旅は終わりまた始まる2011年05月09日 00時20分07秒

★ここからまた新たな旅が始まる

 予定より早く福島県いわき市を早朝の高速バスで帰ってきた。
 一日が朝から有効に使えたはずだが、大阪から帰ってきてから休みなしだったのと出かけてばかりで家の用事が溜まってしまったので、天気も良かったので洗濯やら旅行の後片付け、掃除やらに追われそして間を縫い午前も午後も断続的に仮眠したりして夕暮れになってしまった。少しは疲労感はとれたか。

 さてこれから先の大阪行のも含めて向こうでのこと、コンサートの詳細を報告していくわけだが、さすがにまだ疲れがとれず、頭の芯が痺れたように痛くぼおっとして体はふらふら揺れているような気分だ。そして体中の節々が痛い。申し訳ないがすぐにはまだとりかかれない。

 しかし気持ちは高ぶり興奮気味でもある。久方ぶりに心はすごく燃えている。福島に行って元気をもらってきた。あのまま大阪での痛手を抱えたまま家にいたら、やはり思い返してはまた気持ちは萎え鬱々としてきていたはずだ。気にはしていないつもりでも他人から悪罵を投げつけられてまったく何も動じないほど自分は強くない。向けられた悪意や敵意はこちらの心を害虫のように蝕む。いわきに出かけて沢山の暖かい善意の人たちとお会いでき救われた思いでいる。

 さて、まず「報告記」を書き出す前に、このところの失態と呼ぶべき自らしでかした騒動により多くの方々、友人知人にご心配頂いた。迷惑をおかけしたとも思う。某ベテランシンガー曰く、「春一を敵に回した男」(苦笑)として自分はあちこちで今話題となっているそうなので、まさに不徳の致すところだと恥じ入るしかない。お騒がせしご心配おかけしたことをまず皆様に深く心からお詫びしたい。本当に恥ずかしいなー。

 しかし自分は今もしたことに悔いはない。それはうまくやれば問題なかったとか大人しくしていればとかの次元以前に、今年はたとえ無事に乗り切れても自分が感じている春一に対する違和感や不満感は年々高まりもはや払拭できるレベルではなくなり早晩やはり似たような形で爆発していたことであろう。敬愛するミュージシャンたちの素晴らしいステージは今後も沢山あり得るし正直もはや見れないことは残念に思うが、不快感を堪えまでして毎年大阪に長期間出かけ時間と金銭と労力を費やすのは馬鹿らしい。そう、風太曰く、いやな奴、文句のある奴は来んでええ、のだから。

 もはや往年の自由がなくなってしまった主催者の私物化コンサート「風太一番」に別れを告げ、自分はまた春一の原点的な音楽の自由を求め探るようなコンサートを追い求めて全国を旅しようと決意した。

 日本は広いしまだまだ自分の知らない聞いたことのない凄くユニークなミュージシャンがたくさんいることを今回のいわきのイベントで痛感した。それは大阪の緑地公園の閉ざされた野音の中にいるだけではまず出会えないし知りえない。
 今だから言うが、自分は風太という人の耳を近年ずっと疑っていた。彼の企画者、舞台監督、イベンターとしての腕や感覚は高く買うし大いに敬服しているが、自分の耳に合う音楽は感覚が近かった阿部ちゃんがいない今は、待っていてももう望めない。ならば好きな音は自ら追い求めて探していくしかない。いきつけの店でもコックが変われば味も変わり客層も客足も変わっていく。それは当然の流れだ。

 高田渡の死をきっかけに始まった自分にとっての音楽をめぐる一つの旅はようやくここでいったん終わった思いがしている。そして福島県いわきの復興支援コンサート「いわきサイコーです!」からまた新たな次の旅が始まった。
 
 地方に行くことは家族のこともあり実際なかなか難しい。しかし、春一で一週間も家を空けることを思えば二泊三日程度なら何とかなることを今回確認できた。むろん親たちの体調も大きく関係してくるが、留守の間のことはうまく調整して同じ思いを抱く友人が企画したコンサートを回っていきたい。そうした情報もお寄せ頂きたい。大いに宣伝告知に務めます。