あけましておめでとうございます!! ― 2020年01月01日 21時42分52秒
新しい年に新たな気持ちで新たに生き直していく ― 2020年01月05日 21時47分25秒
★やっと思いが定まった。
暖かく穏やかな正月だったが、いつものことだが、ともかく慌ただしく、元旦、二日と年明けてから大掃除に追われて、2日の夕方、父がショートステイから帰宅、3日に甥っ子たちが来て、やっと父を囲んでお節料理食べてひととき2020年の新年を祝えた。
そして4日は、夕方から国分寺ギ―で、初中川五郎と初館野さんのコンサートがあり、正月気分もすっ飛んでしまった。
というのも終えて五郎御大にお付き合いし、小雪吹き荒れる中、南口の中山ラビさんの店「ほんやら洞」に足伸ばして、またそこで各自赤ワイン3杯飲んでしまい、何とか終電で帰れたものの意識朦朧。毎度のことながら帰り道の記憶はほとんどない。
元日から深夜の帰宅が続いてる2020年幕開けだ。
やっと今日5日、昨日父をまた施設に送り出し不在なので、朝から溜まった洗濯ものの続きをやって、午後から今さらながら自分の年賀状デザインして一応印刷し終えた。まあ、マスダの友人知人には、「月刊・共謀」コンサートの広告フライヤーを縮小したものでお茶を濁したが。
いろいろ新年早々慌ただしく相変わらず探し物や片付けに追われているわけだが、4日の国分寺ギーでの詩人・宮尾節子さんとの出会いなど人的収穫から始まった2020年、今さらながら頑張ろうという気持ちでいる。
その他、「月刊・共謀」3月の回は、札幌から高坂一潮さんの奥さんだった方も来られるとのことで、五十嵐正史とソウルブラザーズに加えて、高坂一潮追悼の「共謀」としての色合いでやっていくことが見えてきた。
今年も慌ただしく先の予定が決まっていく。また遂次お知らせしていきたいが、その前に、少しだけ年頭におもったことなど書き足していく。
暖かく穏やかな正月だったが、いつものことだが、ともかく慌ただしく、元旦、二日と年明けてから大掃除に追われて、2日の夕方、父がショートステイから帰宅、3日に甥っ子たちが来て、やっと父を囲んでお節料理食べてひととき2020年の新年を祝えた。
そして4日は、夕方から国分寺ギ―で、初中川五郎と初館野さんのコンサートがあり、正月気分もすっ飛んでしまった。
というのも終えて五郎御大にお付き合いし、小雪吹き荒れる中、南口の中山ラビさんの店「ほんやら洞」に足伸ばして、またそこで各自赤ワイン3杯飲んでしまい、何とか終電で帰れたものの意識朦朧。毎度のことながら帰り道の記憶はほとんどない。
元日から深夜の帰宅が続いてる2020年幕開けだ。
やっと今日5日、昨日父をまた施設に送り出し不在なので、朝から溜まった洗濯ものの続きをやって、午後から今さらながら自分の年賀状デザインして一応印刷し終えた。まあ、マスダの友人知人には、「月刊・共謀」コンサートの広告フライヤーを縮小したものでお茶を濁したが。
いろいろ新年早々慌ただしく相変わらず探し物や片付けに追われているわけだが、4日の国分寺ギーでの詩人・宮尾節子さんとの出会いなど人的収穫から始まった2020年、今さらながら頑張ろうという気持ちでいる。
その他、「月刊・共謀」3月の回は、札幌から高坂一潮さんの奥さんだった方も来られるとのことで、五十嵐正史とソウルブラザーズに加えて、高坂一潮追悼の「共謀」としての色合いでやっていくことが見えてきた。
今年も慌ただしく先の予定が決まっていく。また遂次お知らせしていきたいが、その前に、少しだけ年頭におもったことなど書き足していく。
「夜空のムコウ」ではないけれど ― 2020年01月06日 20時57分18秒
★自分はどこまで真っ当に、少しはマシになっているか
と、去年暮れ頃から自問し続けていた。
私事だが、3年前の秋に母が死に、以後、一人で認知症かつ、ほとんど動けない老父を抱えて、何とかこの家での生活を維持してきた。
しかし、基本何でもきちんとできやしない、生活無能者である我は、母不在というPTSDもあって、掃除も片付けも一切ネグレクトしてしまい我が家はメチャクチャのゴミ屋敷と化してしまった。
しかし、多くの友人たちの暖かい励ましとお手伝いもあって、ようやく去年あたりから生活再建し始めて、気持ちも現状も少しは「回復」もし始めてきたと思っていた。
「うた」のデビューも、コンサートの企画なども再開して、拙宅での毎年クリスマス時候恒例の「無頼庵謝恩ライブパーティ」も去年に続いて今年も企画した。
が、どれも現実的には失態失敗の連続となり、自分ではあれからもう回復して少しは真っ当に、最悪のときは脱したと思っていただけに、その突きつけられた「実際」の事態、情けない相変わらずの現実に、大きなショックというか、憂慮と悔恨の念しか残らなかった。
何だ、少しはマシになってきていると思っていたのに、現実的には相変わらずダメのままではないかと、絶望はせずとも大きく失望した。
スマップのかつてのヒット曲に、確かスガシカオが歌詞書いたと記憶する『夜空のムコウ』という佳曲がある。
日本のポップスの世界は、愛や恋に関して、哀しみや淋しさ、そして喜びを唄ったものばかりだが、この曲は珍しく内省的な、過去をふりかえり今と対比してみて、果たしてあれから僕らは今どうなってるか、少しは良くなったのかと自問する内容で、うたとして稀有のものだと高く評価している。
大晦日の晩、というか、元旦の早朝、まだ時間的には早暁というより深夜の頃、立川から歩いて帰ってきた。
中央線も青梅線も終夜運転はしていたのだが、谷保のかけこみ亭で新年を迎えて、その後は、盟友太田三造さんと国立まで大学通りを歩いて、国立駅前の居酒屋で少しまた時間をつぶして、それぞれ中央線に乗って彼と別れた。
3時過ぎ立川にはすぐに着いたものの、自分の利用している青梅線は、次の電車の発車時刻まで一時間近くも間があった。
駅構内でそのままぼんやりその青梅線が出るまで待つか、どうするか少し迷った。気の短い我は、駅の中で一時間時間つぶすのは耐えられず、ともかく改札を出て昭島方面へと歩いて帰ることにした。
幸い風もない暖かい晩であって、荷物も軽いし、酔い覚ましに歩いて帰るのもいいかなあと思えた。一緒に降りた人たちは皆タクシー乗り場に急ぎ足で集まっていたけれど。
我は、以前、南武線の谷保からギターケースを抱えてやはり歩いて一晩かけて帰ってきたこともあり、それを思えば立川から足早に歩けば休憩なしで一時間強で帰れるのはこれまでも青梅線の終電を逃しては仕方なく徒歩で帰宅したことは何度もあってわかっていた。
その晩も、青梅線の線路沿いにただひたすら足早に帰った。が、途中で、本来我が立川から乗る予定だった電車に抜かれてしまい、当初の予定では、ほぼ同時刻には下車駅に着けるだろうという目算は狂ってしまった。結局駅前に停めた自転車でウチに着いたのは、4時半頃であった。
しかし、歩いたことと無事歩けて帰れたことに何も悔いはなかった。心地良い疲れだけがあった。※去年夏頃からの足底筋膜炎はいつしか完治した。
そしてじっと室内で夕方から留守番していた犬のベルコを連れ出し、まだ真っ暗な明け方、近くのドラッグストアの駐車場を散歩して夜空を見上げた。
山梨では毎夜ごく当たり前に見える冬の星座が、正月休みということもあってか、珍しくはっきりと、北斗七星や昴まで確認できた。東京で見たことは久しぶりだった。
そしたらどこからか、SMAPの、そのうたが頭の中に流れてきた。
あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ
全てが思うほど うまくいかないみたいだ
あれから僕達は 何かを信じてこれたのかなぁ
夜空の向うには もう明日が待っている
少しはマシになっていると、人生は良くなってきていると思い込んでいたが、実際はそうではなかった。ダメは相変わらずダメであった。
しかし、だからといって絶望して、もう諦めてここで終わらすわけにはいかない。その現実は現実として、少しでも一つでもマシに、良くなるよう努めていくしかない。
母亡きあと、誰も助けてくれないしたとえ助けてくれる人がいたとしても根本解決にはならない。この人生は自分で背負って最後まで面倒見て始末しないとならない。
そう、夜空の向うには新しい年が待っていて、今年も2020年が始まってしまった。
拙を守る、という言葉もあるが、ダメを抱えてダメ人生をどう生きていくか。その答えではないけれど、先日、詩人の宮尾節子さんのポエトリーリーディングを聴いていて、一つの示唆を受けた。
そのことも記しておきたいが、別稿で。
と、去年暮れ頃から自問し続けていた。
私事だが、3年前の秋に母が死に、以後、一人で認知症かつ、ほとんど動けない老父を抱えて、何とかこの家での生活を維持してきた。
しかし、基本何でもきちんとできやしない、生活無能者である我は、母不在というPTSDもあって、掃除も片付けも一切ネグレクトしてしまい我が家はメチャクチャのゴミ屋敷と化してしまった。
しかし、多くの友人たちの暖かい励ましとお手伝いもあって、ようやく去年あたりから生活再建し始めて、気持ちも現状も少しは「回復」もし始めてきたと思っていた。
「うた」のデビューも、コンサートの企画なども再開して、拙宅での毎年クリスマス時候恒例の「無頼庵謝恩ライブパーティ」も去年に続いて今年も企画した。
が、どれも現実的には失態失敗の連続となり、自分ではあれからもう回復して少しは真っ当に、最悪のときは脱したと思っていただけに、その突きつけられた「実際」の事態、情けない相変わらずの現実に、大きなショックというか、憂慮と悔恨の念しか残らなかった。
何だ、少しはマシになってきていると思っていたのに、現実的には相変わらずダメのままではないかと、絶望はせずとも大きく失望した。
スマップのかつてのヒット曲に、確かスガシカオが歌詞書いたと記憶する『夜空のムコウ』という佳曲がある。
日本のポップスの世界は、愛や恋に関して、哀しみや淋しさ、そして喜びを唄ったものばかりだが、この曲は珍しく内省的な、過去をふりかえり今と対比してみて、果たしてあれから僕らは今どうなってるか、少しは良くなったのかと自問する内容で、うたとして稀有のものだと高く評価している。
大晦日の晩、というか、元旦の早朝、まだ時間的には早暁というより深夜の頃、立川から歩いて帰ってきた。
中央線も青梅線も終夜運転はしていたのだが、谷保のかけこみ亭で新年を迎えて、その後は、盟友太田三造さんと国立まで大学通りを歩いて、国立駅前の居酒屋で少しまた時間をつぶして、それぞれ中央線に乗って彼と別れた。
3時過ぎ立川にはすぐに着いたものの、自分の利用している青梅線は、次の電車の発車時刻まで一時間近くも間があった。
駅構内でそのままぼんやりその青梅線が出るまで待つか、どうするか少し迷った。気の短い我は、駅の中で一時間時間つぶすのは耐えられず、ともかく改札を出て昭島方面へと歩いて帰ることにした。
幸い風もない暖かい晩であって、荷物も軽いし、酔い覚ましに歩いて帰るのもいいかなあと思えた。一緒に降りた人たちは皆タクシー乗り場に急ぎ足で集まっていたけれど。
我は、以前、南武線の谷保からギターケースを抱えてやはり歩いて一晩かけて帰ってきたこともあり、それを思えば立川から足早に歩けば休憩なしで一時間強で帰れるのはこれまでも青梅線の終電を逃しては仕方なく徒歩で帰宅したことは何度もあってわかっていた。
その晩も、青梅線の線路沿いにただひたすら足早に帰った。が、途中で、本来我が立川から乗る予定だった電車に抜かれてしまい、当初の予定では、ほぼ同時刻には下車駅に着けるだろうという目算は狂ってしまった。結局駅前に停めた自転車でウチに着いたのは、4時半頃であった。
しかし、歩いたことと無事歩けて帰れたことに何も悔いはなかった。心地良い疲れだけがあった。※去年夏頃からの足底筋膜炎はいつしか完治した。
そしてじっと室内で夕方から留守番していた犬のベルコを連れ出し、まだ真っ暗な明け方、近くのドラッグストアの駐車場を散歩して夜空を見上げた。
山梨では毎夜ごく当たり前に見える冬の星座が、正月休みということもあってか、珍しくはっきりと、北斗七星や昴まで確認できた。東京で見たことは久しぶりだった。
そしたらどこからか、SMAPの、そのうたが頭の中に流れてきた。
あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ
全てが思うほど うまくいかないみたいだ
あれから僕達は 何かを信じてこれたのかなぁ
夜空の向うには もう明日が待っている
少しはマシになっていると、人生は良くなってきていると思い込んでいたが、実際はそうではなかった。ダメは相変わらずダメであった。
しかし、だからといって絶望して、もう諦めてここで終わらすわけにはいかない。その現実は現実として、少しでも一つでもマシに、良くなるよう努めていくしかない。
母亡きあと、誰も助けてくれないしたとえ助けてくれる人がいたとしても根本解決にはならない。この人生は自分で背負って最後まで面倒見て始末しないとならない。
そう、夜空の向うには新しい年が待っていて、今年も2020年が始まってしまった。
拙を守る、という言葉もあるが、ダメを抱えてダメ人生をどう生きていくか。その答えではないけれど、先日、詩人の宮尾節子さんのポエトリーリーディングを聴いていて、一つの示唆を受けた。
そのことも記しておきたいが、別稿で。
世界は間違いなく破滅寸前だが ― 2020年01月08日 21時42分50秒
★思うところをもう少ししたら書く
イランの司令官殺害の米軍への報復攻撃と、それに応じて狂人トランプのさらなる「反撃」と、逃亡したゴーン容疑者のレバノンでの報道陣への会見、さらに相模原の福祉施設での大量殺傷事件の犯人の初公判と事件は目白押しである。
それぞれ強く思うところもあり、この場で書き記したいと願うが、トランプとゴーン氏の会見がまだなのと、相模原障害者殺傷事件の裁判の展開がまだ見えないので、勢い今は迂闊なことは書けない。
ただ、我の住む横田空域は、今は存外静かで、特別な攻撃指令はまだトランプ側から出ていないようなので、今すぐに本格的対イランへの全面戦争には至らないと予測している。※じっさい横田基地の飛行機の活発な運用状況からすぐさま「有事」はごく簡単に予測できる。
誰もが漠然と感じているように、世界は間違いなく破滅へ向かっている。それは環境問題的にもだが、それ以上に愚かなときの指導者間のつまらぬ身勝手な保身と争い、御身大事の選挙対策とかから結果として破滅へ動いていく。
そうならぬには安倍もトランプ、近隣どこそかの国も含めて、そこの国民が真に目覚めて、彼らが指導者ではこのままではまず自らの国家が、そしてこの世界全体、地球そのものが破綻、破滅してしまうと自覚していくしかない。
それにしてもトランプは毎度のこと愚かな過ちをおかした。イスラム社会とは、基本ユダヤ教と同じく、目には目を、歯には歯を、の報復社会なのである。今回の、イスラム世界の、「仕返し」がこの程度で済むならば良いが、結果として司令官の偉業と存在の価値と同等程度の「報復」は真に覚悟していたのだろうか。
そしてこの現実でもまだ中東海域に、調査を名目に自衛隊を派遣する超お気楽かつ愚かな安倍政権、日本の自衛隊は、火中に栗を拾いに行くのではなく、栗を投げに行くのだと自覚すべしだ。
その結果、何が起こるのか、だ。君子、危うきに近寄らず、とは不変の真理だと我は思う。そのことの良し悪しはともかくも、だ。
イランの司令官殺害の米軍への報復攻撃と、それに応じて狂人トランプのさらなる「反撃」と、逃亡したゴーン容疑者のレバノンでの報道陣への会見、さらに相模原の福祉施設での大量殺傷事件の犯人の初公判と事件は目白押しである。
それぞれ強く思うところもあり、この場で書き記したいと願うが、トランプとゴーン氏の会見がまだなのと、相模原障害者殺傷事件の裁判の展開がまだ見えないので、勢い今は迂闊なことは書けない。
ただ、我の住む横田空域は、今は存外静かで、特別な攻撃指令はまだトランプ側から出ていないようなので、今すぐに本格的対イランへの全面戦争には至らないと予測している。※じっさい横田基地の飛行機の活発な運用状況からすぐさま「有事」はごく簡単に予測できる。
誰もが漠然と感じているように、世界は間違いなく破滅へ向かっている。それは環境問題的にもだが、それ以上に愚かなときの指導者間のつまらぬ身勝手な保身と争い、御身大事の選挙対策とかから結果として破滅へ動いていく。
そうならぬには安倍もトランプ、近隣どこそかの国も含めて、そこの国民が真に目覚めて、彼らが指導者ではこのままではまず自らの国家が、そしてこの世界全体、地球そのものが破綻、破滅してしまうと自覚していくしかない。
それにしてもトランプは毎度のこと愚かな過ちをおかした。イスラム社会とは、基本ユダヤ教と同じく、目には目を、歯には歯を、の報復社会なのである。今回の、イスラム世界の、「仕返し」がこの程度で済むならば良いが、結果として司令官の偉業と存在の価値と同等程度の「報復」は真に覚悟していたのだろうか。
そしてこの現実でもまだ中東海域に、調査を名目に自衛隊を派遣する超お気楽かつ愚かな安倍政権、日本の自衛隊は、火中に栗を拾いに行くのではなく、栗を投げに行くのだと自覚すべしだ。
その結果、何が起こるのか、だ。君子、危うきに近寄らず、とは不変の真理だと我は思う。そのことの良し悪しはともかくも、だ。
明後日1/12日、谷保かけこみ亭「語り歌の継承」、ゲスト太田三造! ― 2020年01月10日 13時19分08秒
★館野公一と太田三造、同じ河の水を飲んだとても近しい二人での70回目の「語り歌」!!
ネイティヴ・インディアン的に言えば、館野公一と太田三造という二人のシンガーは、同じ一族に生まれ、ほぼ同じ時代を生き、同じ河の水を飲んだ、ブラザー、つまり義兄弟のように思える。
じっさい館野的に言えば「語り歌」、つまり「バラッド」と呼ばれるストーリー性のある「物語り」のうた、あるいはトピカルソングやマーダーソングという、事件や事故など時事的なことを唄ったうた等、そうした長めのうたを、若き日から何十年も唄い続けているこの二人のスタイルはとても近しいと思うのは我マスダだけではないだろう。
その二人がついに、かけこみ亭で初の顔合わせのコンサートを行う。
考えてみれば、拙宅無頼庵や我が企画したイベントでは常に同席している二人であるが、きちんと「コンサート」として企画されたことは何故か今まで一度もなかった。
ある意味、長年生き別れていた義兄弟がついに出会えたという感すら覚える。いや、お互い気づかないで付き合っていたが、実は片親が同じだったという「偶然」がやっと発覚したとでもいうべきか。
この奇跡の初顔合わせ、見逃してはならない。二人をとりもった者としても何をさておき駆けつけて応援したいと思っている。
折しもこの連続コンサートは、70回目の記念すべき節目を迎える。真に「語り歌の継承」と呼ぶのに相応しいゲストを迎えることとなった。
音楽という大河には多くの支流があり、皆その河に注いだり、またそこから別れて新たな流れをいくつもつくっている。ひとつだけははっきりしていることは、この二人は、同じか、かなり近しい川の水を飲んだということだ。高石友也や中川五郎氏も然り。それはアメリカのフォークソングという川のことだ。
我はこの人たちを羨ましく思う。遅れてきた者には訪れたとき、川の水はもうだいぶ枯れて底が見えていたのだから。
★1月12日(日)語り歌の継承vol.70@谷保かけこみ亭
館野公一 ゲスト:太田三造 17:00pm 1500円(予約1300円)
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
「これまで1、2曲しか聞いたことがなかった太田さん、先日のじみへんでまとめて聞いて驚きました。音楽的な下地も、バラッド的なスタイルも自分にとても近いのでした。すかさずゲストをお願いして今回の語り歌となりました。ご期待を!※今回は日曜の夜開催です」館野談。
ネイティヴ・インディアン的に言えば、館野公一と太田三造という二人のシンガーは、同じ一族に生まれ、ほぼ同じ時代を生き、同じ河の水を飲んだ、ブラザー、つまり義兄弟のように思える。
じっさい館野的に言えば「語り歌」、つまり「バラッド」と呼ばれるストーリー性のある「物語り」のうた、あるいはトピカルソングやマーダーソングという、事件や事故など時事的なことを唄ったうた等、そうした長めのうたを、若き日から何十年も唄い続けているこの二人のスタイルはとても近しいと思うのは我マスダだけではないだろう。
その二人がついに、かけこみ亭で初の顔合わせのコンサートを行う。
考えてみれば、拙宅無頼庵や我が企画したイベントでは常に同席している二人であるが、きちんと「コンサート」として企画されたことは何故か今まで一度もなかった。
ある意味、長年生き別れていた義兄弟がついに出会えたという感すら覚える。いや、お互い気づかないで付き合っていたが、実は片親が同じだったという「偶然」がやっと発覚したとでもいうべきか。
この奇跡の初顔合わせ、見逃してはならない。二人をとりもった者としても何をさておき駆けつけて応援したいと思っている。
折しもこの連続コンサートは、70回目の記念すべき節目を迎える。真に「語り歌の継承」と呼ぶのに相応しいゲストを迎えることとなった。
音楽という大河には多くの支流があり、皆その河に注いだり、またそこから別れて新たな流れをいくつもつくっている。ひとつだけははっきりしていることは、この二人は、同じか、かなり近しい川の水を飲んだということだ。高石友也や中川五郎氏も然り。それはアメリカのフォークソングという川のことだ。
我はこの人たちを羨ましく思う。遅れてきた者には訪れたとき、川の水はもうだいぶ枯れて底が見えていたのだから。
★1月12日(日)語り歌の継承vol.70@谷保かけこみ亭
館野公一 ゲスト:太田三造 17:00pm 1500円(予約1300円)
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
「これまで1、2曲しか聞いたことがなかった太田さん、先日のじみへんでまとめて聞いて驚きました。音楽的な下地も、バラッド的なスタイルも自分にとても近いのでした。すかさずゲストをお願いして今回の語り歌となりました。ご期待を!※今回は日曜の夜開催です」館野談。
素晴らしい才能・作品と、その表現行為について考・1 ― 2020年01月11日 07時32分05秒
★蘭は、幽林に在るも、亦た自ら芳し ではあるけれど
このところずっと考えている。すぐれた才能、作品があるとして、それを世に知らしめること、「表現行為」との関係とその難しさについて、だ。
古言に、優れた芸術は、自ずから世に知られることを希う、というのがある。まさに至言であろう。
中国には近しい諺の、桃李言わざれども、下自ら路を成す(とうりものいわざれども、したおのずからみちをなす)とか、蘭は、幽林に在るも、亦た自ら芳し(らんは、ゆうりんにあるも、またおのずからかんばし)も同様のことを説いている。
まあ、意味として、これらは主に人の徳性、儒教的に言えば、仁の高い人のことを指し、そういう人は、森の中(田舎)や陋巷にあったとしても世間の人たちがほっとかず、いつしか注目が集まり世に知られるということをたとえている。
すぐれた芸能、芸術もまた然りではないか。
例えば、かの啄木や宮沢賢治なども生前はほとんど無名であった。貧窮の中で若くして死んでしまった。昨今話題となった金子みすずもそう。が、死後になって歳月と共に残された作品にスポットがあたり、評価が高まり広く世に知られるようになって今日誰もが知る「大家」となっている。
そうした死後、残された作品からその名が高まった芸術家は内外問わずいくらでもいる。詩でも短歌でも絵画でも小説でも、その作品が「物」として作者亡きあとも「現存」していれば、真に素晴らしい、良いものならば、きちんと評価されて世に知られていくのである。
一方、芸術には、物としての「作品」にはならない種の芸術、「表現行為」としての芸術もまた存在している。
音楽の演奏や歌唱、演劇、バレエなどの演舞がそれで、芸術かどうかはともかく、落語、歌舞伎などの芸能もそこに含まれる。※詩の朗読もまた。
それらは、録画録音、保存され、記録としてメディアに流通しているが、それは上記の「物」として書かれ残された「作品」とは異なり、本来、「表現行為」そのものが無形の「作品」なのである。ゆえに「人間国宝」無形文化財という概念も生ずるわけだ。
我は、本という、物質の「芸術」に魅せられ、長くその世界にいたが、昨今は、音楽へ、しかもジャンルで言えば「フォークソング」という「うた」の世界、つまり歌唱の演奏披露というライブ演奏、「表現行為としての芸術」に関心が移行して、企画も含めてそちらに関わるようになってしまった。
そして今、様々なライブの場、コンサートで多彩なシンガーやミュージシャンと出会い、多く見聞きして思う。表現行為としての芸術は、そこに優れた「才能」、素晴らしい楽曲としての「作品」、素晴らしい「演奏」「歌唱」さえあれば、桃李もの言わざれどの諺の如く、いつしか観客は集まり世に知られていくのか、だ。
残念だがそんなことはないと今は思う。そしてそれは何故なのかずっと考えている。
そのことは、人気の有無とか、商業的に売れる、売れないということも関係している。こうしたことについて考察を進めていきたい。
このところずっと考えている。すぐれた才能、作品があるとして、それを世に知らしめること、「表現行為」との関係とその難しさについて、だ。
古言に、優れた芸術は、自ずから世に知られることを希う、というのがある。まさに至言であろう。
中国には近しい諺の、桃李言わざれども、下自ら路を成す(とうりものいわざれども、したおのずからみちをなす)とか、蘭は、幽林に在るも、亦た自ら芳し(らんは、ゆうりんにあるも、またおのずからかんばし)も同様のことを説いている。
まあ、意味として、これらは主に人の徳性、儒教的に言えば、仁の高い人のことを指し、そういう人は、森の中(田舎)や陋巷にあったとしても世間の人たちがほっとかず、いつしか注目が集まり世に知られるということをたとえている。
すぐれた芸能、芸術もまた然りではないか。
例えば、かの啄木や宮沢賢治なども生前はほとんど無名であった。貧窮の中で若くして死んでしまった。昨今話題となった金子みすずもそう。が、死後になって歳月と共に残された作品にスポットがあたり、評価が高まり広く世に知られるようになって今日誰もが知る「大家」となっている。
そうした死後、残された作品からその名が高まった芸術家は内外問わずいくらでもいる。詩でも短歌でも絵画でも小説でも、その作品が「物」として作者亡きあとも「現存」していれば、真に素晴らしい、良いものならば、きちんと評価されて世に知られていくのである。
一方、芸術には、物としての「作品」にはならない種の芸術、「表現行為」としての芸術もまた存在している。
音楽の演奏や歌唱、演劇、バレエなどの演舞がそれで、芸術かどうかはともかく、落語、歌舞伎などの芸能もそこに含まれる。※詩の朗読もまた。
それらは、録画録音、保存され、記録としてメディアに流通しているが、それは上記の「物」として書かれ残された「作品」とは異なり、本来、「表現行為」そのものが無形の「作品」なのである。ゆえに「人間国宝」無形文化財という概念も生ずるわけだ。
我は、本という、物質の「芸術」に魅せられ、長くその世界にいたが、昨今は、音楽へ、しかもジャンルで言えば「フォークソング」という「うた」の世界、つまり歌唱の演奏披露というライブ演奏、「表現行為としての芸術」に関心が移行して、企画も含めてそちらに関わるようになってしまった。
そして今、様々なライブの場、コンサートで多彩なシンガーやミュージシャンと出会い、多く見聞きして思う。表現行為としての芸術は、そこに優れた「才能」、素晴らしい楽曲としての「作品」、素晴らしい「演奏」「歌唱」さえあれば、桃李もの言わざれどの諺の如く、いつしか観客は集まり世に知られていくのか、だ。
残念だがそんなことはないと今は思う。そしてそれは何故なのかずっと考えている。
そのことは、人気の有無とか、商業的に売れる、売れないということも関係している。こうしたことについて考察を進めていきたい。
太田三造を迎えての「語り歌の継承」無事終了す ― 2020年01月12日 23時15分12秒
改めて今年1年を思う ― 2020年01月13日 09時53分32秒
★次は、1/25日の「月刊・共謀」コンサートだっ
毎度毎年のこと、年末から新年にかけては、貧乏暇なし、愚図の大忙しの言葉通り、怠けてほったらかしにしていたその一年のツケが噴出して、寝る間もその場所もないほど大騒動、大忙しとなるわけだが、この年明けは特にひどい。
22日の拙宅での来客を招いてのイベントは何とか不満足でも終えられたわけだが、その後も事後処理と正月を迎える準備、つまるところ大掃除に追われて、大晦日はかけこみ亭で過ごして立川から歩いて元日早暁帰宅。その後も片づけに追われ何とか3日になって甥っ子を迎えて形ばかりの正月を終えたと思ったとたん、翌日は国分寺のギ―で、中川五郎、館野公一、そして詩人宮尾節子さんたちのコンサートがあり、それに出向いてまた終電でへべれけになって帰宅。
そうこうしているうちに、何とか数少ない年賀状の返事だけ書き終えたと思ったらこの12日の、かけこみ亭での館野公一企画「語り歌の継承」、ゲスト太田三造となって、次は、月末土曜日25日の「月刊・共謀」コンサートが二週間後と迫って来た。
そうした対外的なこと以外でも家庭内では、父や猫のことでた新たな動きという騒動があり、いまそれを書くべきか迷っている。
ただ、昨日の、盟友太田さんが招かれた「語り歌の継承」が終わったので、やっと少しだけ一休みでき、自分のコトにようやく落ち着いて向き合えるという、ほっと一息の気分でいる。ブログも書きかけのものから「続き」を書き足してきちんと一つ一つ終わらせていく。
今年は誰にとっても多事多難のたいへんな年になると先にも書いたと思うが、我にとって特に正念場と言うべきかいよいよ「待ったなし」のときが来ていると強く感じている。
いちばんは我の老父のことで、間違いなく確実に衰弱が進んできて、百歳近い歳も歳なので、来年の正月を迎えるのは難しいだろうという「現状・現実」である。
また増えすぎた猫のことも、我が先手を打たないことにはさらにまた新たな子が産まれてゴミ屋敷が猫屋敷となり、経済的にも完全に破たんしてしまう。
真に生活再建のためには、家の片付けと同時に、そうした適切な「管理」が何よりも必要なわけで、お金がどれほどかかろうとも放擲せずにきちんと何事も向き合わねばならない。
そして父のことも、「そのとき」に備えて、突然であろうとなかろうと、あたふたまたパニックに陥ることなく、その準備と支度も計画立てて進めて行かねば、我自身が混乱、収拾できずに父を追って自滅的に死んでしまうことにもなろう。まずはその覚悟と対策である。
ともかく時間も金もなく、まだ三本脚の猫キジ子の動物病院への借金が40万あるわけで、緊縮財政もこの一年さらに切り詰めてやっていかねばならないし、毎月の「月刊・共謀」もそれはそれとして盛況、成功へと導いていくという責務もある。
ただ今は、もう先のことはあれこれ考えてもしょうがないと達観している。何が起こるかは誰もわからないのだから、よく目を開き耳をすますことはするけれど、今はもう一切合切何が起ころうと全てを赦し受け容れていこうと決意した。そう、何が起ころうと、今生きて、まだここに、こちら側にいるのならばそれだけで全て良しとしていこう!
どれほどひどいことが起きたとしても、もし今年一年、父も犬猫も含めて、我の愛する者たちがこれ以上今年も誰も死なずに生き永らえて一年を終えられたとしたら、それだけで100%満足し良しとしたい。そしてその「奇跡」をただ神に、関わる多くの人たちに感謝しよう。
ともかくもう時間もない。命は短くはかない。とことん長く深く眠りたいとか、のんびり温泉に浸かって疲れを癒したいと願えども、今年はそんな「快楽」は後回しにしてともかく頑張るしかない。
そう、待ったなしなのだ。今年は大変な年になる。
毎度毎年のこと、年末から新年にかけては、貧乏暇なし、愚図の大忙しの言葉通り、怠けてほったらかしにしていたその一年のツケが噴出して、寝る間もその場所もないほど大騒動、大忙しとなるわけだが、この年明けは特にひどい。
22日の拙宅での来客を招いてのイベントは何とか不満足でも終えられたわけだが、その後も事後処理と正月を迎える準備、つまるところ大掃除に追われて、大晦日はかけこみ亭で過ごして立川から歩いて元日早暁帰宅。その後も片づけに追われ何とか3日になって甥っ子を迎えて形ばかりの正月を終えたと思ったとたん、翌日は国分寺のギ―で、中川五郎、館野公一、そして詩人宮尾節子さんたちのコンサートがあり、それに出向いてまた終電でへべれけになって帰宅。
そうこうしているうちに、何とか数少ない年賀状の返事だけ書き終えたと思ったらこの12日の、かけこみ亭での館野公一企画「語り歌の継承」、ゲスト太田三造となって、次は、月末土曜日25日の「月刊・共謀」コンサートが二週間後と迫って来た。
そうした対外的なこと以外でも家庭内では、父や猫のことでた新たな動きという騒動があり、いまそれを書くべきか迷っている。
ただ、昨日の、盟友太田さんが招かれた「語り歌の継承」が終わったので、やっと少しだけ一休みでき、自分のコトにようやく落ち着いて向き合えるという、ほっと一息の気分でいる。ブログも書きかけのものから「続き」を書き足してきちんと一つ一つ終わらせていく。
今年は誰にとっても多事多難のたいへんな年になると先にも書いたと思うが、我にとって特に正念場と言うべきかいよいよ「待ったなし」のときが来ていると強く感じている。
いちばんは我の老父のことで、間違いなく確実に衰弱が進んできて、百歳近い歳も歳なので、来年の正月を迎えるのは難しいだろうという「現状・現実」である。
また増えすぎた猫のことも、我が先手を打たないことにはさらにまた新たな子が産まれてゴミ屋敷が猫屋敷となり、経済的にも完全に破たんしてしまう。
真に生活再建のためには、家の片付けと同時に、そうした適切な「管理」が何よりも必要なわけで、お金がどれほどかかろうとも放擲せずにきちんと何事も向き合わねばならない。
そして父のことも、「そのとき」に備えて、突然であろうとなかろうと、あたふたまたパニックに陥ることなく、その準備と支度も計画立てて進めて行かねば、我自身が混乱、収拾できずに父を追って自滅的に死んでしまうことにもなろう。まずはその覚悟と対策である。
ともかく時間も金もなく、まだ三本脚の猫キジ子の動物病院への借金が40万あるわけで、緊縮財政もこの一年さらに切り詰めてやっていかねばならないし、毎月の「月刊・共謀」もそれはそれとして盛況、成功へと導いていくという責務もある。
ただ今は、もう先のことはあれこれ考えてもしょうがないと達観している。何が起こるかは誰もわからないのだから、よく目を開き耳をすますことはするけれど、今はもう一切合切何が起ころうと全てを赦し受け容れていこうと決意した。そう、何が起ころうと、今生きて、まだここに、こちら側にいるのならばそれだけで全て良しとしていこう!
どれほどひどいことが起きたとしても、もし今年一年、父も犬猫も含めて、我の愛する者たちがこれ以上今年も誰も死なずに生き永らえて一年を終えられたとしたら、それだけで100%満足し良しとしたい。そしてその「奇跡」をただ神に、関わる多くの人たちに感謝しよう。
ともかくもう時間もない。命は短くはかない。とことん長く深く眠りたいとか、のんびり温泉に浸かって疲れを癒したいと願えども、今年はそんな「快楽」は後回しにしてともかく頑張るしかない。
そう、待ったなしなのだ。今年は大変な年になる。
「月刊・共謀」コンサート2020、4月までの開催日と出演者確定分 ― 2020年01月15日 23時19分24秒
★まだ時間的余裕あります。どなたでもお気軽にご参加を!!
谷保かけこみ亭で、今年2020年、今月1月から毎月ごと、月末の土曜もしくは日曜に一年間全12回開催予定の『護憲と反戦平和、そして真の自由と平等を求めて~人が人であるために「共謀」』コンサートの4月までの開催日と現在確定している出演者をお知らせいたします。
・1月 25日(土) 藤しんいちろう 槇篤 ペピータ えいちゃん 館野公一 ぼけまる やちむん刺激茄子 司会進行/オープニングソング マスダ昭哲※以下全回とも。
・2月 29日(土) 山口敦子 西島寛二 槇篤 館野公一 他
・3月 28日(土) 五十嵐正史とソウルブラザーズ 高坂絵理子他※故高坂一潮追悼の「共謀」です。
・4月 26日(日) 宮尾節子、奥主榮(詩人) 太田三造 他 ※ポエトリーリーディング、詩とフォークソングの「共謀」。
・5月 30~31 未定 ※「小林直樹と仲間たち」を予定中
開始時間はいずれも現時点では午後6時頃から。
参加費は、従来通りの「投げ銭」※ワンドリンクもしくはワンフードのご注文お願いします。出入り自由、飛び入り参加可能ですので、ぜひお気軽にご来場ください。
★1月25日の回は、ほぼ出演者は埋まっておりますが、まだ若干飛び入り参加の方の時間的余裕あります。お早めにお申し出ください。
また、他の回は、まだ参加枠がかなり残ってます。ぜひどなたでも同じ思いを抱き「共謀」したい方のご参加を心からお待ちしております。
問い合わせ含め詳しくは、マスダ090-8175-8479
かけこみ亭ぼけまる 迄ご連絡を。また、当ブログに連絡先などコメントとして書き込まれてもかまいません。非公開にしますのでご安心を。
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
谷保かけこみ亭で、今年2020年、今月1月から毎月ごと、月末の土曜もしくは日曜に一年間全12回開催予定の『護憲と反戦平和、そして真の自由と平等を求めて~人が人であるために「共謀」』コンサートの4月までの開催日と現在確定している出演者をお知らせいたします。
・1月 25日(土) 藤しんいちろう 槇篤 ペピータ えいちゃん 館野公一 ぼけまる やちむん刺激茄子 司会進行/オープニングソング マスダ昭哲※以下全回とも。
・2月 29日(土) 山口敦子 西島寛二 槇篤 館野公一 他
・3月 28日(土) 五十嵐正史とソウルブラザーズ 高坂絵理子他※故高坂一潮追悼の「共謀」です。
・4月 26日(日) 宮尾節子、奥主榮(詩人) 太田三造 他 ※ポエトリーリーディング、詩とフォークソングの「共謀」。
・5月 30~31 未定 ※「小林直樹と仲間たち」を予定中
開始時間はいずれも現時点では午後6時頃から。
参加費は、従来通りの「投げ銭」※ワンドリンクもしくはワンフードのご注文お願いします。出入り自由、飛び入り参加可能ですので、ぜひお気軽にご来場ください。
★1月25日の回は、ほぼ出演者は埋まっておりますが、まだ若干飛び入り参加の方の時間的余裕あります。お早めにお申し出ください。
また、他の回は、まだ参加枠がかなり残ってます。ぜひどなたでも同じ思いを抱き「共謀」したい方のご参加を心からお待ちしております。
問い合わせ含め詳しくは、マスダ090-8175-8479
かけこみ亭ぼけまる 迄ご連絡を。また、当ブログに連絡先などコメントとして書き込まれてもかまいません。非公開にしますのでご安心を。
谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
バカであろうと意思や意識が無かろうと、この世に生まれてきて生きてるのなら人は人。そこに意味と価値がある。 ― 2020年01月17日 20時12分29秒
★人の価値はただ存在だけ。そこに意味や生産性はカンケイない。
相模原市の知的障害者施設での大量殺傷事件の公判が始まっている。容疑者の元職員の男は、施設入居者を殺す段階で、まずその相手が話せて意思疎通がはかれるかとか問い、出来ない者を殺したとか報じられている。
また、被害者の遺族からは、重度の知的障害がある者だが、しっかり感情もあり意思疎通もできていたと、反応もなく生きていてもどうしようもないから殺したと嘯く容疑者に対して反論、「抗議」の声も出ているようだ。
だが、我は、そこにちょっと違和感を覚える。重度の障害ある人が、対人的に返す意識、反応、意思表示ができるとか、できないとか、その有無でもって命の価値を測ってはまさに殺人者の歪んだ論理の土俵に乗ることではないのかと。
我は思う。生き死にも含めて、この世に起こる事にはすべてそこに何らかの意味があるのだと。
ならば、そういう彼らが産まれてきたこと、生きていることこそが、大いなる意味と価値があり偉大な素晴らしいことだと我は思う。
人は真っ当に生まれてより完全な者になるべく努力していくという考え方もある。それが人生だと。間違いではない。が、実のところ、実はもともと不完全な者であり、その弱さや愚かさ、不具合を抱え認めて共に何とか助け合い共に学んでやっていくことのほうがより社会的には正しいあり方ではなかろうか。
何故なら、人は皆、やがては障害者になるからだ。我は元々人格的にも身体的にもそちら側、障害者の側にいると自覚して、それを声高に主張はしないが、世人と比べて真っ当ではないという意識で常に生きてきた。
常に自らに問うことは、どうしてこんな異常なオカシイ人間が、世間にご迷惑をかけて生きていかねば ならないのか、その意味であった。
そう、何度も書いて来たが、そもそも生活無能者なのである。人並みの、仕事も片付けも日常生活も誰もができることが自分は何一つできやしない。たぶんきちんと精神科に行けばいくつも病名はつけてくれるだろう。しかし、それが何になる!?
結果として周囲の、我と関わってくれた人たちを怒らせ傷つけ迷惑ばかりかけるならば、いっそ生まれてこないほうが、生きていないほうが世のため、人のためだと何百回も考えた。
じっさい自死を試みるような無謀なことは何度もした。が、幸いにしてこの歳まで何とか危機を乗り越え、本来とっくに死んでいて当然のようなことを何度も繰り返したのにも何故か今も有難くも生きている。
自分でも周囲の先に死んでしまった善き人たちのことを思うと不思議でならない。あんな善い人が先に逝き、何故俺のようなひどい滅茶苦茶な者が臆面なくも生かされているのかと。
そして今わかったことは、全てはそこに意味があり、生まれてきた者も含めてこの世に起こることは神のメッセージなのだと。
繰り返しになるが、障害者が何でこの世にいるか、と弟子に問われたイエスは、神の愛が現れるためだと答えている。では、神の愛とは何か、であろう。
神の愛、つまり神の国と神の義はあの世に、死んで出会えるものではない。今の世で、この現世で、それを現実の者として我々が実現できるかが問われている。その行為こそが「神の愛」なのである。そしてそれが成し得た時に、真に神の国がそこに待っているのだと。
ならばこそ、障害も含めて、不幸や様々不具合があり苦労する者がそこにいたとしたら、それを知った者は、憐れみ慈しみ手を差し伸べ、出来る限りのことをしなければならない。そう、汝の隣人として、だ。
相手に成り代わって荷を負うことはできない代わりに、善きサマリア人のごとく、大変な目に遭っている人に出会えば、そのときできるだけのことを、出会った共に生きる者として相手にすれば良い。
死後裁きにあうとか、天国があるなんて我は今は考えてないし思わない。大事なことはこの生きている人生は今だけの話であり、死後の復活があろうと裁きがあろうとなかろうと、そんなことは正直どうでもいい。我は地獄が待っていると覚悟しているが、そのときはまたその時の話。
人が人の価値を身勝手にも決めて、生き死にも含めてどうにかできるとかしようと思うこと自体、とんでもない驕った話なのだ。それは裁判員制度の裁判も含めてのこと。
人の価値は、ただそこに生まれ生き、ただ今そこに在ることで十分なのである。むろん障害者を抱える家族、ご家庭はものすごく大変だ。我自身、無価値な者として、無価値となってしまった老父を抱え共に暮らして、こんな状態になって生きている意味があるのかと常に思うことがある。何もわからなく何もできなくなって記憶さえ続かず、排尿排便さえ垂れ流しとなってただかろうじて生きている。
しかし、それこそが人間であり、それもまた人間なのである。人は誰もが若く元気な時だけではいられない。五体満足に生まれて来るとは限らない。
もし、そういう人ばかりの世の中は、逆にとてつもなく息苦しく切磋琢磨の競い合いでしかなく、生きていくのはものすごくタイヘンであろう。まるで高木ブーのいないドリフのように。
そうならないために、神は、自然は、世間的には落ちこぼれのような存在、様々な不具合のある社会的不適応者を生んだのだと我は思いたい。繰り返し言うが、どんなに美男でクレバーでも人は老いては最後には何もできなくわからなくなり立派な障害者と化するのである。我が父を見ていてつくづくそう思う。※我が父ほど若い時にハンサムだった美男に会ったことがない。
ならばこそ、健常者だけではない社会、共に明日は我が身とも考えて手を携えて皆で助け合う社会を構築するしかないではないか。
それこそが、神の愛が現れた世界であり、神の国は近いと断じてもかまわないと思う。
なにはともあれ、全ては生きている間だけのことなのだ。ならばこそ、自らも含めて誰も殺しては絶対にならないのである。
死は望まなくても誰にも必ず確実にやってくる。だからこそ誰もが今与えられている生を、とことん自信と確信持って最後の日までしっかり生きなくてはならないのである。他者の価値観や評価などくそくらえだ。
相模原市の知的障害者施設での大量殺傷事件の公判が始まっている。容疑者の元職員の男は、施設入居者を殺す段階で、まずその相手が話せて意思疎通がはかれるかとか問い、出来ない者を殺したとか報じられている。
また、被害者の遺族からは、重度の知的障害がある者だが、しっかり感情もあり意思疎通もできていたと、反応もなく生きていてもどうしようもないから殺したと嘯く容疑者に対して反論、「抗議」の声も出ているようだ。
だが、我は、そこにちょっと違和感を覚える。重度の障害ある人が、対人的に返す意識、反応、意思表示ができるとか、できないとか、その有無でもって命の価値を測ってはまさに殺人者の歪んだ論理の土俵に乗ることではないのかと。
我は思う。生き死にも含めて、この世に起こる事にはすべてそこに何らかの意味があるのだと。
ならば、そういう彼らが産まれてきたこと、生きていることこそが、大いなる意味と価値があり偉大な素晴らしいことだと我は思う。
人は真っ当に生まれてより完全な者になるべく努力していくという考え方もある。それが人生だと。間違いではない。が、実のところ、実はもともと不完全な者であり、その弱さや愚かさ、不具合を抱え認めて共に何とか助け合い共に学んでやっていくことのほうがより社会的には正しいあり方ではなかろうか。
何故なら、人は皆、やがては障害者になるからだ。我は元々人格的にも身体的にもそちら側、障害者の側にいると自覚して、それを声高に主張はしないが、世人と比べて真っ当ではないという意識で常に生きてきた。
常に自らに問うことは、どうしてこんな異常なオカシイ人間が、世間にご迷惑をかけて生きていかねば ならないのか、その意味であった。
そう、何度も書いて来たが、そもそも生活無能者なのである。人並みの、仕事も片付けも日常生活も誰もができることが自分は何一つできやしない。たぶんきちんと精神科に行けばいくつも病名はつけてくれるだろう。しかし、それが何になる!?
結果として周囲の、我と関わってくれた人たちを怒らせ傷つけ迷惑ばかりかけるならば、いっそ生まれてこないほうが、生きていないほうが世のため、人のためだと何百回も考えた。
じっさい自死を試みるような無謀なことは何度もした。が、幸いにしてこの歳まで何とか危機を乗り越え、本来とっくに死んでいて当然のようなことを何度も繰り返したのにも何故か今も有難くも生きている。
自分でも周囲の先に死んでしまった善き人たちのことを思うと不思議でならない。あんな善い人が先に逝き、何故俺のようなひどい滅茶苦茶な者が臆面なくも生かされているのかと。
そして今わかったことは、全てはそこに意味があり、生まれてきた者も含めてこの世に起こることは神のメッセージなのだと。
繰り返しになるが、障害者が何でこの世にいるか、と弟子に問われたイエスは、神の愛が現れるためだと答えている。では、神の愛とは何か、であろう。
神の愛、つまり神の国と神の義はあの世に、死んで出会えるものではない。今の世で、この現世で、それを現実の者として我々が実現できるかが問われている。その行為こそが「神の愛」なのである。そしてそれが成し得た時に、真に神の国がそこに待っているのだと。
ならばこそ、障害も含めて、不幸や様々不具合があり苦労する者がそこにいたとしたら、それを知った者は、憐れみ慈しみ手を差し伸べ、出来る限りのことをしなければならない。そう、汝の隣人として、だ。
相手に成り代わって荷を負うことはできない代わりに、善きサマリア人のごとく、大変な目に遭っている人に出会えば、そのときできるだけのことを、出会った共に生きる者として相手にすれば良い。
死後裁きにあうとか、天国があるなんて我は今は考えてないし思わない。大事なことはこの生きている人生は今だけの話であり、死後の復活があろうと裁きがあろうとなかろうと、そんなことは正直どうでもいい。我は地獄が待っていると覚悟しているが、そのときはまたその時の話。
人が人の価値を身勝手にも決めて、生き死にも含めてどうにかできるとかしようと思うこと自体、とんでもない驕った話なのだ。それは裁判員制度の裁判も含めてのこと。
人の価値は、ただそこに生まれ生き、ただ今そこに在ることで十分なのである。むろん障害者を抱える家族、ご家庭はものすごく大変だ。我自身、無価値な者として、無価値となってしまった老父を抱え共に暮らして、こんな状態になって生きている意味があるのかと常に思うことがある。何もわからなく何もできなくなって記憶さえ続かず、排尿排便さえ垂れ流しとなってただかろうじて生きている。
しかし、それこそが人間であり、それもまた人間なのである。人は誰もが若く元気な時だけではいられない。五体満足に生まれて来るとは限らない。
もし、そういう人ばかりの世の中は、逆にとてつもなく息苦しく切磋琢磨の競い合いでしかなく、生きていくのはものすごくタイヘンであろう。まるで高木ブーのいないドリフのように。
そうならないために、神は、自然は、世間的には落ちこぼれのような存在、様々な不具合のある社会的不適応者を生んだのだと我は思いたい。繰り返し言うが、どんなに美男でクレバーでも人は老いては最後には何もできなくわからなくなり立派な障害者と化するのである。我が父を見ていてつくづくそう思う。※我が父ほど若い時にハンサムだった美男に会ったことがない。
ならばこそ、健常者だけではない社会、共に明日は我が身とも考えて手を携えて皆で助け合う社会を構築するしかないではないか。
それこそが、神の愛が現れた世界であり、神の国は近いと断じてもかまわないと思う。
なにはともあれ、全ては生きている間だけのことなのだ。ならばこそ、自らも含めて誰も殺しては絶対にならないのである。
死は望まなくても誰にも必ず確実にやってくる。だからこそ誰もが今与えられている生を、とことん自信と確信持って最後の日までしっかり生きなくてはならないのである。他者の価値観や評価などくそくらえだ。
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