令和初の夏八月の終わりに思う2019年08月31日 23時28分14秒

★ともかく生きているだけで有難い。

 我が妹は、この北九州豪雨の中、何とか飛行機に乗れ父に会いに大分の山中から上京し昨日30日の午後帰った。28日に来て、30日までの二泊三日の慌ただしい帰京であった。
 前回来たのが、母の死んだ年、2016年の秋、納骨のとき以来だから、ちょうどまるまる三年ぶりとなる。

 久方の再会だったが、特につもる話もなく、我らはただひたすら二人がかりで家の中の掃除に専念した。
 特に、我がやらねばと思いつつ手つかずにしていたところ、掘り炬燵の中やトイレ、洗面台など隅々までたまった埃を箒で履き出し掃除機で吸い込んで綺麗にしてくれた。そうしたところは、人に頼んでやってもらうわけにいかないわけで、やはり肉親は有り難い。
 天気も悪かったのでとても庭先までは手が回らなかったが、家の中だけは、彼女が手掛けたところはずいぶんスッキリした。我の気持ちもおかげさまでリフレッシュできた。

 父も我の妹、つまり実の娘だとは認識したものの、もういまさら孫のことなど問いかけや会話もほとんどなく、ただニコニコしていただけだった。
 が、たぶんこれが生きている姿で父と会える最期の機会となるだろうし、母が死んで3年、とにもかくにも父をさらに生かせて再び「再会」させられて良かったとただ思う。

 折しもちょうど彼女が帰る日、金曜午前は、久しぶりの父のカンファレンスの日と重なっていて、早めに起きて、まず父を起こして、居間で朝食を摂らせている間、父の寝ていた簡易ベッドを折りたたんで、その部屋にスペースを拵えて、椅子を並べてケアマネの司会で施設からの担当者を招き短時間ながら面談会議が行われた。それには妹も参加した。しかもその日は、二週に一度の訪問診察、担当医の往診の日でもあり入れ替わりに医師が看護師連れて来て、慌ただしかった。

 終えて昼近くになって、慌てて近くの牛丼屋で弁当買ってきて、それで昼食として、またベッドを拵えて、布団敷きなおして、父を仮眠するよう言いつけて妹を車で立川駅まで送って行った。
 帰り際になって、父はようやく頭のスイッチが入ったようで、泣きそうな声でもう帰っちゃうの?、また来てねと、娘を抱きしめていた。

 父はこの秋で95歳となる。妹も九州に老いて病む姑を抱えている。果たしてもう一度妹が上京、父との再会はあるとはまず思えないが、母亡きあと、こうして親子三人無事会えたことはそれだけで有難いことだとつくづく思う。妹が来てくれてほんとうに有難かったしあれこれ助かった。

 我の今後の人生、特に、父亡きあと、いったいどうやって生きていくのかとか、忌憚ない苦言も言われたが、そのことはまた改めて書くとして、ともかくこうして我の今年の夏、2019年令和初の夏は終わった。
 やれやれである。身体はものすごく疲れている。が、気持ちは今、さあこれからだと秋に向けて期するところがある。がんばりたい。
 長生きも含めて、とにもかくにも皆が無事生きているだけで有難いし目出度いことだ‼

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