ようやく今年も5月18日が終わった。2011年05月18日 23時20分20秒

★またあらたな一年が今日から続いていく。

 ごくごく個人的な話を書く。初めて来た方はどうか読まないでもらいたい。

 人にはそれぞれ個々の記念日というものがあるかと思う。亡くなった人の命日とか、夫婦が結婚した日、最愛の人が生まれた日など様々な記念の日があるはずだ。
 自分にとって、記念日以前に、一年で一度どうしても忘れることのできない問題の日というのがある。それは5月の18日で、ゴールデンウィークが過ぎその日が近づいてくると毎年気分は憂鬱と言うか重苦しくなってしまう。

 こんなことブログで書くのも憚れるが、先のブログでも公開したことなので、包み隠す必要もないかと考え書くが、5月18日は、自分の仕出かした殺人未遂の事故の日であり、被害者である相手方の家に出向き、とにもかくにもまずは型通りであるが謝罪に行く日なのである。

 今から3年前の日曜日5月18日、自分はごく近所で、車で女児をはねるという交通事故を起こした。その子、被害者は数日間は意識も戻らず、生死の境をさまようほどの重態であったが、幸いにして無事回復され、今ではほぼ元通りに、普通に日常生活が送れるようになった。
 しかし、完全に何もなかったこと、事故の前に戻れるわけではなく、頭の大手術をしたので今も薬を飲み続けているし、いつ後遺障害が出るかわからないと医師の診断が出ているそうだ。

 こちらの過失ではあるが、相手方が飛び出してきたという条件もあり幸いにして刑事事件として立件はされず、自分は犯罪には問われなかったのであるが、自らの気持ちとしては人殺しの一歩手前で何とか留まったという思いを今も抱えている。じっさいのところ過失とはいえ殺人者になっていた可能性は限りなく高かった。「人殺し」として世間から後ろ指をさされて生きていく人生はどんなものであろうか。今も深夜等にふと考え込むことがままある。

 その子のためにはどんなことでも全財産、全人生を捨てて償う気持ちで今もいるが、間に保険会社が入り、治療費も含めて事故に関する交渉は一切会社が担当し相手方と話を進めてくれている。しかし3年が過ぎた今でも示談には至らず、向こうの家族としてはこちら側、加害者としての自分を赦してくれていない。いまも敵視されているように感じる。
 そのような流れの中で、我が家の近くのことでもあり、隣近所としてその被害者宅の人たちと日常的に日々顔を合わせたりする気苦労はいくらかでもご推察願えるかと思う。

 今年もその日が近づいて、ともかく菓子類の包みを抱えて被害者宅へ出向いた。正直行くのは気持ちがしんどい。以前は罵声を浴びせられたこともあるし、常に丁重に見舞いの品を返されたことばかりであった。しかし、行かなければ行かないで、その日を忘れてしまっていることととられもしよう。5月の18日に訪ねることこそがこちら側が出来るともかくせめての誠意の証なのである。
 
 今年も女の子の様子を伺い、改めてお詫びしたが、やはり菓子折りは受け取ってもらえなかった。しかし、今は気持ちはほっとしている。先のことはどうなるか見当もつかないが、一応今年の5月18日は終わった。勝手な気持ちかもしれないが、事故のことを今も決して忘れていないという思いを相手方に伝えられた。これでまた来年の5月18日まで事故のことから離れることができる。
 嘘偽りなく気持ちとして被害者のために自ら何かできることがあればと心から願う。だが、今の関係として声すらかけられない。ならば、憎き加害者として、その家族方から忌み嫌われることが自分の役割なんだと思うしかない。春一にしろどこにせよそうした役割は誰かが引き受けなくてはならない。安心、安定、結束のためには敵が必要なのだから。それは仕方ないことだと今は思う。それが彼らにとって自分の存在価値なのだとして。ならばその役割に喜んで甘んじよう。