「戦争」体験と秘密保護法2013年11月23日 08時07分22秒

★今の若い人たちが何故に無関心なのか。 アクセスランキング: 272位

 戦争を知っているかと訊かれたらむろんのこと戦争は知らない。戦争の時代には当然生まれていない。
 しかし自分が生まれた昭和30年代前半、西暦でいえば1950年代後半はまだ戦争の影が町のあちこちに色濃く残っていた。生活が貧しいとかの以前に、戦争遺構と呼ぶようなものがまだたくさんあった。
 生まれた高円寺の家には空襲で焼け残った廃材で親父が拵えたバラックが残っていたし、越してきたこの西多摩の町は軍事産業で栄えたところだったのでその工場跡には置き去りにされた錆びついた戦車もあったし、ともかくあちこちに戦争の遺跡、その名残の道具が点在していた。

 また、親たちからは常日頃から耳にタコができるほど戦中戦後の話、特に食べ物がなく苦労したこととか、母は疎開世代ではないが疎開の話、いかに戦争で皆が苦労したかさんざん聞かされて育った。不思議なのは父からは軍隊の話、戦地でのことはほとんど訊かされていないことだが。推測だが、それは自ら進んで語りたくない記憶なのであろう。

 そんなわけで実体験ではないが自分は戦争を知っている。戦争そのものではないが、戦争の時代とはタイヘンなのははっきり認識している。それは後に様々な戦時記録文学も読んだし、邦画でもさんざん軍隊と戦争は良くも悪くも描かれていた。
 だから戦争とは人と人との殺し合いであり、兵士を送り出した銃後の側もまた辛く苦しい日々を送らねばならないことだと知っている。それはゲームの中でのモンスターをハンティングするような手に汗握るが楽しく面白いものではない。過酷で熾烈で忍耐をすべての国民に強制するものだと認識している。
 明るく楽しい愉快な戦争などあるはずないし、勝っても負けてもそれなりの負担と損失は必ず求められる。

 様々な自然災害は大地震にしろそれの大津波にしろ台風、水害、竜巻にしろ大きな人的物的被害をもたらすが、戦争もまた同様であり、自然の起こすことならば仕方ないと諦めもつこうが、問題なのは人間が意図して起こす「災害」なのである。たとえ靖国神社で神として祀られ崇められようとも死んだその人は生き返らない。また、空襲で殺された一般人はそうして崇められもせずただただ犬死、犠牲者なのである。それはどこの国だって同じことだ。軍人はそれなりに尊敬され死後も保証されるが戦争で死んだ民間人、植民地から徴用され連れてこられたガイコクジンなどはみじめなものだ。

 戦争はそのようなわけで絶対に起こしてはならない。またそれに至る道筋を作ってはならない。それが憲法の三原則にしっかり記されている。が、不思議なことに今またそれを「改正」して再び戦争がしやすい国へ日本を作り替えようとしている人たちがいる。
そして自分には理解しがたいことだが、そうしたやつらを支持し評価している国民もたくさんいるのである。逆に現政権を「支持しない」層が少数派なのだからどうしたことなのか。正義は彼らにあるのであろうか。

 一昨日、秘密保護法に反対する人たちが多勢集まった日比谷の集会に行った。多くの良識ある人たちが一堂に揃った。政党からは共産党が衆参合わせてほぼ全議員、社民党もしかり、民主党からも有志が多くかけつけた。それにお騒がせ男、山本太郎も、発言はしなかったが議員にはなれなかったが噂の三宅洋平も壇上に上がって紹介された。

 落合恵子もまた熱く怒りに燃えて決意を叫んだし、弁護士たちをはじめ多くの壇上の面々はこの秘密保護に名を借りた国民弾圧の悪法に対して修正ではなく廃案しかないと強い思いを言い放ち大いに共感共有できた。会場もまさに満席となったし来たものの入れなかった人たちは野音内の数倍にも膨れ上がった。この集まった皆の思いを結集すれば廃案もまた可能だと確信させる熱気がそこにはあった。

 ただあえて気になったことがある。それは若者層がきわめて少なく会場内はほぼ全員が自分も含めて高齢者であった。自分などはむしろ若手のほうで、大方は定年を迎えたと思われる世代であった。年金者組合の集会に似ていると思った。
 むろんのこと平日の夕方の集会である。若い方たちは仕事に追われて気軽に参加できるはずもない。しかし、原発集会などでよく見かけた若い派手なメンツには誰にも会わなかったし、かつて原発反対の集いではよく見かけた子育て世代などは皆無であった。
 じっさいビラなど街で手渡していても中高年は反応があっても若者たちがビラやチラシを受け取ることがほとんどない。彼らにとってはこの超危険な法案も他人事、もしくはセイジの話であって自分たちとは関係ないと思っているようだ。じっさいは国民一人一人網羅されて監視され犯罪者として処罰されるかもしれないのに。

 この法案に強い危機感を感じているのは、落合恵子さんら団塊の世代や戦後の民主教育を受けた戦中は子供だった昭和一桁~十年代世代など、ある程度戦争を知り、終わって民主主義を学んだ層だと判断できる。
 40年ほど前に、「戦争を知らない子供たち」という歌がはやったように、確かに戦後生まれのニューゼネレーションは、ベビーブーマーズ、団塊の世代として大量に誕生し社会に大きな力をもった。しかしその世代は「戦争は知らない」と言いつつも戦争の影に広く覆われ、その彼らを育てた親からも有形無形で戦争のことは知らされていた。考えてみると自分もまた同様である。すぐそばに実体験した人たちがいて一緒に暮らしたのだから戦争とは戦時とはどういうものか嫌でも聴かされる。

 が、今の若い人たち、二十代、三十代となると、その「戦争を知らない」世代のまた子供たちとなるわけで団塊世代ジュニアには戦争とその時代の記憶がまったくない。あるのはドラマやマンガ、そしてゲームの中だけのバーチャルな戦争であってその「現実」についてはイメージが持てない。彼らの親もまたその親から聴いた戦争の話は子供たちには伝えないだろう。何故ならそこには実体験がないからで、人は自らが体験してこそ進んで語ることができるのである。

 本でも映画でも観て、戦争とはじっさいどういうものであるか、研究したりする学者肌の若者でない限り、戦争の「現実」は世界のあちこちで紛争が起きたとしてもテレビなどではリアルには報じられないからまったくわからない。だからこの悪法ができたらまた大変な時代が来るぞ、と高齢者たちが声を枯らして叫んでも冷ややかでいられるのだ。
 彼らが秘密保護法に関して無関心、もしくは関心が低いのは「戦争」をほんとうに知らないからなのだ。

 多摩川の河原に行くと、季節の良いころには、男女集って迷彩服に身を包みレシーバー片手にエアガン?で打ち合う「戦争ごっこ」に興じている若い人たちを以前よく見かけた。そうした血を流さない、撃たれても誰も死なない戦争ならば大いに歓迎もできよう。しかし、現実の戦争、戦時とは国を挙げての戦いであり、戦争に勝つためには国内にいる反戦分子をまず鎮圧し発言を封じ報道も規制し、国家一丸となって勝利の日まで我慢して戦かわねばならない。当然そこにはあらゆる自由が失われる。そしてたとえ戦争で勝ったとしてもまた元の穏やかな暮らしが戻ることのないことは今のアメリカ社会を見ればわかる。いつまた報復テロに襲われるか皆びくびくして監視社会のなかで緊張して生きている。

 そんな時代はまっぴらだ。が、再びそんな時代へと、安倍首相たちはまた「日本が動き出した」とほくそ笑んでいる。どうか若い人たちよ、戦争が起きた時は誰が戦地に行くのかをまず考えてもらいたい。彼らの目論む流れには「徴兵制」も当然含まれているのだから。
 本当に戦争を体験させられるときは「死」もまた大いにありえるのだぞ。