有馬敲さんに誘われ「詩人会議」のイベントに参加して2011年05月28日 23時46分11秒

★詩神に導かれて新たな出会いが

 雨の土曜日、京都の詩人・有馬敲氏に誘われて詩誌「詩人会議」の総会と授賞式とその後の懇親会にも参加してきた。とても有意義な出会いであった。その報告をすこし。

 有馬さんとは先年、オフノートが企画したゴールデン街劇場での関西フォークを回顧する催しで出会って以来懇意にして頂いている。昨秋は東京両国フォークロアセンターで、フォークシンガー岡大介らと全詩集刊行を記念して詩の朗読とフォークコンサートを企画できたし、こちらが京都に行けばご挨拶に伺い、彼が東京に来られるときはカバン持ちとして同行する間柄となった。今日もかねてよりそのお知らせがあり、昨秋以来お会いできるのを心待ちにしていたのだ。

 有馬さんが今回来られたのは、詩誌「詩人会議」の新人賞、評論部門に田中茂二郎という人の『有馬敲論 ことばの穴を掘りつづける』が入選し書き手とも旧知の関係でもあられたのでその授賞式の出席が目的であった。
 群れることを好まず詩壇とも距離を置く有馬さんであったが、「詩人会議」とは以前より特別会友として関係が深く、まして新人賞受賞作が彼のことを論じた評論だったこともあり、今回の参加となったようだ。

 会場は日本青年館の一室で、自分は信濃町から歩いてその集いのあるフロアに向かった。ちょうど会員方々による総会の最中でもあり、運営に関して会議中で熱い討論がさかんに交わされていた。まさに詩人会議だなあと思った。
 受付で有馬さんを呼び出してもらい一階の喫茶店に降りて近況報告など雑談を交わして再び会場に戻り自分もまた受付で名札をもらい懇親会にも参加することとなった。

 有馬さんからさっそく出たばかりの今月号の「詩人会議」誌を頂き、田中氏が書かれた『有馬敲論』を総会の間に熟読した。決して長文ではないが、過不足なく実にこの詩人の足跡を丹念に調べ追いかけ仕事を掘り下げていることにまず感心した。有馬敲は高田渡のうた「値上げ」の詩人として世に知られてはいるものの、残念かつ不当なことに詩壇での扱いは決して高くはないのではと思っていた。彼に関して個々の評論は多くあるはずだが、知る限り今年傘寿を迎えるこの詩人の全仕事についてその全体像を描いた評伝、評論はなかったはずだ。それがようやく今回、田中茂二郎氏によって、有馬敲論が書かれ世に出たことをまず心から喜びたい。

 この老詩人の仕事は非常に多岐にわたり、「値上げ」、つまり原題「変化」など初期のコミカルな世相風刺詩だけにとどまらず、オーラル派として詩朗読の活動、さらには海外の詩人との幅広い交友と遠征、近年の生活語詩運動と老いてなお抜群の行動力で多彩な活躍を続けている。その上に未踏社から出している叢書『有馬敲集』もついに第20巻を超えた。この叢書は彼の若き日の日記から発表された詩、評論、小説に至るまで全仕事を自身がまとめあげ再編して出しているもので詩文学史のみならず現代史の資料としてもとても面白く貴重なものである。今や有馬敲の活動は存在そのものが全体詩人であり、刺激的かつとても示唆に富んでいる。こんな八十歳は知る限りいない。
 詩というものが言葉で人の心に風穴をあけるものだとしたら、今や彼の存在自体が詩になっている。会えばいつも良い衝撃を受ける。そんな素晴らしい方とお近づきになれたことを光栄に思うし、会うといつもその後は興奮し、拙いながらも詩や音楽が自分の中からも次々と湧き上がってくるのである。

 今回、歴史ある第45回詩人会議新人賞の評論部門に入選された三重の田中茂二郎氏とも親しく言葉を交わす機会を持つことができた。彼も昔からのフォークソング好きで、なかでも高田渡ファンとのことで意気投合してあれこれ話も大いに弾んだ。また他にも作詞活動を続けているグループの方との出会いもあり、新たな世界がまたここから広がった日となった。秋村宏、土井大介氏ら名だたる詩人方々を知る機会ともなった。
 授賞式が終わり宴はまだまだ続いていたが、中途で会場を抜け出し、小雨そぼふる外苑を有馬さんと足早に歩き信濃町に向かった。水道橋まで電車に乗って後楽園前、外堀通りに面したビジネスホテルに有馬さんを送り自分の役目は終わった。道中たくさんの貴重なお話は怠け者の若輩を十二分に叱咤激励してくれた。

 大型連休に関西で受けた心の傷は、京都の老詩人と過ごす時間のうちにやんわりと癒された。もう過ぎたことはどうでもよい。自分にできる自分にしかできないことをしっかり寸暇を惜しんでやっていこうと誓った。