ご心配おかけして申し訳ない。「月刊・共謀」コンサート、12月の最期の回まで何があろうと開催していきます!2020年01月29日 00時04分54秒

★ご心配おかけしました。

 スタンダードの楽曲に『嘘は罪』というのがある。我が尊敬する、さこ大介さんも彼の巧い日本語訳で唄っている、アチラの名曲だ。
 そう、昔から、子供でも「嘘ついたらアカン!お母ちゃん怒るで!」とどやされ、嘘は罪だと教えられてきた。だからそう信じてきた。
 では、「正直は正しい」のかと考えると、逆に「正直こそ罪」ではないのかと、このところよく思う。安倍政権のように何もかも疑惑に答えず、嘘をつき続けるのはまさに「罪」、罪悪だと考えるが、正直もまたときに罪ではないのか。

 我は、このブログを始めるに際し、常々できるだけ正直に何事も包み隠さず書いていく、とモットーを綴った。そして、可能な限りそれを実践してきたつもりでいる。※むろん、あまりにあからさまに「実名」とか挙げると、逆に他者に迷惑が及ぶこともあるわけで、そのぐらいは自制自粛はしているが。

 今回、1/25日の初回となった『月刊・共謀コンサート』を終えて、翌日付でまず書いた記事の中で、疲れていたこともあって、つい愚痴めいたことを書いてしまった。
 「投げ銭」の額が今回は最低だったことと、仕方なく出演者の一部に、いくばくかの補填して「お車代」を渡したことも含め、このままでは我の経済的事情から開催が難しくなるかもと、先行きについても不安不穏なことを記してしまった。
 それをお読みになった関係者の間から、我マスダの時間的、体力的、経済的負担を誠心から案ずるメールがいくつも届いた。
 今、それらを読んで、心から申し訳なく恥じ入る気持ちでこれを記している。有難くもただただご心配おかけして本当に申し訳ない、と思う。
 そのブログ自体を消してしまおうかとも考えたが、既に多くの人に読まれてしまったわけだし、それは間違いなく書いてしまったことなのだから、某桜を見る会の招待者リストのように、慌ててシュレッダーにかけるわけにもいかない。

 言い訳にもならないが、終えてつい疲れが出たこともあって、その時感じた「不安感」をそのまま「正直に」書いてしまったのだ。このまま投げ銭の不足分を我が補填して行けば数か月で行き詰って開催不能となるかもと。
 それでおそらく当ブログ、多くの読み手の皆さんにもご批判と共に憂慮のお気持ちを抱かせてしまったのだ。
 何でも思ったことを、正直に書けば良い、というわけではなかった。それは正直でも誠実でもなく単なる愚痴であり、甘えでもあった。いま、深く恥じ入ると共に本当に愚かだったとその行為を深く悔やんでいる。関係者の皆を呆れさせた。

 そもそも自分が始めたことなのだ。まず第一回目から、投げ銭の多寡で一喜一憂していてどうするのか。先々に不安があったとしても、その時はそう感じたからといって、それを広く誰でも読める場に書いてはならなかったのだ。
 それを読まれた方々、外の人たち以前に、まず身内的仲間の人たちはやはり不安になるだろうし、どうなるのかと心配して頭を痛める。
 我の身勝手な「正直」が、結果としてそうした仲間たちの疑心に繋がるのならば、まさに正直は罪であり、嘘の方が正義ではないか。
 そう、瀕死の病人が、見舞客の前で気丈に元気そうに振舞うのも罪だと言えるのか、だ。

 「お金」のことは確かに心配事で、何事も真に長く続けていくためには、我でなくとも誰か一人が補填、負担したり、荷を背負う必要はない。ならばこれからは基本投げ銭の収益枠内で、ともかくやっていこうと決意したし、それを参加者にもご理解頂けるよう努めていくつもりでいる。
 また、今回は特に、スタッフが足りずともかく慌ただしくて、進行だけで我は頭も手もいっぱいで、「投げ銭」制だという告知すらきちんとできなかったのだ。呼びかけを失念していたのだ。そもそもの失敗はまずそこにあった。

 次回からは、何よりもまずそのことを客席に周知して、イヤミにならない程度に観客にしっかり呼びかけていこうと決意した。理解が広がれば、もう少し額も上がり、じっさいに「お車代」程度の金額は請いて出て頂いた方には支払えるかと信ずる。
 また、我マスダの身体的、時間的負担は、これは「趣味嗜好」、楽しみからやっていることなので、そのとき、準備も含めて当日までいかに大変であろうともご心配頂かなくとも大丈夫だ。自らが好きなことを企画し好きなようにやらせてもらっているのだ。こんな有難いことはない。人は楽しいことではどれほど苦労しようが死にはしない。

 ならば、結果としてうまくいかないことや、失敗したと思えることがあったとしても愚痴は言うまい。記すまい。それはしてはならなかったのだ。
 まだ先は長いのだ。そのときどき、多少の失敗もあろう。参加客が少ない時もあろう。投げ銭の額の問題も。でもそれは、本質的問題ではないし、こちらだけでなく他の状況などによっても左右される。
 ならば一喜一憂してはならないし、コクイチ記してもならないはずだ。ともかく何があろうと回を重ねて続けていくことが何よりも肝要だろう。一回やっただけで不安を覚えて、それを正直に記してはならなかったのだ。我はやはり本当のバカ、考えなしだと今さらながらまた痛感している。

 そう、先のことはわからない。マスコミが気まぐれに取り上げてくれたりしたら、突然、かけこみ亭の前に駅から行列ができるほど参加者が増えるかもしれないし、先のことはニンゲンには全くわからない。
 大事なことは、ともかく何があろうと続けていくこと。あと11回、12月の回を終えた時に、打ち上げの席で皆で呑む酒はいったいどんな味かと今から楽しみに考えて、ともかく毎月続けて行く。
 何であれ、それはできる、必ずかなう。諦めずに信じてともかく続けていけば、だ。そうだろう!?