有馬さんとぼく2011年05月29日 23時57分56秒

★老詩人と雨の外苑を歩いて

 このところ出かけて人と会いあれこれ話して気分が昂揚しての帰り道、電車のなかなどで「うた」ができる。

 それは歌詞、つまり詩だけのときもあるが、大概はメロディーを伴い「うた」の形を成して出てくる。家に戻り忘れないうちに慌ててギターでコードをつけ、手元のカセットレコーダーに向かってとりあえず録音しておく。そうしてできた「うた」が何曲も溜まってきた。むろん、人に聞かせようとか人前で歌うために作るわけではない。ごく自然にふと、まず言葉、短いフレーズが思い浮かび、それにメロディーが付いてしだいに唄としての形を成してくるだけのことだ。

 おそらく人と会い話すことで、刺激を受けコーフンしているからこの身の内にある、何かがまさに沸いてきて湧き出るように自然にうたが出来る。
 いつからそうなったかと考えてみると、2年前になるのか、新宿で有馬敲氏さんと初めてお会いし、一緒に歌舞伎町を散策してからだ。そのときのことは帰った晩にすぐにうたになった。タイトルは「有馬さんとぼく」といい、ごく簡単なG→C→D7の循環コードからなる単純な曲で、あとから友部正人の「田中さんとぼく」という曲のパクリだと気がついたが、曲としては別のものだ。
 昔、高校時代からフォークやロックに親しみ、自らもギターを手にし多少の音楽活動を学生時代はやっていた。そして当然のことオリジナル曲も作ったり自分でもコンサートで歌ったことはあったが、この近年は他のシンガーの人たちを観たり応援したりコンサートを企画したりブッキングが自分の役割だと思い一フォークソングファンとしての関わりを持ってきた。
 しかし見ているうちに近年また再びギターやハーモニカなど楽器を手にするようにもなったし、自分では歌わないが、曲作りをはじめるようになってもきた。そのきっかけとなったのは、有馬さんとの出会いで、その晩のうちにスラスラと先の詩と曲がいっぺんに出来、以来、彼のみならず人と会い良い刺激を受けるとその日のうちに最低1曲は「うた」が生まれるようになってきた。それはきっと良いことなんだと思う。

 老詩人は会うと、いつもこちらに厳しいが温和な目で、「それで、あんたは何ができるんか」と問いかける。ぼくはいつもしどろもどろで、ええ、まあいろいろやりたいこともあるんですが、何だかあれこれ忙しくて、と言い訳する。そして下向いてうつむいて恥じ入るばかりだった。
 自らのできることをきちんと形にして発表しろと急かされている。自分でもこのまま様々な理由をつけて締め切りを先延ばしにできないしすべきではないと強く思う。自分はいったい何がやりたいのか、何ができるのか。

 書くことはいくらでもできるし、それは苦労も苦痛も伴わない。うたもいくらでも出てくるしこれからだって作れる自信がある。ただ、それがきちんとしたものとして、形になって、人前で披露すること、つまり表現を考えると気が重くなる。人様にお見せし聴いて頂くほどのものになっているのかと自問する。またその技術についても未熟さを誰より感じている。ただ、いちばんやりたいことは「うた」なんだとわかっている。自分の中から湧き出るものをできるだけうまくまとめて整理してカタチにできたらと願う。それを表現したい。

 有馬さんの問いかけにきちんと前を向いてはっきり答えられるよう
与えられた「宿題」をしっかりこなしていきたい。