人は変わる、少しづつやがて大きく変わる2018年04月24日 22時33分02秒

★身体が求めるもの、拒むもの

 学生の頃、東中野の女友達のところによく遊びに行った。その家の近くには今はないが、今川焼を店頭で焼いて売っている店があって、そのアンコの詰まった小判型のそれを買い食いしたものだったが、我はとても一個だって食べられなかった。
 その頃は、和菓子、中でもアンコ類など甘いものが大嫌いで、その今川焼も皮だけは何とか食べられてもアンコの部分はどうしても喉を通らず、残すことは常だった。
 ところが、近年、50過ぎてからだと思うが、このところの我は甘いもの、中でも小豆などの入っている和菓子類が好物になって、自ら買い求め今では常に家に常備してあるほどになってしまった。
 自分でもいったいどうしたのかと思う。若い時はあんなに嫌いで食べられなかったはずのアンコ、それも小豆の粒あんが好物になるとは、人は変わるものだと驚かされる。

 思うに、そもそもウチは父が米軍基地に勤めていたアメリカ人の家庭だったので、ハーシーのチョコレートやポップコーン、ジェリービーンズなどのアメリカのお菓子はふんだんにあった。祖父が生きていた頃は、彼の好物のかりんとうがウチには常備されていたけれど、子供にはそれが固くやたら甘いだけで美味いとはちっとも思えなかった。
 それよりもアメリカのお菓子のほうが口当たりよく、色もカラフルではるかに魅力的だったのだと今気がつく。
 そうした家庭環境に育ってきたから、和のもの、日本茶や和菓子にはそもそも関心が向かなくその美味しさは理解できなかったのだ。飲みものだってコーラやファンタ、セブンアップのようなものばかり飲んでいたのである。
 それがいつの間にか歳と共に好みもしだいに変わって来て、このところやっと和菓子類、中でもアンコの美味さに目覚めた。今でもチョコレート類は好きだけれど、それもビターなものほど良く、スナックなど菓子類は総じて味が濃く、やたら喉が渇くので自らはほとんど食べなくなった。
 代わりにきんつばやたい焼き、その今川焼類など小豆のアンコ系の和菓子が好物になり、それを緑茶や紅茶そしてコーヒーで食すというのがこのところの我のオヤツとなった。
 半世紀生きてようやく我も日本人になったということであろうか。

 そしてこのところ一番自分でも変わったと驚き、困惑しているのは、化学調味料に過敏になってしまい、ある一定の量のそれを摂ってしまうと口が、舌が痛くなりどうにも何も食べられなくなってしまうことだ。
 だから中国人のやっている中華料理店などは、覚悟のうえで入らないと、後々その日はもう何も食べられなくなってしまう。口中、舌が痛いだけでなく味覚がなくなってしまうのである。
 これは中華料理症候群とも呼ばれ、要するに彼らは味の素的化学調味料「白い粉」を何であれふんだんに使うから、それが一定の量を越えるほど過剰に摂取すると、舌が麻痺してしまうわけだ。
 そんなで、中国産のキムチにインスタントラーメンを合わせて食べたりすれば、もうそれだけでその日のアミノ酸摂取量をオーバーしてしまい、口が痛くて何であれ食べられなくなる。
 我はインスタントラーメンやカップ麺は若い時から好きで毎日でも食べられたのだが、そんなで仕方なく自粛している。そうしたアミノ酸、化学調味料が多量に入っている食物をとると、口が痛くて後々まで後悔するのだから。

 で、今我が自らに課しているのは以下の通り。

・砂糖の予め入っている甘い飲料、炭酸飲料は飲まない。
・市販の出来合いの総菜類、ギョーザやメンチカツ、シューマイ、ハンバーグ類はできるだけ食べない、買わない。化学調味料が多いので食べると必ず舌が痛くなるから。
・缶ビール、チューハイ缶類などアルコールドリンクも、糖類と酸味料の入ったものは飲まない。必ず悪酔いする。
・市販の菓子パン類も添加物が多すぎるので買わない。

 よく、身体が求めるものだけを食べるべしと言われる。が、実のところ求めるものよりも拒むもののほうが大事であり、我としては上記のそれは好物なのである。今でもスーパーで値下げしていたらつい買ってしまう。
 が、食べると必ず舌が痛くなり、口の中がおかしくなってしまうから食べたくても食べられないのである。

 要するに何であれ、できるだけ加工していないそのままの素材のものでないと食べられない体質になってしまったのだ。
 焼き魚に塩としょうゆ、大根おろしと漬物という江戸時代の人のような生活にならざるえない。かつてはホットドックやハンバーガーが大好きなあんなにアメリカ人だったのに歳と共に我もやっと日本人になってきたのかと感慨深く思う次第。

 人は変わる。その体質も含めておそらく考え方や人格すらも変わるのならばそれはきっと良いことだと期待しても良いのではないだろうか。