新しい時代に新しき人と2011年05月24日 23時55分39秒

★どうやら腰痛再発

 ちょっとご心配おかけしてすみません。

 この数日、雨の日が続き寒かったこともあるのだろうけれど、腰を中心に背中まで痛くだるくて足も上がらず歩くことすら難儀していた。起きているのがつらい。
 じっさい今日もまだ体調戻らず、ようやくだがわかってきたことは、これは大騒ぎした先のギックリ腰と近しい痛みで、どうやらこの前みたいな突発性激痛はないものの、慢性的な鈍痛、痺れ感から判断するに軽度のギックリ腰、つまり腰痛を患ったということのようだ。今腰にサポーター巻いて暖かくして凌いでいる。
 まあ、これも一つのメッセージ、休養を求める体からの信号なのだと思えるし、病気になるときは病気になるのが得策であり方便だと先人の教えもあるので、無理せずじっと期がすぎるのを待つしかない。

 いろんなことが滞り、先も見えず焦り迷う気持ちも正直強いのだが、時が過ぎていくことは決して悪いことではない。何もできないまま日々過ぎて徒に老いていくという焦りや苛立ちもなくはないが、自分のような過ちや失態失敗ばかり起こす人間には時が解決してくれるという面での喜びもまたある。どんな苦い事件や失敗もやがては笑い話として語らえるはずだ。
 だらだらでぐずぐずであろうと老親や老犬たちもまだ生きているし、大変な時代であるが、ともかくこともなく皆が一日でも長く生き時が過ぎていくことを願うだけだ。

 自分はもう古い時代の老残、老醜の古い者の仲間だと思うこの頃だが、大震災後の新しい価値観の時代に新しく目覚めた人たちと今こそ共に何か新しいことをやってみたいと今強く願う。見かけは老いたが、今だって気持ちは十代のままであり、裕也さんよりよっぽどロックしている自負もある。だいたい蓮舫みたいな女を持ち上げ、公開仕分けに通うなんてどこがロックンローラーなんだろうか。
 もう昔の若者たち、戦争を知らない子供たちと付き合うのはやめにしたい。彼らはいつしか動脈硬化を起こし保守保身と化してしまった。ならばこそ自分が期待するのは、大震災を体験した震災後を生きる若者たちである。今にして思えばそもそも「戦争を知らない」ということ自体が彼らの甘さ甘えであったのだ。
 戦災に匹敵する大災害に遭遇し大変な時代を生きていく今の若者たちを心から応援したい。