ロックンロールの「軽さ」を具現し続けた男の死2019年03月19日 07時29分03秒

★内田裕也死す。

 ユーヤさんである。今の人たちは、あの美輪さんと並んで、メディアやマスコミを賑わすことの多い、よく知らないけど何かヘンに目立つ異形の老人といったイメージしかないかと思う。
 美輪さんは老いてもしっかりした実力があり、きちんと現役で活躍し続けている表現者だから説明不要だが、内田裕也といっても近年は故樹木希林さんの夫としか知られていないかもしれない。
 が、我のように、素人ながらも日本の音楽シーンを幼児から長く見続けて来た音楽愛好者としては、やはり特別な存在だと思える。
 ミュージシャンとかシンガーとしてではない。だいいち我は彼のロックシンガーとしての才能はまったく評価していない。ヒット曲、代表曲だって何もないのではないか。この我が思い出せないのだから。では、何が特別かと考えると、その存在自体が特別だとしか言いようがない。

 それは、とにもかくにも彼の声質に象徴される「軽さ」であり、その持ち前のフットワークで、ロックフェスの仕掛け人、音楽プロデューサーから役者、都知事選候補者、そしてあの大震災後には、「ロックンロール」石巻に現れたりと常に何であれどこにでも軽やかに「存在」し続けた。
 不思議な人である。だいいち実力第一のロックシーンの世界で、その黎明期から彼がどうして首領的に常に中心にいたのかそれこそが昔から大いなる謎であった。
 何故あんな人にロックの猛者たちが従うのか不思議でならなかった。ビジネスに長けているとか、面倒見がいいとか、人柄が良いとか聞いたことはないし、ある意味、常にどこでも何をしても彼は、トリックスター、道化的存在でしかなかった。むろん当人はそれがロックであり、カッコいいと信じていたわけだが。※清志郎もそうした面はあったが、彼の方がもっとピュアで思索的で、天賦の才能があった故に真にカッコよかったのだ。

 思うに、音楽には軽い音楽と重い音楽がある。それはヘビーロックとかライトフォークとかいう意味ではなく、R&B、ソウルミュージックなど我の好きな音楽は、根柢にブルーズがあり、やはりそれは重く暗く心に響くものだ。
 一方、定型のロックンロールは、鼻祖・チャック・ベリーやリトル・リチャードのそれに見られるように、定型パターンの基本その重さを取っ払った軽いノリだけの楽しいものだ。詞の内容もリズムもすべてが軽くて速い。
 裕也さんは、そうした軽いロック、つまりロックンロールの申し子であったから、その軽さを武器に、深く何も考えずに常にあちこち動きまわったのではないか。そうしたスピードと行動力こそが内田裕也であり、よってあれだけ長く日本のロック―シーンに君臨できたのだと今こう書いて気づく。

 彼は元々は歌謡曲、ロカビリーの歌手であり、それこそ我が生まれた頃のデビューだったと記憶する。その頃のジャケットを見ると、スーツ姿にクルーカットの端正な顔立ちのいい男である。荒木一郎よりもハンサムだと思う。
 我が敬愛するムッシュかまやつさんも当時は、同様の歌謡曲の歌手であり、「三人ひろしの一人」としてやはりスーツ姿に短髪である。そして二人ともそこを出発地として、やがて海外のエレキバンド台頭に強く影響受け、日本でもGSなどのロックシーンで活躍するようになっていく。
 似たような出自で生きて来たお二人だが、かまやつさんは本当に才人であり、同じようなことをしてもその全てがカッコよかった。それはセンスであり、才能であり、人柄であり、それ故晩年まで多くの人たちに慕われ敬愛されたのだ。
 裕也さんは・・・というと、かつての仲間や手下として接してきた後輩たちは皆誰もが先に逝き、もう周りには誰もいなかったのではないか。当人も近年はだいぶ老いと衰弱が進み、目立つ奇抜な格好は相変わらずだった分、妻である希林さんの葬儀のときの姿は哀愁としか言いようがなかった。そして、希林さんが待ち望んだかのように、半年後に後を追って旅立ったのだ。

 音楽の軽さ、重さと書いたが、それはひとえに「声質」によるところが大きい。ビートルズがその初期は、単なるロックンロールバンドでしかなかったのは、あの二人のボーカル、ジョンとポールの声質が甲高くて、とても重たいブルーズは歌えなかったからだ。
 一方、もう一方の雄、ストーンズがR&Bを基調とした黒く重たいサウンドを築けたのは、ミック・ジャガーという男のソウルフルな重たい声質があったからに他ならない。我がヴァン・モリソンもそうだ。
 いみじくもそのジョン・レノンにはソロアルバムで、「ロックンロール」というのがあり、彼が愛したロックンローラーたちの楽曲を彼の甲高い声でトリビュートしている。確かレコードではそれの解説を裕也さんが書いていたと記憶する。
 内田裕也は、そのペラペラの薄っぺらい声質ゆえ、ロックンロールに殉じた人生を明るく軽やかに生きたのだと気づく。それはそれで素晴らしい己を知った生き方ではないか。そう、彼には暗さは微塵もなかった。何であれ行動すべてがロックンロールであり内田裕也であった。

 ずいぶん卑下したようなことを書いたが、我も裕也さんのアルバムは一枚だけ持っている。70年代の半ばに出たと思うが、『ユーヤ・ミーツ・サ・ベンチャーズ~ハリウッド』というレコードで、これは名盤であった。ジャケットをここに載せたいと思ったが、ウチにあるはずなのにみつからない。昔、福生でミニコミをやっていた頃、常に多くの人が出入りしてたから誰かに持ってかれたのか。今Amazonとかヤフーで検索してもヒットしない。あのベンチャーズをバックに、裕也さんは終始ノリノリで唄っている大作・快作である。

 そして最後に・・・
 彼には一曲だけ、どうしても忘れてはならない名曲がある。シングルカットもされたと思うが、『きめてやる今夜』だ。
 いま、手元にないので、クレジットは確認できないが、詞はジュリーが書いていたのかもしれない。というのは、同じ歌詞で、沢田研二版のうたがあるのだが、それはテンポも速く別メロディーでちっともよくない。内田裕也唯一のスローかつメローなバラードで、ダメでバカなロック男の心情を切々と歌っている。真に名曲、佳曲だと思う。未聴の方は検索してみてください。
 機会があらばこれから我も持ち歌として唄っていこうと思う。ほんとうに名曲だよ。

 そう、こう書いてきて、読み返して少し涙している自分に気づく。そうか、俺はユーヤさんのことが好きだったのだ。今知る遺徳である。同時代を生きてきてずっと常にそこにいた人がまた一人消えていった。