本当にただただ感謝、そしてこれからも2020年12月27日 23時51分24秒

★このコロナ禍の時代、「音楽」にできること、すべきこと

 今年1月から始めた、毎月開催予定の「月刊・共謀コンサート」、最終回を終えて昨夜は零時近くに帰って来た。
 ギターの他、荷物も多かったこともあるが、このところマイカーで出向いては、かけこみ亭のすぐ近くの時間貸し駐車場に停めている。
 車なのでアルコールは飲めないが、重たい荷物を抱えて行き来することを思えば、格段に楽で、基本何時間停めても600円なのだからもっと早くそうすれば良かった。

 帰り途、それでも慎重にハンドルを握りながら新甲州街道を走りながら思ったのは、こんな満足感、幸福感は久々だということだ。満ち足りたと言うか、何の不安も不満もない、満たされ落ち着いた気分になったのは思い出してもいつ以来か記憶にない。
 いや、コンサートを終えて、ということでは初めてではないか。
 ともかくこれで終わったのだ。この一年、全12回の予定がコロナの影響で2回中止になったけれども10回ともかく成し終えた。
 まさに感無量という月並みな言葉しか出てこない。そしてただただ有難いことだと、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 ライブイベント、コンサートの企画に関わるようになったのはいつからだろうか。少なくとも10年以上経つことはことは間違いない。
 浅草の木馬亭のようなホール会場からライブハウス、野外イベントまで、さまざまなカタチで企画側として関わって来た。が、大入りでどんなに盛況となったとしても(そんなことはまず有り得ないが)、どれほど素晴らしく熱いステージ、良い演奏が繰り広げられても、終わった後は常に必ずいくばくかの悔い、苦い思いが澱のように胸に必ず残る。
 それは大概は客の入りの問題より、自らの失態、判断ミスだったり、己のダメさに帰することばかりなのだが、結果として帰路、その苦い味を噛みしめながら重たい荷物を抱えて家へ戻るはめとなる。

 しかし今回だけは、そうした「苦いもの」、「また失敗したなあ」という悔やむ気持ちはほとんどなかった。むろん細かく振り返れば完璧、完全に満足などできやしない。でも、気心知れた音楽仲間たちとこのコロナ禍続く最中、何とか今年一年間、ほぼ毎月コンサートを開催でき、そのラストをまたもや素晴らしい仲間たちと盛況の裡に終えられただけで、もうただただ満足であった。
 ともかく我は成し得たのだ。

 誰かが言ってたが、こうした投げ銭制で多人数が出演するコンサートを毎月続けることは「共謀」ならぬ「無謀」だと、じっさい今終えて我自身そう思える。
 しかもそこに春先からのコロナの感染拡大が広がり、さらに開催は困難を極めた。2回中止余儀なくされただけでなく、再開後も観客も入れられないし出演者も呼びかけても出てくれない。
 当初は毎回ごと、その都度コンセプトを決めてシンガー、ミュージシャンたちに声かけ出演交渉していたのだが、コロナ禍ですべてが白紙となってしまった。
 それでも無観客は1回だけで、以後は、毎回数人ではあるけれど予約された理解ある熱心な観客が来てくれて、決して以前のようなフルハウスにはできないまでも店側が設けた感染拡大防止ラインを越さない程度の毎回通な観客たちを前に熱いコンサートは続けられた。まあ、常に出る側の方がお客さんより多かったが。
 今思うと、まさに共謀どころかそもそも無謀ではあったが、このタイヘンな年に全10回を終えて今、しっかり「共謀」コンサートは成し終えた、と胸が張れる。

 コロナ大流行で人々は切り離され、分断と孤立の時代となってしまった今年だが、だからこそこのコンサートで、いくらかであろうとも「共謀」と「連帯」の関係が取り戻せたと信じたい。
 この2020年は、ひどい苦難と試練の年となったと感じている人も多々おられよう。しかし、我にとっては、結果としてこのコロナ禍で、多くのことを考えさせられ、自分にとって「音楽」というものが何かやっとわかった。見えてきた。その意味で非常に成果ある、ある意味良き年となった。
 そう、「音楽」にできること、すべきこと、は何か、である。音楽家、それぞれの歌い手にとって、ではなく。

 あるシンガーにとっては、感染拡大を怖れてライブ活動は一切控えて、自宅でオンラインで配信したりYouTubeに楽曲をアップしたりしたことであろう。
 また、別なあるシンガーは、コロナ怖れるものにあらず、と声さえかかれば、どこへでも観客の多寡に関係なく精力的にライブ活動を続けたことであろう。まさに人それぞれである。。

 このコロナ流行で、当初いみじくも為政者側から語られ強いられたことは、不要不急の外出の「自粛」であった。
 それはつまるところ、コンサート、ライブ活動、寄席、映画演劇の観覧であり、野外でのスポーツイベントでさえそれに含まれた。それらに行くのは自粛せよ、というのである。そうした人が集うイベントこそ、「三密」に繋がる故に「不要不急」のものとされてしまったのだ。
 「音楽」も含めてそうした芸能・芸術活動が、そもそも不要不急のものかはともかく、感染拡大防止のためには致し方ない面もあったとは思う。
 しかし、だからこそ、それに少しでも関わる者、観客も含めて関心持つ者は、いまこの時代に「できること」「すべきこと」は何なのか自らに問わねばならないはずだ。
 それを為政者たちが言うように「不要不急」だと思う人は除くとして。

 我はその答えを見出し、それを実践、成し終えた。それこそがこの全10回の「月刊・共謀コンサート」なのだ。
 音楽にできること、すべきことはまだまだ無限にある。多くの信頼できる仲間たちに支えられ、コンサートが続けられたことで誰より無力かつ非力な我も大きな自信を得た。
 そう、「音楽」にできること、すべきことはまだいっぱいある。
 これからも「共謀コンサート」は「月刊」は終えても不定期的にでも続けていく。
 まだできる、すべきことがあると信じて。
 再開の第一弾は、来年2/28日だ。

 終わった後に常に感じる、何か忘れ物をしたのではないかと我を苛む不安感も今回は一切感じない。自分が死ぬときもこんなふうに満ち足りた、落ち着いた幸せな気持ちで死ねたらなあと思った。
 
 これが26日のライブを終えて、帰り途に車を走らせながら考えたことだ。

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