新しい年に新たな気持ちで新たに生き直していく ― 2020年01月05日 21時47分25秒
★やっと思いが定まった。
暖かく穏やかな正月だったが、いつものことだが、ともかく慌ただしく、元旦、二日と年明けてから大掃除に追われて、2日の夕方、父がショートステイから帰宅、3日に甥っ子たちが来て、やっと父を囲んでお節料理食べてひととき2020年の新年を祝えた。
そして4日は、夕方から国分寺ギ―で、初中川五郎と初館野さんのコンサートがあり、正月気分もすっ飛んでしまった。
というのも終えて五郎御大にお付き合いし、小雪吹き荒れる中、南口の中山ラビさんの店「ほんやら洞」に足伸ばして、またそこで各自赤ワイン3杯飲んでしまい、何とか終電で帰れたものの意識朦朧。毎度のことながら帰り道の記憶はほとんどない。
元日から深夜の帰宅が続いてる2020年幕開けだ。
やっと今日5日、昨日父をまた施設に送り出し不在なので、朝から溜まった洗濯ものの続きをやって、午後から今さらながら自分の年賀状デザインして一応印刷し終えた。まあ、マスダの友人知人には、「月刊・共謀」コンサートの広告フライヤーを縮小したものでお茶を濁したが。
いろいろ新年早々慌ただしく相変わらず探し物や片付けに追われているわけだが、4日の国分寺ギーでの詩人・宮尾節子さんとの出会いなど人的収穫から始まった2020年、今さらながら頑張ろうという気持ちでいる。
その他、「月刊・共謀」3月の回は、札幌から高坂一潮さんの奥さんだった方も来られるとのことで、五十嵐正史とソウルブラザーズに加えて、高坂一潮追悼の「共謀」としての色合いでやっていくことが見えてきた。
今年も慌ただしく先の予定が決まっていく。また遂次お知らせしていきたいが、その前に、少しだけ年頭におもったことなど書き足していく。
暖かく穏やかな正月だったが、いつものことだが、ともかく慌ただしく、元旦、二日と年明けてから大掃除に追われて、2日の夕方、父がショートステイから帰宅、3日に甥っ子たちが来て、やっと父を囲んでお節料理食べてひととき2020年の新年を祝えた。
そして4日は、夕方から国分寺ギ―で、初中川五郎と初館野さんのコンサートがあり、正月気分もすっ飛んでしまった。
というのも終えて五郎御大にお付き合いし、小雪吹き荒れる中、南口の中山ラビさんの店「ほんやら洞」に足伸ばして、またそこで各自赤ワイン3杯飲んでしまい、何とか終電で帰れたものの意識朦朧。毎度のことながら帰り道の記憶はほとんどない。
元日から深夜の帰宅が続いてる2020年幕開けだ。
やっと今日5日、昨日父をまた施設に送り出し不在なので、朝から溜まった洗濯ものの続きをやって、午後から今さらながら自分の年賀状デザインして一応印刷し終えた。まあ、マスダの友人知人には、「月刊・共謀」コンサートの広告フライヤーを縮小したものでお茶を濁したが。
いろいろ新年早々慌ただしく相変わらず探し物や片付けに追われているわけだが、4日の国分寺ギーでの詩人・宮尾節子さんとの出会いなど人的収穫から始まった2020年、今さらながら頑張ろうという気持ちでいる。
その他、「月刊・共謀」3月の回は、札幌から高坂一潮さんの奥さんだった方も来られるとのことで、五十嵐正史とソウルブラザーズに加えて、高坂一潮追悼の「共謀」としての色合いでやっていくことが見えてきた。
今年も慌ただしく先の予定が決まっていく。また遂次お知らせしていきたいが、その前に、少しだけ年頭におもったことなど書き足していく。
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