2011年の春一番・自分のしたこと考えたこと・22011年05月05日 12時15分46秒

★事実経緯だけを順を追って書いていくと

 今これを記しているのは5月5日の昼時である。大阪ではどうかわからないが東京、多摩地方はどんよりとした曇り空、先ほど小雨がぱらつき薄ら寒い。大阪から帰って二晩明けた。
昨晩は移動の高速の渋滞したバスの中だったから、ほとんど眠れず、家に帰っても午後少し仮眠とったぐらいで、慢性化していた睡眠不足は解消されていなかった。昨日は零時過ぎ倒れこむように自分のベッドに入り、気がついたら朝の8時近くだった。体の節々が痛くまさに鉛のように重い。改めてすごく疲れ無理していたんだと気がついた。もっといくらでも寝ていたいが、いろいろ状況も変わってこちらでものんびりとはしていられない。今回の事件の顛末を包み隠さずきちんと書いていく。


 世の中には本音と建前、言葉に出さないが暗黙の了解というものがあることは大人なら誰もが知っていることだ。それが理解できうまく実行できてこそ、懐の深さだと自分は考えている。
 撮影や録音を禁止された。そしてカメラや録音機材を返されて、もうやるな、と言い渡されて、正直に、いやまたします、と答える馬鹿はいないはずだ。必ずするかあるいはしないかはともかくもそのときはもうしません、と答えて約束するしかない。

 自分は昨年の秋、浅草で春一番の足元には及ばないが、やはり春一にも登場している多くのミュージシャンを招いてかなり大きなコンサートを企画した。その責任者として、出てくれたあるメジャーフォークシンガーのマネージャーからその彼が出るときは会場内で録音や撮影は禁止させてくれと言われていた。
 どうしようかと迷い考えたが、そのときは、はい、わかりましたとだけ答えてそのままほったらかしにしていた。そしたらば案の定、客席ではストロボたいての撮影や録音している観客も当然沢山でてきた。しかし、そのアーチストもマネージャーも終演後の打ち上げではご機嫌で、写真を撮られたことも何も言わなかったし、後々も何一つ問題は起きなかった。客の入りはともかくもコンサートは無事成功し皆が気分良く散会できた。

 自分にとってこれが本音と建前だと考えるし、暗黙の了解だと考えている。一応はしないよう申し入れはする、そしてこちらも極力それに応じる。しかし、21世紀の今、超小型ハイテク録音・撮影機器がいくらでも安く買えるのだから、スマップのコンサートのように、カバンの中身まで全部チェックしない限りいくらそれを観客に戒めたとしても防ぎようがない。うるさく言えば言うほどコンサートの楽しみは消え、お互いに気まずくなり結果として客足は遠のいていく。

 今年の春一番で、場内整理の若いスタッフから撮影しないでくださいと肩を叩かれたときも、はいわかりました、と答えて撮影を続けたのは、撮影禁止は建前であり、注意しないことには野放図に誰でもパチパチ撮り出すのでそうせざるえないからだと思っていた。しかし今思うとまずそのことが大きな誤認であった。彼らは今年は容赦なく本気で大目に見てくれるなんて考えていたのが甘い考えで、本気も本気であったのだ。
 自分は毎度のこと場の雰囲気が読めない馬鹿だから失敗してしまった。

2011年の春一番・自分のしたこと考えたこと・32011年05月05日 15時05分01秒

★拘束、没収そして会場内立ち入り禁止に至るまで・前

 自分がまっとうだとか非がないなんてもとより思ってもいない。おかしな馬鹿なことをずっとやってきたという自覚は自分でも持っている。

 今回のトラブル、そもそも当初から風太が、開演前にきちんと、阿部ちゃんも死んだんで、今年から写真撮影と録音は絶対禁止にします、文句はいろいろあるだろうけれど、そう決めたんやからそれが嫌な人は来んでよろしい、その上で、もし撮影したり録音している者を見つけたら機材を取上げてボコボコにして外につまみ出すとはっきりと伝えてくれていたら、自分は一切撮影も何もしなかったはずだ。そのことだけは神に誓える。
 しかし、そもそも今年からそうなっていたという認識がなかったのだから去年までと全く同じ気分で堂々と撮影しレコーダーもリュックから見えるように出して音を録っていた。

 初日はそれでも撮影を何回かスタッフの若者から注意されたものの無事に終わって、終演後ステージにいる風太に挨拶し、阿部ちゃんがいなくて大変でしょうが今年もがんばってください、がんばりましょうと笑顔で握手して別れた。
 そして二日目の昼頃だったかと思うが、誰の出番の時だか失念したが、カメラを構えていたら、また若いスタッフに肩を叩かれ、許可をとってあるのかと聞かれた。そして、名刺を渡してこれこれの者で、東京で五郎さんたちのコンサートを企画したりしているマスダだと伝えた。彼はそれを持って風太のところに行ったらしい。

 少ししたら風太が向こうからやってきて、「カメラは没収させてもらいます」、といきなりカメラを取上げて持っていってしまった。慌てて後を追い、風太さん、マスダです、もう何年も春一のことをあちこちで書いたりして宣伝したり応援してきたじゃないですか!と抗議したが、彼は一切とりあわず、嫌ならもう来ないでいい、もう応援してくれなくて結構!と控えの部屋のスタッフにカメラを渡してスタスタと楽屋に去ってしまった。
 後をさらに追おうとしたが、他のスタッフに止められて、貴方には貴方の言い分もあるだろうしわからなくもないが、このコンサートは彼のコンサートなんだからいくら言っても無駄ですよ、と諭され後で取りに来るように言われてもはやただ諦めるしかなかった。

 撮影は禁止されたがこの時点ではまだ録音はずっと回して、とりあえず取材は続けていた。しかし、誰のステージの時だったか、会場の上の方の席にアチャコさんがいたので、今日のステージでメンバーの三線奏者ベンジャミンがいないのは亡くなったからだと話していたのことが気になって伺いに行った。去年レーベルを立ち上げて自分の作ったCDを贈呈したりしてあれこれ話して席に戻ったら今回の春一に向けて買ったばかりのICレコーダーが消えてなくなっている。カバンに突き刺しておいたのにどこにもない。真っ青になった。自分が席に居なかったから誰かにかっぱらわれたのだと後悔した。

 うろたえていたところ、後の席にいたご親切なご夫婦が、実は今さっきスタッフの人が持っていったと教えてくれ、ならばと早速楽屋口に行き返してもらえるよう申し入れた。しかし、ともかくステージが終わってからまた来いと言われて引き下がるしかなかった。その後はもう落ち着いてステージを楽しめるわけがない。自分としては、コンサートが終わればすぐ返してくれるだろうと甘く考えてたがその後とんでもない事態になることになる。

 ステージは無事に2日目のこの日も終わったが、後片付けなどの用事が沢山あった。風太に声をかけようにも大忙しそうなので手が空くまで待つしかなかった。30分かそこらしてようやくほぼ会場の座席が片付き、呼ばれて楽屋奥に行った。そこでも待たされたが、ようやく風太と二人で向き合いまずは大人しくともかく詫びた。一応自分のしてきたことなども話したが、風太は全く耳を傾けず撮った写真も音もともかく全部消せやと言い、こちらは嫌です、もうしないから撮った分だけはそのままにさせてくれと双方言い合いになり風太も激高し一時殴りあいになりそうな険悪な雰囲気となった。他のスタッフが間に入り止めて、まあ、ともかく風太の言うとおりにしたほうがいいですよととりなし、風太は前も言うこときかなかった人から高いカメラを取上げて床に叩きつけたこともあるのだからと忠告してくれた。
 周りはすべて風太のスタッフだけだし、彼らに取り囲まれてさすがに自分も観念した。殴られるのはともかくも買ったばかりの機材を壊されたら本当に困ることになる。

 こうなれば仕方なく消すことに同意以外の道はない。それから一時間もかけて、一枚一枚会場の中で撮った写真かチェックされて、こちらの同意の上に前日の分も含めて撮った写真は全て消された。また音も自分でもまだ使い方がよくわからないのに、前日とその日の日付のフォルダの音も全てスタッフの一人が消した。
 そしてようやく解放となったのだが、自分の荷物、リュックの他にこの日の食べ物とか飲み物、それに出演者の一人から頂いたCDの入ったビニール袋が見当たらない。大さわぎしてデータを消す作業をしている間に他のスタッフがゴミと思ったのかどこかに持って行き片づけたらしい。食べ物はともかくもその袋には個人的私物も入っていたのでデータを消されたこと以上の損失で焦った。しかしどこ探してもみつからず、最後はゴミ捨て場かもと教えられたので、渡り階段の下のゴミの袋を一つ一つ真っ暗な中開けてみたが結局みつからなかった。まさに踏んだりけったりで、思わず大声でチクショーっと叫んでしまった。

 これは今回親しくなれた他のスタッフの人から諭されたことだが、春一番を取材し記録するために撮るのならば、そもそも事前にきちんと風太のほうに申し入れすれば許可は下りただろうし、それをしないであんなに目立つように撮影しているから当然問題になる。申し込んで堂々とやるか、ならばもっとこそこそとみつからないよううまくやるべきだと意見された。でないとせっかく撮ったのが全て消されてもったいないと。確かにその二つしか手はない。

 自分としてもそのときは確かにそうだと思いもしたが、これまでそうしなかったのは、阿部ちゃんには名を名乗り自分のことなどを開場前に話したこともあったが、風太とは東京でも会い、会えば必ず挨拶もして面識はあったとしてもさほど親しくなく、果たしてこちらを認識しているか自信がなかったことと、そのためには誰かミュージシャンを通してお願いすべきだろうし、人の手を煩わせたくなかったことなどいろいろ面倒に思えたこともあった。

 また、それ以上に自分としてはスタッフ側、関係者側に身を置くよりもあくまでも一人の観客としてこのコンサートには関わっていきたかった。スタッフの側となってしまうと、コンサートは楽しめないことは自分もまた企画に携わった者として深く思うところがあったからだ。何より自由に好き勝手に感想や意見が言えなくなってしまうだろう。

 しかし、これではもう撮影は難しい。同じことをやればまたみつかり騒ぎになる。ならばきちんと撮影許可をもらうしかない。聞くところ、それには誰か出演者から撮影許可の申請を事前にしてもらうことだそうだ。そこで旧知の中川五郎さんにお願いすることにして、明後日、3日は自由に撮影はできるようになるかと期待したのだったが・・・。※翌日の5月2日は平日で公演はなかった。

2011年の春一番・自分のしたこと考えたこと・42011年05月05日 16時32分15秒

★拘束、没収そして会場内立ち入り禁止に至るまで・後

 5月2日は憂鬱かつ不安な気分を晴らすべく京都に出て、一日友人知人と会ったりして気分転換をはかったものの、やはりその晩も深く眠れず、3日の日がやってきた。1日に引き続きこの日のことは生涯忘れることはないだろう。

 朝、西成のホテル近くの床屋で昨年来あまりに忙しくて伸ばし放題だった髪の毛をばっさり切った。憂鬱気分も少しはスッキリした。そして3日目の春一番に臨んだのだったが・・・

 10時前に改札口でこのところ親しくなった大阪のママと偶然会って会場に向かった。今年から急に規制が厳しくなったことに彼女も憤っていておそらくここに来るファンは皆同じ気持ちだろうと意見が一致し、正直励まされた思いがした。昨晩の楽屋裏では天涯孤独で、時に警察に突き出すぞ、お前のしたことは犯罪なんだとスタッフに取り囲まれ叱責され続け、さすがに落ち込んでいたのだ。

 五郎さんはまだ到着してなかったが、30分ぐらいして来て、これこれこうなのでと説明してお願いしたら快諾してくれた。
 しかし思惑が違ったのは、撮影許可は申請してくれたアーチストのステージだけで、渡されたシールは、左の肩に貼るわけだが、それも彼が出る夕方まで貼らずに、五郎さんのステージを撮り終えたらまたスタッフに返せと言う。そう指示し手配したのは2日の夜、ICレコーダーの音を全て消した男で、どうやら会場運営の責任者らしいと思えた。

 そして3日目の春一番も始まった。自分としては好きな、お世話になったフォーク系のミュージシャンが多く出る日、五郎さんの登場まで撮影すべきではなかったのだが、やはり我慢できなかった。前日のようにパチパチとカメラを構えてステージに向けることはさすがに憚れた。だので膝に抱えてロングで各ステージごとにアーチストごと一枚づつそっと隠れて撮っていた。
 まだ昼前だったのだろうか、ペーソスというこのところ人気高いコミック歌謡トリオのステージとなった。実は彼らは本業は出版関係のサラリーマンたちであり、昔自分が編集の仕事をしていたときから向こうはともかく良く知っている方たちだった。しかも今年は白夜書房のあのスエイさんがサックスでペーソスに加わっている。ならばどうしてもアップで撮りたいとカメラを持ち上げ構えた。そのとたん、両肩をつかまれ、今朝許可シールの手配した男が現れ、約束を破りましたね、外へ出てくださいともう一人のスタッフに前後を挟まれて表に連れ出されてしまった。

 そしてまたもすみません、ごめんなさい、今まで撮った分は全部消しますから、五郎さんのステージだけは知り合いのるっちゃんも出るのでどうかそれだけ撮影させてくださいと土下座して頭を下げた。しかし彼らはボケ、もう遅いわ、泣こうが死のうが約束破ったんだから、シールは取上げるし撮影もさせない、とカメラは取上げられその場でこの日撮った分をまず消された。
 あれだけもうしないといったのに嘘つきだ、お前は最低の人間だとぼろくそにけなして、こんな息子ほどの若造に頭下げて恥ずかしくないんか、頭おかしいんとちゃうか、あんた子供はいるのか、いないならそれだけは良かったな、あんたみたいな人間に育てられた子は可哀相やとまで罵倒し続けた。なんで懲りずにこんなことをやるのかと聞かれたので、昨日も風太に話したはずだと思ったが、自分が東京でやっていること、70年代の春一から来ていること、フォークソングの歴史を研究し、企画を立てたりしていることを話したが、そんなん関係ない、どうでもいいことや、それはお前の趣味だろうがと二人は全く聴く耳は持たず鼻であしらわれた。
 そして俺は、あんたのこと全く信用していないから、嘘つきのあんたは絶対また録音しているはずだと、録音していない、レコーダーは持ってきていないと言っているのに、リュックの中も全て見せろと言い出し、挙句に上着やズボンのポケットの中まで広げて見せろと言い出した。さすがにボディチェックはなかったが、チャックも開けてパンツの中まで見せろといわれたときは心底呆れ果てた。
 その執拗さはまるで公安警察の取調べか、彼らは冷徹な国家上級公務員のようだと思えてきた。目を三角にして狂ったように探しているこの男のことが不気味かつ哀れに思えてきた。少なくともこれは自分の知っている春一関係者ではないし、音楽を愛する仲間ではない。阿部ちゃんとはまったく正反対のところにいる人間だ。

 実はこの日の朝、これも偶然、前日のとき後のほうの席にいて、増坊のレコーダーがスタッフに持っていかれるところを見ていて知らせてくれたご夫婦とこの日の朝また会った。彼らはあろうことか拙ブログの読者であり、早速の記事も読んでくれていて、貴方がマスダさんだったんですねと言ってくれた。その後どうされたかと聞かれたので、録った音も全て彼らに消されてしまったことをこぼしたところ、実は私たちも録音していたので、それを後で送ってくれるとおっしゃってくれた。自分としてはおそらく他にも録音してくれている心ある方々がきっといると信じていたから録音は彼らに任せていたのである。だからこの申出は渡りに船と本当に有り難いお願いしますと深く感謝した。これこそが春一番のスピリットではないか。

 結局、レコーダーは発見できなかった彼らは、あんたはもう帰ってくれ、このまますぐに東京に帰れと言い出した。当初は金を返すからもう来ないでくれと言っていたのに、しだいに態度を変えて、あんたが来るとずっと見張っていないとならない、こうして今日も忙しいのに1時間も時間とられてしまった。お願いするから帰ってくれないかと言う。しかし、五郎さんのステージだけは何としても観たいと言っても、もう約束は破って退場させられたのだから中には入れないと言い出し、ならば明日は来てもいいかと聞くと、当初は皆が警戒しずっと見張るからとても居たたまれないぞと言っていたのが態度をさらに硬化させ、来てもあんたは問題起こすから中にはもう入れないと言い出した。

 こちらとしては、こんなやりとりを続け融通の利かない建前と本音の区別のない杓子定規な人間たちを相手にしていることが何だかもうしだいに馬鹿らしくなってきた。うんざりしどっと疲れを感じた。むろん、チケットは通し券で買ってあるのだから今日はともかく明日も来れば、入れなくはないかもしれない。その権利もあるかと思えた。しかし、入場時に中へ入れろ、入れないぞと騒ぎを起こしたくなかったし、もう全てどうでも良いように思えてきた。だから五郎さんのステージだけ外で聴いたらもう東京に帰るからというと、だったらカメラは預かっておく、終わったら取りに来いと言い、あんたのことだから木に登っても撮るかもしれないからと言ったのには感心もした。確かに俺ならそうしたかもしれない。

 チケットもこちらに返せと要求してきたのでこれは買った私物だからと断固拒否したら、持ってると誰かに譲るだろうと言い、片割れのスタッフにマジックを持ってこさせて、でっかく「入場不可」「無効」と裏表に書き込んだ。この男の執拗さには本当に感心感動さえさせられた。俺はまるでビン・ラディン級のテロリスト扱いだったのだ。会場に来ると必ず問題をしでかす要注意人物に指定されていたと後でようやく気がついた。きっとまたあの男は何か仕出かすはずだとこの日も全スタッフで目を光らせていたのである。ご苦労なこっちゃ。
 しかし、そんなに俺は悪いことをしたのだろうか。

 会場の外の裏山に登り、柵越しに五郎さんの熱演ステージに必死に耳を傾けた。この日一番素晴らしかった。ほんの少しだけ泣いた。

 今これを書きつつ思い返してみると、今回の件は風太の意向というよりもそれをさらに拡大解釈した、原理主義者たちの暴走のようにも思える。毛主席と紅衛兵のようなもので、リーダーを信奉するあまり本当に肝心なことが若いスタッフたちはわからなくなってしまっているのである。はっきり言ってマスダのようなチンケな悪党のことなど目を光らせて取り締まりに夢中にならないでもっと他にやるべきことはいくらでもあるのではないか。

 本当の敵を見失っていると思った。少なくてもこの会場に毎年遠くから足を運んでくれる客は仲間でこそあれ敵ではないはずだ。だのに、自分たちに従わないからという一点で、犯罪者と黙視し、監視し隙あらば追い出そうとしていたのだ。残念なことだが、これは自分の知っている春一番ではないし、昔の理念からは完全にかけ離れてしまっている。春一番コンサートは、去年阿部ちゃんが生きていた回まででもう終わってしまっていたのだ。
 聞くところに拠ると来年も日数を少なく三日程度にしてこのスタッフが風太を支えて続けていくのだそうだが、それは同名であっても単にフォーク系のミュージシャンが出るコンサートの一つでしかなく春一番ではない。だから自分は来ることはないし、来ても彼らのことだからまた目を光らせ大さわぎすることだろう。愚かなことだし哀しいとさえ思う。

 ただいくつか悔やむ気持ちはもちろんある。一つは大好きな五郎さんに結果として大変ご迷惑をおかけしてしまったこと。そしてこの数年間、春一番の会場で知り合い、毎年春一番で会うのを互いに楽しみにし心待ちにしていた春友仲間たちとここで会うことができなくなったことだ。
 また、きちんと彼らに最後の挨拶さえできなかった。そのことを思うと胸が痛む。

 自分にとって、そしておそらく毎年訪れる誰にとっても春一番とは演奏やステージだけではなく会場内を自由にふらつく出演者との交友、それに彼らの音楽を心より愛してきたファンの出会いと再会の場であった。それもこれも全てを含めて春一番と言うのどかな他にないユニークで自由な雰囲気を醸し出していた。今年からそれが失われたとするならば早晩これまでの観客たちも自分のように離れてしまうはずだと断言する。阿部ちゃんが生きていたなら彼にはこのことは通じるし心あるファンも同感であるに違いない。風太が果たして耳を傾けてくれるか。

 これは皮肉でもなく、春一番は今後とも長く続いていくことを心から願ってとりあえず今回の報告を終わりにしたい。

異物を拒絶、排除する思想と受容、共生の思想2011年05月05日 22時04分55秒

★イエスは言った。自ら罪なき者はこの女に石を打てと。

 今年の春一番について自ら思うことは一通り書いた。すっきりした。もう何も思い残すことはないし、増坊を捕らえて尋問し悪罵を投げつけた若者たちに対しても何一つ思うことは怒りも含めて何もない。彼らは若く真面目で全力で彼らが信ずる正義に向き合ったのに過ぎないからだ。それは良いことに違いない。

 ただ、気になるのは、春一番自体の変質というか、その主催者側の意識の変容であり、昔読んだ本の中にあった言葉を借りれば、反体制は時と共に体制へと変化し権威となるという言葉そのままに今や自らと異なる考えの者、異物を単に好き嫌いの感覚だけで排除し始めている。一個人の私物だと考えればそれもまた当然許されるだろうし、嫌なら来るなと開き直れる。だが、それを続けていけばその先には誰も後をついてくる者はないことだけは確かで、すべての運動、思想、国家的なものから小規模のグループまで同じ道筋を繰り返している。

 どんな運動でも活動でも人が集まり共に何かを成しえようとするとき、異なる人たちをどう扱うかが問題となる。それは運動や活動の足を引っ張り邪魔になるだけだから来るなとつまみだすこと、除外はたやすい。しかしそれをやっている限りそのグループに発展も拡大もないし、日本の左翼運動が衰退したのはまさにその一点に尽きる。

 これは欧米社会を見ればわかることだが、移民の問題も含めて、国家はその中に抱える異物に頭を抱えてきた。しかし、それでも仕方ないにしろ異物である外国人やマイノリティを受け入れて、共生していく道を選んだ国家のみ栄えていく。それは古代ローマの頃より歴史を見れば確かなことであり、日本のように外国人という異物を常に排斥し、ニッポンジンだけの国を未来永劫続けていこうと考えたことが今日の少子高齢化社会を招いた。このままでは日本という国は世界地図から消えていくかもしれない。

 自分、増坊は常にどんな社会、グループの中でも異物であった。しかし、阿部ちゃんが生きていた頃の春一はこんなヘンな怪しい胡散臭い男でさえもやさしく受け入れてくれた。それが共生ということだ。だからこそ自分は毎年その仲間たちに会うことを楽しみに大阪に足を運んできた。
 自らと異なる者とどう向き合い、認め受け入れ、そして共に生きるのか、大震災後の日本は改めてそのことが試されている。人は弱い。完全な人はいない。ならば自らの非も認め、異なる者を赦すこと、その寛容さこそ今求められていると考えた。

 明日からMズロースの平井君と福島県いわき市の復興音楽イベント「いわきサイコーです!!」に行っている。ブログは休みます。
 戻るのはたぶん日曜日の夜。春一を追い出された自分に出来ることは今はまずそのぐらいしかない。また報告します。