さあ、共謀コンサート、本番当日が来た2018年10月13日 13時15分53秒

★流れは変わって来た。この良い流れをさらに大きく次へと繋げて

 谷保かけこみ亭での「護憲と反戦平和のための共謀コンサート」当日となった。
 先の沖縄県知事選のあと、潮目が、流れが変わって来たと報じられる今、その勢いを維持して安倍政権退陣へと追撃の歩をしっかり進めていこう。
 安倍政治を支えて来た「幻の好景気」も世界同時株安と米中冷戦で、庶民には実感のない「好景気」の化けの皮が剥がされつつある。
 さあ、今こそ、思い新たに、唄の力で最凶最悪の自公政治を終わらせていこう。

 どなたでもお気軽にお越しください。心からお待ちしております。大きな世界を変えるのは一人小さな動きからだと信じて。

共謀コンサート、第五回目無事終了2018年10月13日 23時59分22秒

フィナーレ光景
★得難き友と素晴らしいうたのおかげで危機を越えられた。

 日付は変わってしまったが、10/13日の、かけこみ亭での「護憲と反戦・平和のための共謀コンサート」は、盛況のうちに終えられた。
 正直に書くと、客の入りはもう一つで、それも全て我の不徳の致すところだと悔い恥じるしかない。出演者の方々に素晴らしい熱演に見合うしっかりしたギャランティを支払えなかったことを心から申し訳なくただ思うが、今はそれよりともかく無事にこの日を何とか終えられた喜び、安堵の気持ちのほうが大きい。まさに肩の荷がおりた。まったく身勝手を承知で、お怒りを受けるのを覚悟で書く。

 人生の危機というのは、おそらく誰にも起こる。のほほんと好き勝手、自由気ままに長年生きて来た我にもそのときが当然来た。
  母の死と、それからすぐ訪れた還暦という節目の年という、擁護者を喪い、いやでも一人で老いの年代にきちんと向き合わねばならぬ時期が重なり、人生も生活もすべてが行き詰ってしまった。
 そう、一人では何一つきちんとできなくなって全てがめちゃくちゃに混乱しどうすることもできなく収拾つかなくなった。たぶん鬱病だったのかとも思う。焦れども何もかもきちんとできず手につかず万事に放擲、ネグレクト気味であった。このままではやばい、さすがに何とかせねばと焦った。

 仕方なく対外的なことはすべて断って、家に籠り、誰とも会わず連絡も取らず、ただひたすら人生の立て直しに務めてきた。
 そんなわけで半年、どこにも出かけず誰とも会わず一切連絡もせず成果があったのか、少しでも「解決」したのかというと、実はますます頭がおかしくなって父が不在の時でも、ヤフオクとかで今すぐ必要でないものを落札するのに夢中になったり、老いた犬と幼い猫たちの世話に昼夜問わずふりまわされたりと嗤われるようなことで時間をとられてほとんど何も捗らなかった。
 ますます頭はおかしく心身不調となってきたので無理を承知で、あえてまたコンサートの企画を立てて、元に戻す、以前のようなことを再開しようと試みた。
 そしてながいようさんにコンサートのお話をもちかけたのだった。

 が、やはり鬱的気分はなかなか去らず、宣伝告知の作業にも何故か身が入らぬというか、なかなか取り掛かれず、結果として青梅は盛況となったのに、我の方は期待していたような集客はならなかった。
 出演者の方々、関わり頂いた人たちに本当に申し訳なく思う。
 しかし、この数日、コンサート当日が近づくにつれて、プレッシャーなのか夜も眠れず胃や腹が痛くて風邪気味で心身の不調が続いていたことを思うとき、ともかくも我自身がそこに出向き、何とかことを成し終えられたわけだから、身勝手ながらそのことを喜びたい。
 この二日、素晴らしいうたと懐かしき人たちとの出会いに救われた気がしている。
 今日も、ながいようさんをはじめとして出て頂いた人たち皆から深い感動を頂いた。うたは、音楽はいいなあ、有難いなあと今さらながら深く噛みしめた。
 そして客の入り以前に、こうした素晴らしいミュージシャンたちと関わり合えお招きし再びまたコンサートを企画出来たという喜びと満足を味わった。

 この半年、ギターに手を触れるどころか、音楽はほとんど聴くことなく、もう我の中で「日本のフォークソング」は「関心外」のものになってしまったのかと案じていたので、また再びコンサートを企画し、それを何とか無事に実現できたことはともかく嬉しい。まずはそのことだけでも良しとしよう。
 考えてみればコンサートとは水物で、どれほど宣伝したからといってそれが直に正比例して動員がなるわけではない。
 今日だって、いつも常に来てくれると想定していた我が知人、友人は少なくても三人は来れなかったわけで、それぞれ皆都合があってのことだから、それはそれで仕方ない。
 それよりもまた別に、我マスダの身体のことを案じ、連絡頂きお手伝い申し出てくれた方もいたわけで、本当に有難いことだと思う。

 我に良い音楽と良い友、素晴らしい仲間たちがいるのだから、微細な我が人生が行き詰ろうと、プラマイゼロ、帳消しになるのではないか。  いや、良いことも悪いことも、思い通りにならないこともあるのが人生なのだから、天気に晴れの日や雨風の日があるように、これはこれ、それはそれで良いのである。
 どんなダメ人生であろうと、我には良い音楽と素晴らしい友、音楽仲間たちがいるのならば、それだけで良いじゃないか。
 たとえ我が人生がすいすい思い通りに動き、片付いていったとしても音楽の「感動」が無かったらそれは無味乾燥な味気ないものだったに違いない。

 今回、沖縄からながいようさんをお招きして、コンサート自体は素晴らしいものとなったのに我の不調から結果として思うような集客がならず、ただただ申し訳なく思う次第だが、我はこのコンサートでようやく救われた思いでいる。
 ようさんだけではなく、ソーブラや毎回参加の槇篤さん、館野さん、ぼけさんも含めて、気心知れた彼らのおかげで我が危機は救われた。今回は所用で行けないからと差し入れも届けてくれた方にも。
 そしてお手伝いに来てくれた友人たちにもあらためて深く感謝したい。
 我がダメ人生の再建は、我が事、我の恒久的な課題としてともかく置いておくとして、そのこととは関係ないこととして、また音楽の企画を立てていこう。

 今だから告白するが、実はもう今回でこうしたライブ企画からは足を洗おう、これで最後にしようと考えていた。自分の実人生だけでも手いっぱいなのだから、そんな人間が外に出て他人様と何か成し得るはずもない。じっさい今でもそう思う。誰よりもダメで非力な我なのだから。
 しかし、自分が動いたこと、良い意味で「撒いた種」で何か新しい動きや出会いが少しでも起こり得るならば、やはり下らぬ実人生は別にして、こうした音楽企画活動は続けていくべきではないか。
 このツーディズの素晴らしいコンサートも、我の思いつきから成ったのだから。

 この世には、いつの時代も歌い手と聴き手は存在する。しかし、その二つを繋ぐ場と繋ぐ人がなければ、両者はおいそれと出会えない。まして「うた」は「本」も同様だが、自ずと聞かれること、読まれること、つまり歌われることを望んでいる。そしてこの世には、そうした場がなく消えていくうたや本がどれほどあるのだろうか。
 我は古本屋として、そうした本を再び流通させようと考えてその道に入った。そして、今は同様に、そうした「うた」、このままでは消えてしまうかもしれないうたや音楽を、今の聴き手に届けたいと願う。

 今回も、休みの国や、西岡恭蔵&クロちゃんのうた、そして高坂一潮の遺した懐かしいうたがこのコンサートでは何曲も唄われた。そしてそれらはオリジナルを越えて素晴らしく我が心に迫って来た。ああ、こんなうたがあったなあ、今聴いてもあらためて良い歌だなあ、としみじみと胸が熱くなった。
 客の入りは別にして、そうした歌は我が企画しなければ、今回コンサートは無いわけで唄われなかったのだ。ならばである。
 古本屋が埋もれた本を求める人に流通させる仕事だとすれば、我はうたでそれをやっていく。フェイスブックの我の肩書にはこう記してある。 「古本音楽家」と。
 何であれ作った人、歌い手は去り、やがてこのままでは消えていくうたたちを、新たな聴き手を集めて彼らに向けてもう一度流通させたい。
 それこそが我の使命、役割なのだと今日確信した。

 そう、それは平和の思いも同様なのである。翁長前知事は、自ら死を通してそれを後の世代の者へ託し受け渡した。あたかもナザレのイエスのごとくに。
 ならば形あるものであれ、形のない「うた」や「思い」であれ、その人が死ねばそれをそのままにせず、また再び誰かへ、新たに来る「新しき人たち」へ、後世の人たちに受け渡し繋いでいかねばならないのだった。
 やがてその受け継いだ思いが世界を少しでも、少しづつでも変えていくことに繋がると信じて。

 拙ブログにあれこれ愚痴めいたことを書いて来て、多くの皆さんにご心配をおかけしてしまった。申し訳なく心苦しく思うが、ディランに「Saved」というアルバムがあるようにやっと今日、我は救われた。もう大丈夫だ。ここから人生をほんとうに再スタートしていく。