あれこれ忙しすぎて。2011年05月27日 22時31分38秒

★明日は京都の有馬敲さんとお会いして

 被災地のことなど見てきたことなどを早く報告したいと思っているのだが、雑事に追われて、落ち着いてパソコンに向かう時間がとれない。いったい今日は何日の何曜なのか。出かけて酔っぱらって家に帰って、慌てて本の発送して、また出かけて雑事に追われて時間が過ぎていく。
全てが後手後手になって、多くの皆さんにご迷惑おかけしているという後ろめたさも多々あるが、どうか何卒ご堪忍、ご容赦お願いしたい。


 明日は雑誌「詩人会議」の集いで、京都から長年私淑している詩人有馬敲さんが来られるので、不肖増坊は、かばん持ちとして日本青年館へ同行いたす機会を持った。今月中に、片付けなくてはならぬ大きなノルマも抱えている自分だが、人は一期一会であり、若者だって明日は行く末定かでない時代なのだから、齢八十を過ぎた社会派詩人とお会いできるときは常にこれが最後と思い、ならばまた貴重なお話を伺いたいと期待感が高まっている。毎度ながら師と仰ぐ方からのお心遣い有り難いと心から思う。あの「ばとこいあの会」の末席に自分もまた連なっているとの思いもある。わらわれても仕方ないが実は自分も古本屋のはしくれ以前に詩人のはしくれでありたいと思う。

 また今後のことも含め、明日が終わればきちんとできるはずだ。台風も来ているらしい。すべての憂鬱を吹き飛ばせ。

じぶんの居場所を求めて2011年05月27日 23時53分46秒

★イレギュラーな者の安住の地はあるのか。

 自分は自分なりにまっとうな、常識をもって生きているつもりなのだが、往々にして常にあちこちでトラブルを巻き起こす。それは歳と共に収まってきたかと思う気持ちもなくはなかったが、今年の春一でも大事を起こし、またもや「問題児」として世に知られることになってしまった。それがじぶんの行き方だし、裕也さんのように堂々と性懲りもなく開き直れれば良いはずだが、自分の場合、毎度の事ながらどうしていつもこう外の世界と軋轢を生むのか、自分は全く望まないのにそうした事態が常に起きてしまうことに、呆れつつ感心さえする気持ちすらある。

 かといって、まったく他人事として、鉄面皮でいられれば幸いなのだが、人よりいっそう小心で弱気な自分としては、やはり毎度のことでもくよくよあれこれ考えて「心の傷」にもなりつつある。ならばそんなバカなことを仕出かさなければと思われるだろうが、自分の場合、カバが水中で暮らしていても時折水面に上がって息するが如く、当たり前のこととしてやったまでのことで、それが何故か他者の逆鱗にふれ、激しく糾弾され全面否定されてしまう。自分はこの社会では生きていく資格はないのかと思うことは多々ある。が、なくたって生きていたってかまわない、その権利はあると今は確信もしている。何故なら世界はあんたのためにだけあるのではないからだ。そう、みんな違ってみんな良いのだから。

 自分の大好きな関西、特に大阪は、堅苦しい本音だけがまかり通る、実利だけの東京よりよっぽど自由な何でもあり、弱者、社会的落後者にとっても住みやすいパラダイスであった。昔十代の頃、東京からキセルして天王寺に出て、天王寺公園の野音でやっていた春一コンサートで、自分は自由とは何なのか初めて知った。それは友部正人が、どうして旅に出なかったんだと発禁になったアルバムで激しく歌っていたからであり、吉祥寺でのぐゎらん堂に入り浸っていたノンポリの高校生だって、ならば旅に出なくてはと急かされる思いになったからだ。

 そして幾歳月が経ち、きちんと就職も結婚もせず、ずっとずっとイレギュラーな世間的には落ちこぼれの、確信なきアウトサイダーとして、気がつけば馬齢を重ねてきた。それは自分が望んだからか、そもそもそうした世間と相容れない資質があったからなのかはわからない。ただ仕事は何やっても続かず、対社会、世間とはうまくゆかず、管理されることを嫌い、いつもいつもその組織とは外れて疎外され。結果自ら飛び出して生きてきた。

 そんな人間にとって、大阪はいつも緩やかで暖かく、行けばいつだって、まあ、いろいろあろうが、そんなんどうでもええやんか、と受け入れてこちらも肩の力を抜いてその中に飛び込み自由な気持ちになれた。だが、今年からは、その行く目的であった春一番コンサートも理由はわからないが、厳しく管理徹底され、自分の考えるこれまでの自由はなくなってしまった。金輪際二度と来るな、来たって入れない、入場不可という処分を受けた。

 自分も大人だから、来るなと拒絶され、入れろと抗うようなさらなる諍いを起こす気は毛頭ない。ただ、またしてもここもまたそうなってしまったのかと残念に寂しく思うだけだ。自分と言うイレギュラーな人間をかつてはこのコンサートは鷹揚に受け入れてくれていた。自分は何一つ変わっていなく70年代からずっとずっと同じことをしてきた。しかしそれが禁止され、注意しても守れない人間は捕縛され、外につまみ出された。それもまた時代の行く末、時の流れ、変化変質なのかとただ嘆息するのみだ。

 毎年五月の大型連休は大阪へ、服部緑地で開催される春一番コンサートへ行く、それが自分の居場所であった。それもなくなって、仕方ないことだが、行き場所がなくなったという思いもある。スタッフに頭を下げ彼らに従えばまた入れなくはないかもしれないが、行きたくない進学校に無理して行くようなものであり、自分のことだから何にせよまた問題を起こしつまみ出されるだけだ。もう彼らとは絶対に相容れない。これは向こうの問題、彼らが問題としていることなのだからこちらはどうすることもできない。

 今思うのは、自由とは求めるものではあるが、自分でも自ら作り出すものでもあるということだ。ありきたりの自由な場所へ行き、そこが自由だと安心し満足するよりも、不自由な場所ならばまず自ら自由を求めて、手に入らなくともこの場所で、まずここからそのための努力をすべきではなかったか。
 自分にとって、大阪は逃避ではなかったか。その自由が失われた今、行き場がないならないで、すべきことはあるはずだ。安住の地などそもそもあったのか。

 約束の地など実はどこにもなかった。おそらくユダヤの民に、今のイスラエルの地はさほど自由でも豊かでもなかっただろう。大切なのは聖書に記されたように追い求め信じて願い求めることではなかったか。今自分は自分の神と約束された真に自由な場所を求めて残りの生を全うしたいと願う。

 自分はこれでも常にまっとうで常識あるつもりだ。しかし、世間はそう受け入れてはくれない。いつも爪弾きにされてしまう。いったい何がいけないのか。自分はそもそもまっとうではないのか。どこか狂っているのか。ふと水木しげる先生の描く、妖怪百目の子が人間の学校に通っているような思いがする。※(マンガ『悪魔くん』のエピソード)

 いや、若いときはそんな風に嘆き悩んだこともあったが、もはや今は何も思わない。人からどんなに否定され排斥されたってかまわない。彼らの目に映る自分もまた真実なのであろう。だが、自分はここにいる。心はここにある。今の自分には別な価値観、もっともっと大切にしている思いがある。世間には絶対合わせない。無理して合わしたりすれば、自分は死んでしまう。生きていてもそれは自分ではない。

 本当の居場所はどこにあるか。まず自らでその居心地の良い場所を作っていく。きっとそれは同じくこの世で不自由な居心地の悪い思いをしてきた人にとってちょっとは居心地の良い場所となるかもしれない。もう青い鳥は追い求めない。約束の地などこの世にはない。自由などどこにもない。あるとしたらこのこの心の中だけだ。今ようやくわかった。