤しんいちろうのステージに館野公一、ぼけまるも「共謀」
★初めての試み、素晴らしい出演者たちのおかげで大成功に!

 「共謀」コンサートの「番外編」として企画した音楽イベント、「こんな時代だからこそ、笑えるうたが聴きたいぜっ!~うたの可能性を求めて」、略して「笑えるうたコンサート」は、昨日無事に盛況熱狂のうちに終了した。
 夕方の5時半ジャストから9時半過ぎまで、休憩をところどころ挟んだものの約4時間、「笑えるうた」中心に特化して様々な歌い手が次々と登場した。

 で、それで、果たして笑えたか笑えなかったかは個人的感想で人それぞれだとも思うが、店内は爆笑が何度も起こり、観客席を見回した限り来られたお客様は皆様大いに楽しみかなり笑って頂けたと思う。
 我自身もつい腹抱えて笑い過ぎ、笑うという行為はそれ自体がかなり疲れるものだとその快い疲労感に今回気づかされた。まあ、そうした「笑い」に特化したコンサートというのは、企画した我自身も初めてのことであり、フォークコンサートでは他には類をみない。が、いくらカレーが大好きでもバイキングで食べ放題となると、食傷して疲れを覚えるように、やはりジャンルやスタイルは違えど、いっぱい一度に笑い過ぎるとそれはそれで疲れるものなのだと今わかる。しかし、こんなにたくさん皆で笑ったのは我の記憶にはない。この企画、ぜひまたいつか再演してみたいと思う。これは本当に面白い。

 では、その「笑えるうた」というのは何かと問われれば、ギター漫談などのお笑い芸人のような「笑わせようとするためのうた」ではない。うた、音楽であることがまず第一であり、その結果として笑いが起こる、笑いを誘ううたのことであり、要するに面白い、ユニークなうたということを意味している。それはとてつもなくハイレベルな行為にほかならない。
 だから何よりきちんとした音楽ができないことには始まらないし、そのテクニックや肝胆座った上で、意識的に独自面白くユニークなうたで観客をわかすのが我が考える「笑えるうた」ということになる。

 そして、今回は、登場順に記せば、元気いいぞう、弱つよむ、藤しんいちろう、そして「なにわのてつ」こと藤縄てつやこそ、そうしたシンガーであり、彼ら四人をメインにまず据えて、他に副菜的、幕の内弁当の煮豆的に彩りとして数人ノーマルテイストのフォークシンガーも加えて、味が偏らないよう飽きが来ないよう腐心してプログラムを組んだ。それはかのドリフの「全員集合」から学んだことを意図して応用した。
 そのプログラムが成功したかは自ら言えないが、多くの観客からも好評で、その出順しかないだろうとの声が多く届き、企画者として今回も有難くも自信を得ることができた。

 では、いつものようにコンサートを終えた報告として、画像で出演者たちを登場順にアップしていく。例によってブログの性質上、下から上へと時間は流れていくのでご理解頂きたい。

笑えるうたコンサート画像・出演順・1、ぼけまる2018年04月10日 12時51分20秒

★1.「謎の現場担当」・ぼけまる

 というわけで、2018年4月8日に谷保かけこみ亭で催された「こんな時代だからこそ笑えるうたが聴きたいぜっ!」コンサートの模様を画像で追っていく。※敬称略

 まず開演トップバッターは、かけこみ亭の厨房の中だけに留まらず、ときにステージにまで乱入してくるとシンガーたちから怖れられる、プロレスで言うところの凶悪マネージャー的現場担当者で、フットワークの軽さがウリのぼけまる氏が下ネタソングでまず一曲。

笑えるうたコンサート、出演順・2、元気いいぞう2018年04月10日 13時05分26秒

★2.「生きてる地蔵」・元気いいぞう

 次いで、いよいよ今回の「笑えるうたコンサート」主要メンバーから、まずはベテランの元気いいぞうが登場。
 コンサート自体が始まっても姿を見せず、駅前辺りでみかけたという情報が飛び交う中、果たして今回その雄姿が観られるのかマス坊はハラハラもしたが、出番ギリギリに到着してくれた。

 そしてお名前通り元気いっぱいの、元気良すぎて「元気パワー」が溢れ出て制御がきかなくなるほどギター弦を切りまくり、観客席乱入という熱くアナーキーなステージを期待通りたっぷり見せて皆を楽しませてくれた。
 個人的には今回いちばん強い印象を誰にも残したと思う。元気さんをお招きできて本当に良かった。

笑えるうたコンサート画像・出演順・2-2、元気いいぞう2018年04月10日 18時24分37秒

元気パワー炸裂!
★2.元気いいぞう、その続き