山本太郎と田中正造2013年11月01日 09時49分55秒

★太郎よ、何故に天皇に直訴するのか訝しむ アクセスランキング: 163位

 あまりテレビ、新聞などのマスコミなどでは取り上げていないようだが、ネットでは今ちょっとした騒動になっている山本太郎参院議員の昨日の園遊会での天皇への手紙直接手渡し「事件」について思うところを書く。

 そのニュースを知ったときすぐに思い浮かんだのは日本の公害闘争の原点、谷中村鉱毒事件で知られる義人田中正造による天皇陛下直訴の一件だ。近代史に少しでも関心ある方なら誰もがすぐに思い出すであろう。

 足尾銅山の精錬所から排出された鉱毒が、渡良瀬川下流の流域、谷中村まで及び、田畑は枯れ人々はその被害に苦しんでいた。が、農民がいくら訴えても行政は動かない。見かねた元代議士田中正造は、天皇が帝国議会開院式から帰る折、その惨状を記した直訴文を明治天皇に手渡すべく沿道の人込みから飛び出し天皇の乗った馬車に駆け寄った。
 結局警護の警官らに捕縛され、正造の直訴文は天皇の元には届かなかったが、その不敬罪に相当する我が身を捨てた無謀な行動は当時のマスコミにも大きく報じられ、谷中村の問題は世間の耳目を集めこの日本初の公害事件は大きな政治問題となっていく。ちなみにその文章を書いたのは名文家としても知られていた幸徳秋水であった。

 そして山本太郎もフクシマの原発労働者の悲惨な実態と福島の現実を知ってほしいと天皇へ訴えるべく直接それを記した手紙を手渡したのである。おそらく彼の頭には先人正造翁の「直訴事件」があったのかもしれない。
 しかし、当時と今は政治の状況も権力構造も全く異なる。戦前は天皇陛下こそが国の最高統治者であり、まさに最高位の権力者であった。正造は国会という機構が谷中村の問題に関して何も動かないならばもはや手はなく、天皇に直接この問題を訴えるしかないと考えたのだろう。世の注目を集めるためにもそれしかないと。
 だが今は、そうではない。天皇には政治に対して一切の権限はないし、私的発言すらゆるされていない。天皇および天皇家一族は現行憲法上、まさに日本の「象徴」でしかなく、直接国政、つまり政治問題にはタッチしないし関われない。ならば、何故その天皇に原発問題を訴えるのであろうか。その発想自体が不思議であり訝しく思う。

 それが仮にマスコミの話題になりフクシマの原発事故の現状を世に知らしめる機会になればと考えてのパフォーマンスだとしたら噴飯ものであろう。なぜなら彼はもはや一市民ではなく、民意を託された参議院議員なのだから国会の場で堂々とそのことを公に訴えれば良い話ではないか。また、他の同調する会派に働きかけて何らかの改善のための立法を国会の場に出せばよい。そこに天皇は必要ない。どのような大義があろうともその目的のために天皇を利用すべきではない。

 これを書いている自分、マス坊は批判もされるかもしれないが、現在の天皇ご夫婦に深い敬愛の念を抱いている。日本国民である以前に一個人として彼らに対して深いシンパシーと関心を抱いている。何故なら今の天皇方はとてもリベラルなお考えの持ち主で、戦後民主主義の理念を自ら体現されていると考える。さらに美智子さん共々慈愛にあふれた人としてとてもご立派な素晴らしい方々だと深く思慕している。お体の具合も気にかかる。

 天皇制なるものや、今の天皇家のありかたや、皇室の役割については大いに疑問はある。もっと彼らは一個人、人間として自由に扱われるべきだと深く考えるが今ここではふれない。今の天皇家には基本的人権もプライバシーも存在していないとだけ記しておく。
 ただ、たとえリベラルなお考えの方だとしても天皇の口からフクシマの問題をどうのこうのしろとは言えないし、言うべきではない。天皇が政治に関与するようなことはあってもさせても絶対にならない。一度でもそうした先例を作れば、今の天皇ではない次の代にでもまた大元帥としてときの権力に政治利用される先鞭をつけることにもなろう。今回の騒動は天皇ご夫妻のお心を痛めるだけだ。

 山本太郎よ、頭を冷やせ、目を覚ませ。もう目立ってなんぼの芸能人ではないのである。国民、都民から信任され思いを託された国会議員なのだ。ならばその行動と発言は深くよく考えてから行え。このままでは彼を支持支援してきた者からも呆れ果て愛想つかされるだろう。彼のとりまきには、「平成の田中正造」だと彼の行為を評価する者たちもいるようだが、自分はまったく同調できない。そうした熱い強い思いがあるとしてもこうした場を利用し天皇に向けるべきものではないと信ずる。また、こうしたスタンドプレーは広く批判され彼の議員活動の妨げや足枷になるだけで損失の方が大きいのではないか。彼の孤立を深める結果にしかならない。

 天皇に頼る前にまず自らすべきこと、できることをしていくしかない。まだ彼は政治家として何もやっていないではないか。なぜにこんな愚かなパフォーマンスをしでかすのか訝しむ気持ちでこれを書いた。彼には期待していただけにまったく残念だ。
 母方の祖母の出自の地、旧谷中村の末裔としても複雑な気持ちでいる。正造翁の業績は今も高く評価され褪せることはないが翁の時代とは今は異なる。原発問題にどれほどの思いがあろうとも天皇に直訴とは時代錯誤も甚だしい。